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「才能がないからやる、という選択肢があってもいいじゃないか」 〜星野源の『働く男』より〜

もしかすると、タイトルのフレーズを見ただけで、この本に書かれていることだと気づいた人もいるのではないか?

星野源著の「働く男」というエッセイの中の『書く男』にあるワンフレーズである。

星野源さんが、文章の上手い人に憧れ奮い立ち、「君は文章の才能はないと思うよ」と色々な人に言われながらも、そんなの関係ねぇと書き続け、結果的にはエッセイの連載から本を出すまでに至っている。

そして現に、今その文章は私の元に届き、私の心を震わせているわけだ。

特に考えさせられたのがこのフレーズ。

才能があるからやるのではなく、才能がないからやる、という選択肢があってもいいじゃないか。
そう思います。
いつか、才能のないものが、面白いものを創り出せたら、そうなったら、才能のない、俺の勝ちだ。

星野源著
働く男、『書く男』

元々文章を書く才能がなかったというのがまず驚きであるのだが、あぁこうして自分のやりたいという思いに実直に、それを叶える姿には率直に元気がもらえる。

弱みへ一生懸命投資しても費用対効果があまり良くないから、自分の強みに目を向けてそれを伸ばしていこう、という考え方もある。基本的には私もそう思っていて、人には向き不向きがあるので、向いていることを伸ばしていこうという思想は合理的で好きな考え方の一つだ。

一方で、不向きだからやるべきではないというふうに、自分で可能性に蓋をして制限してしまうのもなんだか勿体無いということに、星野源さんの言葉から気付かされた。

合理性と非合理性の間にある、ちょうど良いバランス感覚ってあるんじゃないかと感じる。

才能がないなと思っても、その直感が合っていることもあれば間違っていることも往々にしてある。続けていれば何だかんだうまくいき、楽しくなることもあるんだろう。

よくよく考えてみると、そもそも「私は〇〇に才能がある」なんてものはほとんどないことに気づき、何をごにょごにょ悩んでいたんだという感じである。おこがましいにもほどがあった。

才能がないことを意識的にか無意識的にか選択し、日々トライアンドエラーの連続だ。

才能などない中、私は何を創り出しているだろうか。

それではまた。


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