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悩みは尽きない! 編集者の人材育成ってどうするの?

突然ですが、いまマネジメントの本を作っています。
マネジメントといっても範囲が広いわけですが、私、編プロのケーハクが扱うのは、いわゆる初心読者向け。入門書としてマネジメント全般が広く理解できるような作りになっています。

さて、この「マネジメント」というもの。いろいろ難しく捉えられがちですが、簡単にいえば「現状の問題を整理整頓して“いい感じ”にする」こと、だそうです。

あらゆるビジネスにおいて、仕事を効率的にうまく進めていくためにマネジメントは不可欠ですが、我々のような編プロの編集者にとってのマネジメントとは、具体的にどういうものなのでしょう?

マネジメントは、「こうありたい」という目標が設定され、その実現に向けてあれこれと策を講じていくのが基本です。

ここでは個人の仕事効率やブランド力を高めるセルフマネジメント的なものは一旦置いておきます。

マネジメントの主軸は人材育成

編プロの場合、会社から求められるチームや個人としての目標は、「売上」です(社会貢献のような理念的目標を除く)。まあ、どんな仕事も同じですよね?

売上=一件当たりの制作費(単価)×案件数

売上をアップさせよ! とミッションが下されると、制作費の単価を上げるか、案件数を増やすかしかないわけです。

では、これらをもう少し具体的に落とし込んでみます。

◎単価アップ
・実績や高品質という付加価値をつけて価格交渉や新規開拓を行う。

◎案件数アップ
・外注率を上げて個人のキャパ上限を拡大(単価=粗利は減る)。
・個人の作業効率を向上させる。
・新規顧客の開拓(コンペ含む)。
・社員を増やす(即時効果は少ない)。

ざっくり考えると、上記のような対策になるわけですが、編プロの編集者の場合、これらは、あるひとつのことに集約されていきます。

それは「人材育成」です。

単価を上げるには、制作物の品質が高くなければ論外ですし、しかも高い実績がなければ交渉すらできません。これらの品質と実績を作り上げるのは、編集者一人一人の力に寄るところが大きいといえます。

案件数を増やすにも、個人の処理能力(効率性)の高さはもちろん、ライターさんをはじめとする外注さんの協力を得るにも個人の編集スキルの高さは欠かせません(これがないとグダグダになりますよね?)。社員を増やすのも然りです。

結局のところ、能力の高い編集者を一人でも多く増やすことが、売上アップの具体的な施策につながります。なので、編プロにとっては「人材育成」=「マネジメント」の主軸になるといえるかもしれません。

反面教師の思いが強かった

ところが、この編集者という生き物。職人気質というか、クリエイター気質というか、私も含め、マネジメント(育成)的なことを苦手とする「プレイヤー」タイプの人が多いと思います。制作物に対して完璧主義というか、とにかく「任せられない」。作品至上主義になっちゃうんですよね。

かつて我々が若かった頃。自分が何のためにその作業をしているのか定かでないほど、放置されるのが当たり前でした。いわゆる「見て覚えろ系」の最たるもので、次から次へとやってくる仕事に対し、自分で何とかするしかない状態。当然退職する人も多かったし、入ってくる人も多かった時代でした。

そんな指導を受けてきた我々の世代は、「それではいかん!」と思うのは自然なことだったかと。

やがて社内で中堅クラスとなった我々の世代は、上の世代を反面教師に、人材育成の方法を改善すべく、いろいろと模索を繰り返しました。人によって指導法こそ異なりますが、総じて「丁寧な指導」に方向転換したのではないかと思います。

その頃、駆け出しのディレクターだった私も同様。手厚く「管理」することが、後輩たちにとってベストな手段だと考えていました。

後輩たちそれぞれの性格タイプによって、アプローチを変え、時に厳しく、時に励まし、それぞれに目標を設定し達成できるようにサポート。一見すると、お手本のような指導法かもしれません。ところが、そうは問屋が卸さないのが「対人」マネジメントの難しいところ。

「手厚い管理」の落とし穴

新人からディレクターに昇格するくらいまでなら、このやり方でも通用するかもしれません。なぜなら、その範疇にいる分には、自分の足で歩かなくてもよいから。しかし、その先は……。

ここで初めて、私は「手厚い管理」の落とし穴に気づきました。

ディレクターとして育ち、あとは自分で「なりたい理想」を目指してそれぞれ頑張ってと、私の管理を離れた「自由な場」へと送り出します。

「あれ?」

その後、自由な環境に送り出したはずの後輩たちは、日々の業務に邁進するだけで、周囲を驚かせるような、自身も納得する際立った実績を上げられずにいるようでした。やがて評価されない自分に悩み、評価されないことを周囲に責任転嫁するようになっていく……。

「実力はあるはずなのに、なぜそうなる? 自由なはずなのに……」

私は、自由の中で悩む後輩たちの姿を目の当たりにし、自分のミスを痛感しました。

私のミス。それは「自分で道を作ること」を経験として踏ませてあげなかったことです。目標の設定から、ステップアップする方法まで、具体的にアドバイスし、サポートしすぎてしまったのだと、まさに痛恨の極みでした。

当人たちの意思を主軸に

本来であれば、さらに新たな目標を設定し、課題を見つけ、実績や評価を高める具体策を自分自身で解決できるように導かなければならなかった……。いまでは「マネジメント=管理」だと勘違いしていたのだと反省しています。

放置されていたという過去の指導法を反面教師にするあまり、手厚く保護し、「任されることで養われる自己解決力」や「自分自身で考え、道を作り上げる力」を身につける機会を奪ってしまっていたのです。

このような過去の反省から、さまざまな試行錯誤を経たのち、いまは、「育てる」という意識をあまり持たないようにしています。それは「驕り」にすぎないと痛感したからです。

結局、人は「自分でなりたいと思う人間にしかなれない」。当人たちが望み、進みたい方向があるのだとすれば、話し合いながらそれに沿えるようなヒントを出す(こういう考えもあるかもね)程度。それくらいでいいのではないかと。(以前はバシバシ答えを出していたので……)。

実際、現在も手っ取り早く正解を求められる傾向が強いのですが、そこはグッと堪えて「ヒントおじさん」に徹しています(笑)。彼らの道は、彼ら自身にしか歩けないのですから。

現代のマネジメントは、統率型よりコーチ型が主流になってきたといいます。人材育成に正解はないといいますが(超難しすぎる……)、現段階での個人的なスタンスはそんな感じです。また変わるかもしれませんが……。

文/編プロのケーハク

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