見出し画像

学生時代の淡い失恋は脳が作った虚構だったのか~昔の手帳で知る驚愕の事実

失恋が悲しい体験であることは間違いない。でも時間がたつとなつかしく、時に甘美な思いに変わることもある。
独身時代、コンパなどの飲み会では、武勇伝やモテ自慢は禁物。聞く人に嫌がられてしまう(ただ、自分は嫌いではないのだが、例外だろう)
対照的に、好評なのが失恋話。異性も食いついてくるのだ。
自分は大学時代の失恋話をよくしていた。就職後の人間関係は大学時代と重ならず、迷惑をかける人もいないという利点もあった。

夏休みのキャンプイベントで彼女と知り合い、帰りの列車でデートを誘った。彼女の住む港町で3時間程度のデートをした。話も弾み、盛り上がったので、2度目のデートを誘ったところ、「次は、キャンプでグループになったみんなで会いましょう」と言われる。遠回しにデートを拒否されていると直感し、関係はそこで終わっている。何気ない1シーンではあるが、なぜか記憶に残っている。

自分は掃除が嫌いなので部屋は雑然としているが、時々大掃除をする。そんなとき、昔好きで何度も読んだ本や雑誌などが出てきて、時に読み耽ったりふけったりする。
段ボールの底から学生時代に使用した手帳が出てくる。民法3部、行政法2部、商法2部など試験スケジュールが表記されている。さらに手帳をめくると大学時代のデートに関する記述も出てくる。この時期、自分は日記をつけていた。毎日書くわけではなく、時々まとめて書いていた。そのため、忘れないように、日記用に印象的なフレーズなどを忘れないよう書き留めていたのだ。
「男なのに甘いものが好きなんだ」「そのほうがいいですよ。わたしと気が合います」
眼を見つめながら話すと顔を赤らめる。
「サッカーしてるんですか? 男らしくていいです」
最後に振られるにしては、ずいぶんいいムードである。
さらに読み進める。
「サングラス外すとずいぶん、感じ変わりますね」
(自分のメガネには茶系の色を付けていたのである)
「キャンプのときに中学時代の同級生の女性と故郷で会ったと話してましたけど、今も会っているんですか?」
自分の話をよく覚えているし、女性関係を気にしているように見える。
「去年の8月に会ったのが最後だよ。実家が引っ越して、帰省することもなくなったし」
これは嘘ではない。この女性と故郷の喫茶店で1度会い、次に夜のデートをする予定だったのだが、予定より早く帰省を切り上げた。次の正月に会おうと思って電話をかけたが、彼女は明らかに気分を害しており、それ以来電話をかけていない。ただ、彼女とは3年後に取引先のビルで偶然会い、もう一度夜のバーで会うことになる。なぜか部分的な記憶しかないが、1度だけの再会だったと思う。
「この場所、夜はデートコースなんです」
思わせぶりなセリフ。こんなことを言って最後に振るのかと不思議に思うほど。

「講義終わった後、暇作れる?」
「ええ、作れます」
「じゃあ、来週の土曜日に会おうか?」
(笑いながら)「会いましょう」
「植物園に行こうか?」
「うれしい! 私一度行ってみたかったんです」
あれ? これはどう見ても次のデートへ行く展開である。「次はみんなで会いましょう」のセリフは書かれていない・・・

実際、3日後の8月18日に2度目のデート。
この記憶は全くない。
でも手帳に植物園と書いてあるし、行ったんだろう。
植物園でデートをした記憶がない。
彼女は自分が住む寮へ来たがったが、部屋があまりにも汚いので、断っている。
「髪、そのままか、もう少し短くしたほうが似合いますよ。風になびくようなのが好きなんです」
これは自分がキャンプの際に話した理想の髪形で、彼女はそれに合わせている気がする。
2度目のデートだが、喫茶店の費用を「いつも払ってもらって悪いから」と出してくれる。いつもと言っても2度目なのだが。
ムードがいい感じがありありで、続きそうな気もする。
3度目のデートの約束の記述。
ただ、これも記憶が全くない。
自然にフェードアウトしていったんだろうか。
どうして最初のデートで振られた記憶が強くあるんだろう。「次はみんなで会いましょう」というセリフは、最初にデートをした彼女が住む港町の景色と結びついている。
これは脳が作り出した虚構なのか。どうして? コンパの際にウケル話をしようと創作し、次第に事実として脳が認識したのか? 
謎が多い。別に今になって、「振られていなかったのか、やった!」という気持ちにはならない。釈然としない気持ちだけが残る。誰か、心理学的に分析してほしい案件である。
#大学時代 #デート

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?