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そこにあったものがなくなる切なさ

とても細かな話を書く。何にもならない話だが何か心に来るかもしれない話しだ。

会社に個人用の小さなロッカーがある。同期5人分かたまってある。入社以来、ロッカーの扉には付箋で名前が貼ってあった。仮で貼られた付箋だ。仮なのでほっそいボールペンで雑に名前が書かれているだけだ。それが今日ちゃんとしたネームシールに張り替えられた。付箋がはられてからおよそ2年半越しにだ。

本来はすぐそうされるべきだったものが、どうやら忘れられていたらしい。

2年半の間ひらひらとその役目を担っていた付箋が、今日という何気ない日に剥がされ、その役目を終えた。

ここにこみ上げる切なさは何であろうか。たかが何でもない付箋が2年半もの期間そこにあったというだけ。でもそれが剥がされた瞬間に、その付箋が健気に思えてきた。そんなものがあったことすら気にも止めず普段は過ごしていたのにも関わらず。

ただそこにあった、というだけで、それがなくなったときになんだが切なく感じたのは何だろう。

「だから、普段の何気ないものにもありがたみを感じよう」などと余計な一般化はしない。

ただ、そう感じた、という感覚を書き留めただけだ。

それではまた。

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