私の母の日本軍②〜カルト宗教と受験戦争 とガダルカナルの戦い〜

太平洋戦争(大東亜戦争)

明治維新から50年、200年先を行っていた欧米に追いついた。にも関わらず、大日本帝国は滅んだ

そもそも、なぜこんな無謀な戦争を仕掛けたのだろうか?戦争目的は??

そこには、戦略が存在しなかった。エリート軍人達は兵站を無視し、仲間の保身に明け暮れ、精神論に撤する

太平洋戦争の初期は連戦連勝だった。だが、戦争が始まれば日本は貧困に陥る。それをなぞるように、僕の家庭も(精神的)貧困が目についた

中学受験というカルト宗教

母の受験熱が激化した。妹は僕と同じ慶應に入りたいと言っていた。それは、単純に兄が行っているからというノリでしかない。しかし、母親の大学受験をさせた(した)くない気持ち、大学までエスカレーターで行ける中高一貫高の安心感、そして慶應”教”の信者である母親は慶應に拘った

妹は僕より出来が悪かった。いや、僕の頭が良すぎたんだろう。母はそれが分からなく、僕をスタンダードと思い込み、妹に叱咤激励した。日に日にそれはエスカレートしていった。妹は毎日怒られるようになった。僕は、家に帰るとそれを聞くのが嫌で夜遅くに帰るようにした。逃げたかった

この記事を見ると分かるように、東京圏では中学受験がブームだ。そして、親も知らず知らずの内にエスカレートしていく

中学受験というカルト宗教に母親はハマる。「中学受験は、親の頑張りで決まる」と常日頃口にしていた

親は「子供の為に」と思い、受験勉強をさせる。しかし、いつの間にか受験という名のカルト宗教に浸かる。そして、合格という名の”教義”を遂行する為に、「勉強」という名の”信仰”を一日中行うようになる

これを、先人達は『祈り』と呼んだ

大学生活

僕の大学生活は平凡そのもの。大学1年は授業を受け(医学部は鬼畜で授業は平日毎日、土曜日もあった。週3回は9時から授業だ)
医学部サッカー部に入り、家庭教師のアルバイトをし、飲み会をする普通の大学生だ。部活は週4回もあり、土日は潰れた

医学部は、他学部に比べ忙しく普通とは言い難いが…何か飛び抜けて面白い事をするわけではない、一般的な大学生だった

太平洋戦争のように連戦連勝ではないものの、サッカーをして、家庭教師のアルバイト(時給5000円)をし、彼女も出来た。こう並べてれば、普通の大学生ではないのかもしれない。ただ、充足感はなく、欠落感があった

そして自分自身、勉強のタガが外れた、いや元の自分に戻ったんだろう。勉強は最低限しかやらない。ノートは取らないし、授業も聞かなくなった。高校の時は、先生の話を全て録音するかの如く、細かな事も聞き逃さずノートを取っていた。さしずめロボットだ(ふざけた態度なのに、勉強が出来て友達に驚かれた事もある)

勉強をしていた理由は親。母親の期待に応えるために、全ての力を注ぎ込んでいたんだろう。その原動力が大学では無くなり、元の自分に戻った

その結果、1年生は単位ギリギリで進級

反して、MCBという絶対に落とさない科目を友達2人が落として、留年した。僕はほとんどノー勉で、なぜ通ったかは分からない。結果的には友達2人は医者になり、僕は医者をやらない事になった。ここで進級したのが良かったかどうかは、神のみぞ知る

教育に興味が出る

自分自身のキャリア選択、妹が毎日怒られている事による受験制度への懐疑から教育への興味が日に日に増大した。また、医学部の閉鎖性から他の学部生との交流/他のコミュニティに所属したかった

教育系の学生団体に入ったが、途中から入った事や何かしらの違和感からすぐに辞めてしまう。新しい教育についての知見も学べなかった

そして、大学2年の夏に大きな転機が訪れる

読書マンの誕生

夏休みの昼下がり。韓国の大統領が竹島に不法上陸をして問題になっていた。僕は時事問題も然り、社会全般に何も興味がなかった(新聞のテレビ欄しか見ない)ふと、グーグルで「反日 韓国」と調べた

「なんだ、これは・・・?」

衝撃を受けた

最寄りのパン屋で、だ。留年をした時よりも、初めてセックスをした時を遥かに超える衝撃だ

自分の人生観が変わった。今まで学校で習う事の無い、歴史観を知った。勿論、それが正しいかどうかは議論しない。が、教科書とは違う歴史・ストーリーが存在する事は自分にとって未知の体験だった。自分の心が揺さぶられた。自分の常識が必ずしも、正しくは無い事を痛感した

僕は食い入るようにスマホで、日本の歴史について調べた。昔風に言えば、ネトウヨ(ネット右翼)の始まりだ。友達にそうも言われた。だが、本質はそこではない。本を大量に読むようになった

ネトウヨが読む「中国、韓国はダメだ!」の様な本も読んだ。しかし、途中で内容が全て同じでつまらなく思った。それから、様々なジャンルの本、特に日本についての本を読んだ
日本の建築・文化・伝統・言語…”日本”というキーワードがついている本は図書館から片っ端から読んだ。そうして、「日本人とユダヤ人」を書いた山本七平に巡り会う事になる

毒親…?

本を乱読する内に、スーザンフォワードの「毒になる親」にたどり着いた。毒親という概念を知る
うちの母親は毒親だったのか?
僕はアダルトチルドレンなのか??
と思った

『毒になる親』では、毒親は「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」を指す言葉として使われた

毒親の4タイプのうち、僕の母親は過干渉だろう。親が悪いという発想は衝撃だった

だが、読んでも解決策は見当たらなかった。適切な距離を置く、が結論。また、本書を曲解すれば全ての原因は親であるという極論にも行き着くが、強烈な違和感を感じた

家族の仲が悪くなるのは、構造の問題と思っていた。いじめが起きるのも、その子が悪いのではなく”学校”という閉鎖空間が問題なのだと。今風に言えばUXが悪い。サカナくんも同じ事を言っていて、海でいじめは起きないのに、狭い水槽だといじめが起きてしまう。どうしたら家族運営がうまくいくのかをずっと考えていた。だが、受験がある限りどうする事も出来なかった

自分自身の変化はありつつ、妹は相変わらず怒られていた。気づくと朝から晩まで怒られていた。それに耐えられなくなり、口を出すと僕に飛び火がいく。そして、妹が無理やり勉強させられている姿と医学部に無理矢理行かされたと感じた構図が重なった。フラッシュバックだ

医学部の事を言うと「医学部に行ったのは、自己責任だ!!」と言われる。確かに、理工学部に行こうと思えば行けたという点では究極的には自己責任だった。グーの音が出ない事もあり、僕は黙った

親を殺したいと何度も思った

自分にやりたい事があれば、医学部は行かなくて良かった
そう思うと自己責任だった
だが、部活の一件が無ければ医学部で問題なかった
気づかない方が良かったのか
ただ、自分で進路を決めたかっただけなのに
僕のせいなのか

誰にも悩みは相談できなかった

勉強のモチベーションが0になる

2年生の夏頃、高校の後輩に医学部の事を聞かれた。見返すと、何でもない内容だったのだが。「医学部に行きたいかどうかしっかり考えた方がいい」この言葉が自分の胸に突き刺さった。さらに勉強がしんどくなった

自分で進路を決められなかった
他人に無理矢理やらされている
医学部に行かされた

という感情がトゲの様に胸に突き刺さる

勉強のやる気は日に日に下がった。テスト前になり資料を読んでも、頭に入らない。勉強が1分も続かなかった

そして、人生で初めてテストを休んだ。組織学という科目だ

1秒も勉強をしていなかったので行く意味がないと思ったし、そんな自分が恥ずかしくて顔が出せなかった。友達が心配で連絡してくれた

その後からは、テストは全部勉強をしないで挑んでいた(ノー勉だ)勉強をしようと思っても続かない。1分だけやる、という小さく目標を刻んだり、勉強を1時間やったら報酬を与えるような行動心理学的な要素を使っても全く頭に入らなかった。全てが無駄。中高は「勉強をしないと」という半ば恐怖の感覚が”自動的に”勉強をさせていたが、勉強AIは僕の中から消え去った

冬のテストからはテストそのものを休むようになった。勉強時間が0なら行く意味はないと思ったから
幸か不幸か医学部には再試という制度があり、落ちてもまた試験を受けられた。慶應は再々試まである科目がほとんどなので、再試にも僕はノー勉で挑んだ。全ての科目が0点だったと思う

中高の時に、勉強をしない友達を不思議に思っていた。後ろの席の子が、テストをほぼ白紙で出していた
「ドユコト…」
ただ、いつの間にか自分が同じ状況に陥っていた。やる気が出ない、勉強をしない友達の気持ちが分かった様な気がした

再々試になりやっと危機感を感じた。ギリギリ試験を通す日々が続く。試験に落ちると、自分の番号が学校の掲示板に晒される。僕の番号は基本的に毎回出てくるので、先輩が見つけてくる。イジられるのは嫌じゃないと言えば勿論嘘だったけど、何も触れられないで無関心というのもキツかったと思う。笑いを取ることで誤魔化した

幾度もの再試を受けた。ギリギリ単位数が足り、3年生に無事に上がった

進級できた事は良いものの、医学部に行ったのは自業自得なのか自己責任なのか、決断した自分が悪かったのか、自問自答の日々に終わりは無い

ガダルカナル島の戦いと中学受験戦争

ガダルカナル島の戦いでは、陸海軍の連絡系統のミス、海軍による陸軍の囮作戦などが重なり、15,000人が飢えと病で命を落とす

米軍はその後も次々と太平洋の島々に上陸し、日本軍は追い詰められた。終戦までに、犠牲者は300万人を超えた「地獄の戦場」だ(出典: NスペPLUS ガダルカナルの真実

ガダルカナル

妹は小学6年生になった。怒られる事は日常茶飯事と化していた。母が妹を叫びながら、起こしていた。朝から、前日のテストがなぜ悪いのかを咎める為だ

僕は家を出て一人暮らしをしようと思ったが、現実から逃げて妹を放置するようで嫌だった。家に帰ればアメリカの焼夷弾が日本兵を焼き尽くすかの如く、母の罵声が飛び交う

妹に家庭教師がつけられた。母は本気だった、僕は家庭教師を小学生につけられなかったから

妹の事で、塾(僕が行っていた塾に、妹も通っていた)の先生に相談をした。「面談をしてみる」と言ってくれた。だが、僕が相談を持ちかけた事がバレて、母は

「邪魔をするんじゃない!!!関係ないだろ」

と言った。家族なのに、関係が無い事は無かった

どうにか出来ないかと、児童相談所にも行った。だが、何もしてくれなかった。肉体的な傷が無いと介入できないそうだ。家の中での出来事を録音すればよかったのかもしれない。無力感に苛まれた

友達には相談出来なかった。何か介入できるわけはないと思っていたから。受験が終わるのをただ待っていた

妹は受験当日、泣いていた。「行きたくない」と

結果、妹は慶應に受からなかった。私立の中高一貫校に進学した。母親から見れば失敗なんだろう。終わった後1年ぐらいは「学校から駅が遠すぎる」「もっとちゃんと勉強していれば…」など文句をブツブツ言っていた

僕の場合は「親のおかげで受かったんだ!」と言っていたのに、妹の場合は翻って”妹の責任”だった。

と同時に僕は一回目の留年をした。

解剖学の筆記の再々試験が落ちたのが原因だ。今まで落ちた人はいなかった。確かに、テストの出来は悪いと感じた。勉強時間が足りなかったのもあり、テスト前は眠れなかった(そんな事は今まで無かった)試験は記述で、半分ぐらいしか埋められなかった。60点が合格ラインなので、微妙だった。担当の先生に謝罪しに行ったが、ダメだった

留年はショックだった。親は泣いた。僕は、妹が慶應に受からなかったダメージを分散させるために、留年したと思い込んだ。そうする事で精神的ダメージも幾ばくか和らいだ

受験システムがそもそも存在しなければ、こんな悲痛な事は起きなかったはず…受験システムへの憎悪が生まれる

妹の中学受験はガダルカナル島の戦いの様だった。ここから、僕の医学部の生活、いや戦況は悪化の一途をたどる


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