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【所感】2

戦争犯罪という言葉が、あまり腑に落ちない。
殺人が犯罪であるならば、戦争そのものが犯罪になるような気がする。
争いに法があるだなんて馬鹿馬鹿しい。
命の大切さなど声高に叫んだところで、法によって命は相対化されるのだ。
やるせないと思う。

薄情な私はあまりこの手の話に悲しみを感じる人間ではなかった。
結局は知らない他人の話だからだ。
しかし近頃悲しみを覚えるのは、身内が戦争に巻きこまれた時を想像するからだ。
身内の命が奪われるようなことがあれば、私はもはや生きてゆかれない。
いつかは死別を免れないのが人間であるが、殺される場合は悲しみに留まらない。
悲しみに怒りが含まれ、それは恨みになる。
悲しみと怒りと恨みで構築された世界にはなんの価値もない。
失われた人も、失った人も、ただただ、いたたまれないのだ。

皆が皆 等しく満足りた場合に
やっと心身が寛ぎ 幸せを知る
椎名林檎のことばであるが、近頃このようなことをよく考えるようになった。
多分、年齢のせいである。
と言っても25になったばかりなので大層なことは言えないが、以前とは確かに考えが変わったように思う。
自分が幸せならそれで良い、とはあまり思えなくなった。
私がとても幸せでも、他人が不幸であるならば私は本当の意味で安心はできない。
明日は我が身だから、ではない。
今日不幸な人がいることが、悲しいことだからだ。

こんなことを考えたところで、世界平和なんて程遠いのが現実である。
歴史は単なる遺産ではなく、現代にも響いているのだ。
故に話し合いで解決なんてできないこともあるだろうと思う。
しかし果たしてそこに殺人が必要だろうか。
民間人を大量虐殺することは勿論あってはならないが、では1人の軍人は殺されて良いのだろうか。
軍人はロボットではない。
しかし、ではどうすれば良いのか、に対する答えを私も持っていない。
答えを持っていたら、大統領にでもなるだろう。
結局は誰も、暴力以外では解決できないのだ。
なんだかここ近年こんな出来事が多いように思う。
イデオロギーに囚われた頭でっかちにはなりたくない。
どちらが正しい悪い、ではない。
日本も他人事ではない、ではない。
今、人々が失われることが悲しいのだ。
ただ、やるせないのだ。

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