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地蔵(短編小説全文掲載;4,800文字)

 その取引先を訪れるのは3か月ぶりぐらいだろうか。
(……また、増えてるな)
 正面玄関の横に並んでいるので、否が応でも目に入る。
(ま、ウチの会社も似たようなものだが……)

 ほとんどの仕事は電話やリモート会議で済むのだが、わざわざ出向いたのは、ここの担当者の単純ミスで基幹部品の納期が大幅に遅れたためだ。
 本来ならミスした側が出向いて謝罪し、再発防止策の説明と損害補償について話し合うところだろう。
 しかし、オンライン会議での様子がどうもおかしい。モニター画面にミスを犯した担当者とその上司が雁首をそろえてはいるのだが、ひたすら頭を下げるのは上司のみ、当人は無表情で微動だにしない。

「……そりゃ一度、行ってみた方がいいな」
 こちらの部長は、事態をかなり深刻に受け止めていた。
「一過性のミスならまだいいが、構造的な問題かもしれん。もしそうなら、取引を根本的に考え直すという選択肢もありうるからな」

 応接に出てきたのは、先方の課長 ── だけだった。
 リモート会議同様、ただ頭を下げ続ける彼に、できるだけ穏やかに話した。
「いえ、もう謝罪は結構です。今日は、ミスが起こった原因を、担当の岩田さんから直接お聞きしたく思いまして。お話しさせていただけないでしょうか?」
 極力丁寧な言葉を使ったつもりだ。
「いや、その、岩田は口下手で……説明は私が……」
 課長はなかなか譲らなかった。

 そもそも、岩田という入社5-6年目ぐらいの若者は、口下手どころか、いつも上機嫌かつ饒舌で、仕事とは関係のない、自分の『推し』タレントのライブに行ったこと、彼女とサーフィンを楽しんだ話などを、こちらの反応にも頓着せずに垂れ流し続けるような、むしろ『勝手にノリノリ』タイプだった。
 ただ、礼儀をわきまえないわけでもなく、メールは、
『いつもたいへんお世話になっております』
 などの慇懃なあいさつで始まり、
『御社/弊社』『貴殿/小職』
 をはじめとする、丁寧なビジネス用語はきちんと押さえ、
 こちらの提案やアドバイスには、丁寧に礼を綴った後、
『これからも、ご指導ご鞭撻をいただきたく、どうかよろしくお願い申し上げます』
 と無難に締めくくる。

「岩田さん、仕事のメールは、完璧な返事が即、返って来るんですよ。とても口下手とは……」
「いや、お恥ずかしい話ですが、岩田は自分の好きな話題以外はボキャ貧です。メールのたぐいはいくつかのパターンをコピペしてるだけで、最近はAIを使うこともあるようです」
「そうは言っても……聞かれたことに答えるくらい、できますよね?」
「いや、……言葉に詰まったりすると……なかなか……」
 押し問答にこちらが苛立ち始めたのがわかったのだろう、
「……では、連れてきます」
 観念したのか、課長は悲壮な顔つきで部屋を出て行った。
(……何だろう。メンタルでもやられたのか?)
 少々心配になってきた。
(だとすれば、事は慎重に進める必要がある)

 数分後、課長は今や別人になった『ノリノリ君』を連れて ── いや、『連れて』というより、大柄な岩田を応接室に押し込み、私の前に座らせた。
 その表情は、リモート画面と寸分変わらず、ただの無表情だった。
「あ、こんにちは、岩田さん、わざわざ来ていただいて……」
 こちらから頭を下げた。
 相変わらず口は一文字に閉じたまま、合わせて下げるわけでもないその顔を見れば、どうやら眼球だけは動かしており、視線は私を捉えているようだ。
「岩田さん、今回、納期が大幅に遅れた件、謝罪はもう課長さんから何度もいただきましたので、そこじゃなく、どうしてこういうことになったのか、直接お話を聞きたくて……すみませんね」
 ── なんと、こちらが謝っている。
「当方のお願いした期日を誤解されていたのか、あるいは、単純に日にちのインプットを間違えたのか……?」
 岩田の表情はぴくりとも動かず、傍らの課長がはらはらしながら様子をうかがっている。
「いや、間違いは誰にでもあります。再発防止のために原因究明が重要です。おうかがいしたいのは、ダブルチェックが機能していたのか……こちらからの基幹部品の発注量と発注頻度は、よほどのことが無い限り、ほぼ一定ですよね。異常値がインプットされた場合には検知するようなシステムがあればこういうことには……」
 ……変わらない。まったく変わらない。

 ── 私が岩田に語り続け、その岩田は微動だにせず、課長は岩田の顔をうかがっている ── なんだか、怖れをいだきながら。
(なんだ、こいつら? いや、こいつ ── 《固まって》いるのか?)
「岩田さん! 黙っていてはわからないでしょう! なんとか言いなさい!」
 ついに切れて怒鳴った時である。
 課長の顔は絶望に染まった ── そして。

 ── そして、既に《固まって》いた岩田は、頭のてっぺんから徐々に濃いめのグレイに変色していった。唯一動いていた眼球もグレイに、顔も首もグレイに、──スーツの袖から出ていた手もグレイに変わった。── スーツやシャツ、眼鏡はそのままに。

 彼の全身が《石化》するのに、1分程度しかかからなかった。

「ああ! ああああ!」
 課長は『絶望』を声として絞り出し、両手で顔を覆った。
「だから、だから、……」
 彼はわめきながら、こちらには目もくれず、あわただしく部屋を出て行った。
 しばらくして、こうした事態に対応する部署らしい、作業服に身を包んだ男たちが現れ、《石化》した岩田の体をさすったり小突いたりしたあげく、頑丈そうな台車に載せて運び出した。
 課長は、やはり『絶望』的な表情のまま、何か書類に書き込んでいる。始末書なのか、報告書なのか、いずれにしても、この『惨事』の経過を記しているのだろう。

「……あのう」
 私の存在は無視され続け、いや、話しかけることすら拒む気配に、やむなくそのまま応接室を出た。
 玄関では、《石》と化した岩田を、先ほどの作業服たちが《地蔵》の並びに新たに加えていた。立っている《石地蔵》もあれば、座っているものもあり、衣類をはぎとられた《岩田地蔵》はどこからか運ばれてきた庭石の上に座らされようとしていた。

 話には聞いていたが、《石化》する現場に居合わせたのは初めてだった。
 もちろん、わが社の本社ビル前にも《地蔵》と呼ばれる元・社員の石像が並んでいる。その中には同期入社もひとり、混じっていた。彼は特にブラックな職場にいたわけでもなく、ただある日、社内他部署との打ち合わせの最中、突如《石化》した、という。

***

「へえ、そんなことがあったの? ……たいへんねえ」
 夕食のテーブルで話題に出すと、妻の職場も同じだという。
「ウチは病院じゃない、だから時と場合によっちゃあ、患者さんの生死に関わるのよ」
 看護師が注射を打っている最中に《石化》し、石になった状態で患者の上にのしかかったため、たいへんな騒動になったという。
「それは、どんな状況で起こったの? その看護師さん、𠮟られたとか……?」
「ううん、患者さんが注射針が刺さった瞬間に『痛い!』と、まあ大声は大声だけど、そう叫んだだけみたい」
「へえ……たったそれだけで?」
「そう。看護師さんは何か説明しようとして口を開いた後、そのまま……。これで病院玄関前の《お地蔵さん》の数は、医師ひとり、看護師3人、検査技師2人、事務方2人で合計8人、いえ8体になっちゃった」

 ちょうど、ニュース番組でもこの問題を取り上げていた。
「……昨年から始まった『石化』現象ですが、今年に入って事案が増えています。政府は特別チームを作って本格的な原因究明に乗り出すそうです」
 スタジオでは社会学者と医学博士がゲスト識者として出演していた。
《石化》した人たちの共通点は、会話が苦手ということみたいですね。いえ、しゃべるのが苦手、とは違います。会話というのは、相手の話す内容を理解し、適切な用語を用いてそれに応じる、ということですよね。人類は ── ヒトは、会話術の発達と共に文明を発展させてきました。基本中の基本が会話であることに、異議を挟む人はいないでしょう」
「でも、普通の人なら普通の会話はできるでしょう?」
 キャスターの問いかけに、社会学者は首を振った。
「『普通』って何でしょう? ようく、考えてください。ほとんどの人は ── 特に若い世代では ── SNSを使ったコミュニケーションが盛んですが、基本的には『独り言』の応酬なんじゃないでしょうか? いや、それすらも簡略化しています ── 『りょ』いや『り』が『了解しました』だったり、他にも、仲間内でしか通用しない符号を多用しています。そんな人たちが、『普通』の会話を求められると、困って『固まる』んです。そこで相手が諦めれば時間と共にほぐれる』のですが……」
「さらに会話を求められると、《石》になってしまうんですね」

 キャスターはもうひとりのゲストに向き直った。
「では、この《石化》した人たち、医学的にはどうなってるんでしょうか?」
《石地蔵》なんて言う人もいますが、まだ生きておられるので、解剖するわけにもいきません。体のほとんどは確かに《石》 ── 無機質に変化しています。ただ、聴診器を当てると、かすかに心音が ── 1分間に2-3回ほどですが ── 聞こえます。『生きておられる』と言いましたが、それが唯一の根拠です。冬眠中の熊のように、いや、それよりもはるかに少ない量の代謝たいしゃを体内で行っているようなんです」
「じゃあ、生き返る可能性もあるんですね?」
「生きているんだから、『生き返る』 ── ではなく、『ヒトに戻る』と言うべきかと」
「あ、失礼。それで政府が《石化》した人をその現場の玄関に配置するよう命じたのですね?」
「そうです。いつヒトに戻るかもしれない、その時には人目につく場所がいいだろう ── 即座に治療にかかれるから、という考え方ですね。それに、今のところ、いわゆるパワハラに該当するような原因はないようですが、《石化》が多発する職場や学校に注意を喚起する意図もあります」

「なるほど」キャスターは時間を気にしながら、まとめに入った。
「でも、ヒトに戻ることって、これまであったんですか?」
 医学博士が黙って首を振った。
「やはり、《石》でいる方が居心地がいいんでしょうかね……わかる気もします。私も時々、全ての人間関係を遮断したい、って思いますもん……」
 仕込みのセリフとは思えない言葉をつぶやき始めたキャスターが固まりかけたようにも見えたが、そのままCMに変わった。

「……最近じゃあ、ウチの会社、昼休みに《お地蔵さん》に花を手向たむける人、増えたなあ。ヒトに戻るのを祈ってるんだ」
「あ、病院も同じ ── いえ、ちょっと違うかな。《石》になった先生や看護師さんにお祈りすると早く治るって噂が広まって、患者さんが手を合わせてる」
「つまり、信仰の対象になったってことか? ──そりゃ、ホントの《お地蔵さん》だな」

 ── 妻も、そして私も、あえてその話題には触れない。

 《地蔵》は玄関の外に出しておくように、という政府の指示にどの組織も素直に従っているのは、《石化》した人びとの姿を、仕事場・勤務時間という『日常』の中で見ずに済む ── ある意味、『無かったこと』にできる ── からなのかもしれない。

 翌早朝、妻がまだ寝ているうちに起きて簡単に食事を済ませた。
 昨日《石化》現場を目撃した会社にもう一度行き、《岩田地蔵》に手を合わせてくるつもりだった。

 自宅の玄関を出ると、すぐ脇に立つ ── 正確には傘立てに腰かけた姿の《石地蔵》に手を合わせた。
 《地蔵》の手には、ここだけは《石化》していない、ゲーム機のコントローラーが握られている。
 あまりに強く握っていて、どうしても外すことができなかったのだ ── 先月《石》に変わった息子の体から。

〈了〉

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