世界で一番高価なものが欲しい

 強欲だ。それはわかってる。でも欲しい。自分の行動原理を覗くといつも理由は同じ。好きなものも、やりたいことも、生きる理由も。

 それは、「評価」と「成長」。

 「世界で」一番高価と書いたが、あくまで自分の世界だ。成長の証をラグジュアリーみたいにぶら下げて、他人の評価を集めたい。
 この欲求が強すぎるが故か、他人との比較、優越欲求もかなり大きい。自分の中で毎回勝ったことにして生きてきた分プライドが高い。

 自分の苦しみや、弱い部分に本気で向き合う行動を人々は創作と呼ぶ。抱えきれないほどの苦しみや弱みは、形を変え人を飛び出し、また誰かに入っては感傷を作る。

 誰かに地雷を踏まれると笑顔がひきつる。会話が途切れる。自分が「会話」に神経質であったことを思い出す。そこまではバカやれてたのに。

 自分の弱い部分の具体例は特に苦しい。昔から記憶力が良く、その分恥ずかしかったことや笑えない大失敗も忘れることは無い。友達と旅行中エスカレーターでキャリーケースを落としたことがある。幸い後ろに誰もいなかった。その時の自分の感情は忘れることが無い。「無かったことにしたい」という思いは。

 クラスで隣に学年で一番かわいい子と隣になった。それが卒業前最後の席替えだった。仲良くなってコナンの映画(紺青の拳)を見に行った。二人きりで。だけどデート中一言も自分から喋れなかった。相手を意識してる自分を誰より意識してた。外聞を気にする自分を誰より意識してた。今でも名前を聞きたくない。

 もう俺のこんな話くどいか。挙げればきりが無い。どうせ一生忘れないから聞きたかったら言ってくれ。
 誰も読まなそうなnoteならここまで吐き出せるのに、身内や友達には冗談にできない。

 そういえば「カネ」も苦手だ。あんまり考えたくない。無限に出てくればいいのにと思う。学生の頃は無限に出てきた。親がお金を意識させない教育だった。大人になって、無限じゃないことがわかると急に惜しくなった。変なところでケチったり、変なところで気前が良くなったりするようになった。減る恐怖とそれを抑える、無駄な戦いが起こっている。財布のヒモがよくわからん結び目になっている。

 当然童貞だが何か?←逆ギレ
 彼女もいたこと無い。
 コミュ強を装っているが、正直何者にもなりきれてない。基本相手がコミュ力高ければ合わせられるだけ。評価欲の成せるワザか。

 このグローバルな社会で、比較対象が見える見える。対岸を見れば輝かしい、星の数の成功者。

 正直苦しい。過去のnoteも書いていて苦しかった。苦しみに差は無い。過去の苦しみも、今の苦しみもどちらも苦しい。

 これからも私のnoteは何か苦しみや弱みを吐く場所にしておきたい。文字は、1番楽で伝わりやすい良い手段だ。いずれここの文字が溜まったら(数十年後?)、文字以外の表現についても考えて良いかもしれない。これも評価欲求か?

 21歳になった。比較的苦しみを避けてきた人生なんだと思う。だからこの年でこんな幼稚なことと向き合わなきゃいけなくなってる訳で。
 やっぱり自分のありとあらゆる原動力に評価欲がある。何かやりたいことがあると、大体評価欲が形を変えただけであることが多い。
 劇的に変わるものでは無いと思うから、まずは自覚から始めていこうと思う。ただ、今やってることの内ほとんどに評価欲が絡んでる。

 これが果たして解けるのか。


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