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再勉生活! 円安からの急変で『給料がどんどん減っていく』

昨年の終わり頃には、日銀の政策変更で円安が収まるのでは、というような予測記事も見られたけれど、それどころかNISAでも海外投信を買う人が多かったり、米国FRBも利下げに踏み切らないなどで、円売りドル買いの勢いが衰えず、34年ぶりという『歴史的円安』になっています。
本日は1ドル=154.75円までイキました。

では、その34年前(1990年春)は、どうだったのか?
下図は1990年代のドル円レートです。90年代前半は、1ドル=160円の円安から円高へと移行し続け、1995年4月にはついに1ドル=81円に達しました。
私の米国留学期間は、まさにこの『右肩下がり』の時代と重なります。

1990年代前半のドル円為替レートの推移
https://finance-gfp.com/?p=3008

その最初の年である1990年のレートが下図になります。
4月半ばのピーク円安1ドル=160円から増減しながら下がり続け、半年後の10月半ばに125円となりました。

1990年のドル円レート推移
https://xn--1-nguwep56l.com/1990/

渡米は1990年の5月、勤務先は海外との取引がほとんどなかったので、それまでドル円レートに関心を持ったことはありませんでした。

留学制度自体も候補者の選定と並行して1から議論され、結局、留学は『特別休暇』扱い、ということになりました。つまり結婚休暇などと同じ有給休暇で、3年間という長~い『新婚旅行』扱いです。

当時でも駐在に準ずる形態が多かった大企業とはかなり異なる待遇でしたが、とにかく海外に出たかったこともあり、まあ、細かいことはどうでもいいや、と思っていました。
留学中の給料(各種手当のない基本給)はドルに換算して米国に送金するはずでした。

この為替レートは、夏学期の始まる8月に、
1ドル=150円
という、きわめて大雑把な値に決められました。
ところが、上の図「1990年のドル円レート推移」でわかるように、その後、円高はどんどん進みます。
しかし、換算レートは1ドル=150円のままで変わりません。当然、円換算での給料は、本来の値からどんどん減っていくことになりました。

為替レートの変化に応じて換算式を見直して欲しい、と会社に手紙を書きました。
(インターネット前夜のため、緊急時にFAXを使う他は、すべてが書面の郵送)
会社からは、
現在は、年に1度為替レートを定め、それに従ってその年の送金を換算することにしている。
との回答が帰って来ただけ。
え! 年に1度!
その方式はまったく合理的ではなく、給料なのだから、その金額を送って欲しい、と反論しました。

海外派遣制度の無かった組織が1から考えるわけなので試行錯誤するのは仕方がなく、この制度自体への反対意見もおそらくあり、人事課の留学担当者はたいへんな苦労をしたはずで、私自身も深く感謝していた。

けれど、事態は進展せず、円高はさらに進み、10月にはついに1ドル125円を記録しました。換算レートとの差は、実に25円。給料『減額』はついに15%を超えました。

この辺りで私は切れた。
同時に、文句を言うだけではなく、具体案を出す必要がある、と考えた。

・円建て給料を超・円安のレートで換算して送るのは結局、会社が従業員の給料の10%以上をピンハネしているのと同じではないか。
・これが、逆の流れになった時は、従業員は不当に高い給料を受け取ることになる。
・こうした『不条理』な制度をやめ、毎月1日のレートを1円単位で四捨五入し、その月の送金レートとしてはどうか?
・ルールが変更にならないならば、もう送金は不要。給料は日本の銀行にそのまま、円で振り込んで欲しい。両親に頼んで『正しい』為替レートでドルに替え、送ってもらう。

このような『具体案を伴う最後通牒』にようやく会社は動き始め、毎月、月初の為替レートを使う方法に変更しました。

繰り返しますが、今でも人事課の担当者には感謝しかありません。
担当者は理解し動いてくれたが、その上司が ── おそらくは担当役員が動かなかったのでしょう。

ルールを定めてそれに従って進めていく、というのはある意味、大切な事でもあり、何より楽チンです。
でも、本来の目的が何か、そのルールは何のために作られたのか、人は往々にして見失ってしまう。

「現在の《手段》はこうですから」
と言い張る人に、
「でも《目的》はこうだったはず」
と説いても、しばらく《水掛け論》が続くことがある。

《給料を金額通り従業員に渡す》── 誰にでもわかる原則がわからなくなってしまうことが起こるのだ。

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