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防災士コーチの note③【ここまでの要約とこれからの仮説】

前回はこちら。
ここまでは日本の災害支援でどうしても欠けてしまうメンタルヘルスの視点を中心に触れてきました。①で触れたメディア報道や一部野党系議員の態度は相変わらず目に余るものがあります。本当に残念です。
 
国内外のまともな野党議員であれば「こうしたらもっと良くなる」という解決提案への全振りで、国民の生命と財産を守るために手を取り合うでしょう。こうした非常時に不可避なミスに対し重箱の隅をつつく、根拠(エビデンス)のない批判を展開するような人は、こうした被災地における民の窮状には興味がなく、他者をおとして自分をあげるようなことを優先するパーソナリティであることが明確です。そんな他者理解のないマキャベリストが議員の地位を得ていることは、国民にとってリスクでしかなく、次回選挙で投票することをおススメしません(個人的見解です)。
 
また①で触れた【地域防災計画の機能不全】の表出も感じます。この背景としては②で触れた【状況背景としては、日本は施設面での災害予防に重点がおかれ、アメリカでは管理運用面での緊急対応に重点をおいて災害管理がなされている】ことが東日本大震災以降も変わらぬ傾向としてあるように見えます。防衛省の南海トラフに関する資料でも

【自衛隊を始めとする実動省庁の対応能力をどのように振り分けるか、役割分担を整理する必要がある。また、公的・行政的な対応の限界を認識した上で、「共助」、「自助」の観点も踏まえ、全国家的な対応体制の見直しが求められる。他方、国内での対応に限界がある以上、海外からの支援の受け入れが不可欠になると考えられ、平素より受入体制を検討する必要がある】
 
と明記されていますが、このあたりの整理が縦割りの中でずっと先送りになってきていての「今」なのではないでしょうか。実際、今回のケースでも国土交通省の給水車が避難所トイレへの給水依頼に対し「目的外」として断るシーンがあったとも現地情報として聞いています。こうした縦割り行政の弊害こそ、与野党一致して緊急で取り組む姿勢が必要ではと。
 
同様に南海トラフの予測で
 
「過疎化や高齢化による人口減で、地方の市町村における財政力が低下し、災害対策に充てる予算が組めない実態がある」

その現在が日本全体で蔓延しています。過疎地の多くでは耐震化されない住宅も多いうえ、高齢者ばかりの集落では避難を手助けする人もいない。
南海トラフの想定エリアにおける孤立の予測される集落は10年前で約2,300の想定でしたが、他災害の予測も加えると全国的に加速的に日々増加しています。加えて、この予算問題から役場庁舎や避難所となる体育館や公民館ですらまだ耐震化されていない状態という自治体もやはり多いわけです。例えば現在の輪島市でも、避難所の不足から避難者の過密化が起こり、感染症(インフルエンザ)が止められない根本要因になっています。
 
つまり、施設面の災害対策重視なのに、その実行予算がない。結果、防災計画の機能不全を招き、管理運用面での対策が後手に回り、被害が拡大するというループに今の日本は入っていることが指摘できそうです。
 
ですので、とにかくこの運用面の改善(リーダーシップを行うヘッドを定め、そこに予算と権限を与えられること。現地に行かない人が作業服で官邸で会見するのではなく、金沢あたりで防災大臣と知事が日々の会見を定時、臨時で行う方が普通なのでは?とも思います)が火急で望まれるところです。

☆高齢化課題の表出化とこれからへの仮説

こうした上記、南海トラフでの予測にみられる高齢化という社会背景からの影響。それが今、現実化していると捉えることは、まず大事な一歩です。

上記リンクにありますように、熊本地震では災害における直接の死者は約50名と言われていますが、避難以降に亡くなられた方が約200名となっています。その8割以上が70代以上の方であり、環境変化に伴う呼吸器官系・循環器関係の疾患、内因性の急死・突然死でした。
 
奥能登の2市2町の高齢化率は令和2年で48.9%。約半数が高齢者ですから、本来の地域防災計画は、高齢者避難を基軸としたインクルーシヴなものであり、他自治体との広域な連携の準備も必要であったかと思います。しかし、実際には上記の予算や様々な状況でそれが出来ていない、あるいは実行できない現状にあると思われます。実際、先の令和2年当時の石川県調査資料でも「高齢者への配慮、地震時の安全性、省エネ性能に対しては約半数が不満を抱え」と書かれています。
 
ですので、このままいきますと、熊本地震時以上の確率で災害関連死が発生します。それを止めるために何が出来るのか?ということに集中する必要があるでしょう。
 
個人的な処方見解としては、高齢者におけるトイレ問題や睡眠の問題。そして、人と人の関係性の課題を考えるなら、なるべく早く、余震のないエリアへの遠隔避難が求められるのではないでしょうか?
 
そしてこの点で、僕自身が東日本大震災における内陸部への遠隔地避難。鳴子温泉郷を舞台にした遠隔避難者の支援経験からお伝えできることは「つながりの重要性」です。
 
鳴子温泉郷では100人以上を収容した大型ホテルよりも、20人以下の小規模な受け入れを行った旅館、施設の方が、明らかに避難者の心身が健康で、主体性優位な状況にありました。
 
これは、ホテルの中で個室に分断されて食事の時だけ顔をあわせるという形が、避難者の関係を分断してしまっていたということです。自分だけ、家族だけになってしまい、その環境から孤独、孤立を感じる独り身の高齢者が少なくなかったということ。

一方で小さな旅館や施設では、逆に寝るとき以外は共有のスペースにいて、何を話すわけでもなく家族のような空気感を醸成させているケースが多く見受けられました。小さな旅館ならではのマネージャーさん、支配人さんのケアにも感謝ですが、どちらが望ましいかは明らかだと思います。
 
公的機関も当然、この方向を加速させていくとは思いますが、自らの思い込みで良かれとついチェーン系ホテルをチョイスして分断を招かないか・には危惧があります。ケアマネージャー、コミュニティマネージャーなども含めた運営面。つながりの環境に対する配慮も行ってほしいと切に願っています。

ありがとうございます。頂きましたサポートは、この地域の10代、20代への未来投資をしていく一助として使わせて頂きます。良かったら、この街にもいつか遊びに来てください。