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時代のカウンターパンチであれ

皆さん、周りとの違いや差を感じた時に、憤りを感じたり嘆いたりしたことはありますか。

僕自身は、そのような経験は今まで無いんですよ。でも、これは「家庭が裕福だったから」とか「才能に恵まれていたから」なんて理由からではないんです。

もちろん挫折感のようなものは経験してきましたし、見方を変えれば挫折や劣等感だらけというのが、これまでの人生だったんじゃないかなと思います。

そんな人生におけるモヤモヤ感を、ある1人の少年~青年が昇華させてきたというお話を、皆さんにシェアできればと思います。

ご自身がモヤモヤされていたり、子育てでヤキモキされているという方は、是非とも、「まぁ別にこんな感じでいっか」の一例として読んでやってくだされば幸いです。

ヨガをする12歳の少年は田舎のパイオニア

Q. ヨガに出会ったきっかけは何ですか

実家の隣がヨガスタジオであり、かれこれ35年も前(あらためて数字にするとかなり昔に感じますね)からヨガインストラクターをしていた母という存在が、日常の中に当たり前に居たからです。

というのが、僕がよくいただく質問に対する、一番簡潔で分かりやすい説明文です。でもこれはきっかけというよりも、僕がすんなりとヨガを選択できた理由ですね。

なんの選択をする必要があったのかと言いますと、それは「”速く走るため”に硬い体をほぐす運動」としてヨガを選択したことです。それが、ヨガを始めるきっかけでした。この時は中学一年生だったので、齢12歳ですね。

まぁ当然まわりの同級生にとっては「はて?ヨガ?なんのこっちゃ?」という反応なのですが、この周りとのギャップを経験していたことが、なんだか今の僕にも活きている気がします。


お父さんがサラリーマンって特別でカッコイイ

母がヨガの先生をしていて、父は父で空手の先生をしていたのですが、小さい頃は「こういう環境が普通の家庭ってやつなのか」と思っていたんですね。でも、小学校に入って、少しずつ歳を重ねるにつれて、友達のお父さんを始めとする世のお父さんたちは、会社や自治体に勤めている人の方が割合的に多いということを知ります。

小さい頃はサラリーマンと言えば「テレビで見る職業」と思っていたので、なんだか周りのお父さんたちの職業が特別に思ってたんですよ。もう典型的な井の中の蛙ってやつで、小さい頃の僕の知ってる世界というものが狭すぎたわけなんですけども。ここで自分の家庭環境を「なんか変だな」と思わなかったのは、生まれてから今日まで愛と幸福を注いでくれている両親や家族のおかげです。

多分なんですけど、この小学生低学年あたりで「周りと違っていて当たり前」という感覚が身に付いたんじゃないかなと思います。まぁ、よく小学校から脱走していたので、実体験としても経験を積んでいた時期ですね…(笑)

小学2年生の頃がロックだった話はこちらのnoteをどうぞ



ジェネラリストもいいけど、プチスペシャリストもいい

意外と憧れよりも現実派だった中学生

小学生の頃に大好きで何回も繰り返して読んだ漫画スラムダンクに憧れを抱き、中学生になったらバスケ部に入ろうと思っていました。そう思っていたんですけども、実際に入部したのは陸上部だったんですよ。理由は単純で「周りの人よりも自分の足が速かったから」です。

複雑で難しいことに試行錯誤しながら挑戦する人を尊敬していますし、そういったことへの憧れはものすごくあるのですが、半分ほど根が面倒くさがりな僕は「まぁ中学校生活なんて3年しかないし」と楽をできる競技を選択するわけです。もちろん陸上競技の練習は楽じゃないですよ、ただ、元々走るのが速かったというのがアドバンテージじゃないですか。

特に公立の中学校だったので、そもそも練習が厳しくないんですけど、それなりに走るのが得意な人間にとっては、練習自体がかなり楽しいんですよ。そりゃ余力がありますからね、走るのが苦手な人に比べたら。

この時の「余力、楽しむ余裕ってめちゃくちゃ大事じゃないか」という記憶が3年後の高校生の僕に衝撃を与えます。

そして、この時に既に「自分は周りよりかけっこに優れている」ことを自覚していて、「その長所を生かせる陸上部がある」という環境があったことが後述の「環境の変化と才能の変換」につながります。

高校進学というキーポイント

中学生時代、広島の田舎の地域でそこそこに足が速かった僕は、「スポーツ推薦でうちの高校に来ないか」という有り難すぎるお話を頂くことになります。それも、数校から。

今だから言える話は、中学生2年生の頃に、僕のことを中学3年生だと勘違いした高校の指導者の方からフライングで推薦の話を貰ったことがあったんです。その時に「勉強に精を出すよりもトラックを走っておくか」と思ってしまった邪な気持ちが翌年の僕のスランプに繋がります…(多分)。

中学3年生の頃の成績は、本当にパッとしなかったのですが、色んな偶然が重なり、先述したように有難いことにスポーツ推薦にて進学が決まることになります。周りの同級生は塾に通いながら、入試の合否にドキドキハラハラしている人が多い中、僕は「なにかちょっとした一芸があると進む方向って決まりやすいなあ」なんて呑気なことを感じておりました。

勉強ができると選択肢に困らないのはもちろんですが、その次くらいに選択肢が増えるのがスポーツ推薦だと思います。スポーツに全振りする学校もありますが、文武両道の進学校も当然ありますし、その先を考えると、競技の選択によっては就活で困りにくいような有名大学にだって進学できますからね。

ここで僕がお伝えしたいことは、勉強を苦手に感じたり、楽しくないと思うのであれば、自分が楽しいなとか得意だなって思うものを見つけておくと、学生時代だけでなく、その先の人生においても、いろんな余裕が生まれるんじゃないかなということです。



自分にとってのプチスペシャルは時代と環境によって変わることがある

初めての”前に進まない”という感覚

さて、晴れてスポーツ推薦で強豪校に進学した僕に、待ち受けていたものは「挫折感」と「得意の新発見」でした。先にお伝えしておくと、スポーツ優等生に囲まれた環境はとてもとても良いものでした。じゃあ何に挫折感を味わったかと言うと、「期待していたほどの自分ではなかった」ということです。

今までの中学時代はテキトーに練習しながら、しっかりと楽しさを味わっていました。高校では「これからは真面目に厳しく追い込まないと」と気負いすぎて、いわゆる練習し過ぎの負のループに陥っていたのです。ここで言う練習のし過ぎというのは、「効果的でない内容」の練習を「必要時間以上に」取り組み、「体の疲労が慢性化していた」ことです。

自分が思った通りに体を動かせなくなると、精神的にもすごい堪えるんですよね。それも、スポーツ推薦を貰っているのに競技成績が悪いだなんて…と自責の念も加わって、今思えば毎日ストレスフルな高校生活でした。腰の骨も疲労骨折してしまうし(疲労で腰の骨が折れるなんて思ってもいなかったんですけどね)、青春という2文字は何処に…?という感じですね。


諦めと再発見

「人間万事塞翁が馬」という故事の言葉、ご存知でしょうか。馬が逃げ出したと思ったら美しい牝馬を連れて帰ってきて、息子がその馬に乗っていたら落馬して脚を折ったけども、その骨折が理由で徴兵されずに済んだという、幸か不幸かは予測しづらく、どう転ずるかは分からないというものです。

僕にとっては、高校生での腰の疲労骨折が人生の視野を広げてくれる(視点を変える)転機となったと思います。「動けない(練習ができない)」という状況が、「高校生活は部活動という場所だけじゃないぞ」と気が付かせてくれたのです。

高校生の本分、勉強することも高校に所属する大きな意義じゃないか、と。陸上競技という種目ではスペシャリストどころかプチスペシャルの欠片も無かった高校生活ですが、勉学に関してはプチスペシャルであると気が付くのです。


環境が変わるとプチスペシャルも変わる

僕は1学年100人くらいの広島の田舎の公立中学校出身なのですが、大人になって気付いたのは「公立中学校だったのに、同級生はなぜか秀才揃いだった」ということです。偏差値が超普通の高校にいると、中学時代には気が付けなかった「勉強できる」という自分の一面を発見するのです。

簡潔に結果をお伝えすると、評定平均が簡単に取れたんですね。今の時代はどうなのかは存じ上げませんが、僕の高校時代は評定平均さえあれば各大学の普通推薦枠が取れます。つまり、あの時代に僕よりも戦略的だった人は、「自分がトップの成績を取れる高校へ進学して、評定平均の推薦枠で志望大学へ進学する」ことができたんです(と僕は今でも思っているんですけど、詳しい方、そうですよね?)。

友達の一人は、学業はからっきしだった為に、志望大学に進めそうにないと分かったんですけども、英語がとても得意だったので、海外の大学に進学したんです。そして日本に帰国して就職活動する時には「海外の大学卒」という肩書きが大活躍したわけです。



時代のカウンターパンチであれ

やりたい仕事は時代に合わせて考えてもいい

僕がプライベートヨガスタジオをオープンしたのが2018年。この時もまだまだ「男性のヨガって珍しいねえ」が反応として多い時代です。まぁ別にマジョリティを目指したいわけでも、マイノリティとして居続けたいわけでもないんですけどね。

25歳でスタジオを始めるんですけど、「ヨガを仕事にするか」と思ったのは21~22歳くらいの時ですね。小さい頃からなりたい職業だった、っていう訳ではないんです。

大学時代に専攻していた「経営組織論 」の学びが、僕の職業選択に大きく影響するんです。「昔はこういう働き方をしていた」「現在はこのような働き方が主流」を学ぶのはもちろん、大事なのは「これからの働き方を考える」考察の学びです。

2010年前後の時に、「これからはIT化が当然で、AIの発展はすぐ間近である」と思いながら過ごせたのは僕の財産のひとつかもしれません。「知識労働の時代は加速し、原始的な心身のアプローチが必要になるだろう」とか、「AIが仕事をこなしてくれるだけ、人々の可処分時間は増えていく分、健康と生死について考える時間が増えるだろう」から、「じゃあヨガだな」という選択に至るわけです。


「目立つため」よりも「バランスを取るため」

僕が言うところの「時代のカウンターパンチ」とは、世の中のバランスを取ろうとすることに意義があるんじゃないか、という考えです。"逆行"とか"反対"をテーマにすると面白いんじゃないかと思っています。なので僕にとっての面白みは、AIが急成長する時代だからこそインドの思想と哲学を深く知る必要があるということです。

「まだ競合が少ないから、この仕事をする儲かる」みたいな打算的な考えよりも(と言いますか、このあたりの話は是非とも経営のプロに伺ってください)、時代に足りないピースを見つけたり、もしくはこれから欠けていきそうなピースを予測して、自分がその分野を担うぞという感覚を持つと、それが仕事にならなかったとしても、自分自身のバランスは最低限しっかりと取れることに繋がると思いますよ。


客観性があると快活になれる

お金を稼がなければダメだとは思わないですが、あればあるだけいいんじゃないかなと思っています。保管場所をとるわけでもないですし、お金があって困る事ってないですよね。

でも、お金があってもなくても、僕は人生は楽しんだもの勝ちだと思っています。「楽しい」の基準は十人十色だと思いますが、ここでの“楽しい”は皆さんの思う楽しさに任せます。

苦しい人生を望む人って、ほとんど誰もいませんよね。今から約3,000年前の書には「人生は享楽である」と書かれ、「苦」という文字は一文字も記されていないんですよ。ここは今でも変わらない人の本質なんじゃないかなと思っています。

楽しく生きるための条件として「快活さ」が大事です。そしてこの快活さを養うために、物事を正しく判断できる知性と客観性が大事だと考えます。周りの人と一緒に同じ方向を見ることは大事ですが、ただでさえ濁流のような情報社会の現代において、みんなで同じ方向だけ見るのは偏りが発生しかねませんよね。

たまには逆の方向だったり、左右別の方向を見ることもいいんじゃないかな、必要だったりするんじゃないかなと思います。

僕は、皆さんのお仕事が時代のカウンターパンチになったり、仕事と言わずとも特技や、思想、言動がカウンターパンチになることを、常にひっそりと願っています。目指せカウンターパンチャー。

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