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釧路が華やかだったとき~川本三郎『街を歩いて映画の中へ』より

昭和40年代初期、北海道白糠町で育った。釧路市の隣町であり、休日は、たまに釧路のデパートやレストランに行ったものである。白糠は当時人口1万人余りであり、釧路を大変な都会と感じた。もはや閉店しているデパートの屋上で遊具に乗ったことを覚えている。
川本三郎『街を歩いて映画の中へ』(82年、集英社)を読んでいると釧路の記述がある。
「翌日、釧路に寄った。ここは網走や根室と違って成長過程の都市で、人口も二十万人は超え、しかももっか増加中だ。製紙工場などの大工場も林立し、釧路空港があるため、東京からのサラリーマン出張組も多い」この記述から釧路賑やかなりしころを思い出してしまう。
しかし、その後、漁業、石炭業、製糸業と釧路を支えた産業が軒並み斜陽化し、活気の乏しい街となる。
最近、釧路を何度も訪れているが、なかなか反転材料がない。もう一花咲かせる手伝いができればと思ってはいるが。

#川本三郎 #釧路 #根室 #網走 #白糠

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