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ロマンポルノ無能助監督日記・第24回[麻吹淳子『ビニール本の女』の頃、押井守さんから「うる星やつら」読んでる?と電話アリ

ちょうど今から40年前になる1981年正月、カルカッタから那須夫妻と帰り、1/6から昨年末まで撮影していた藤井克彦監督『OL縄奴隷』のアフレコを開始、1/19には五反田の東洋現像所(現イマジカ)で0号試写で完成、五反田駅前で監督、児玉高志チーフ、秋山みよスクリプターらと正月気分が残る鍋料理となった。
城戸賞落ちた話はしたろうか・・しなかったろうな。

この作品は、根岸吉太郎監督・風祭ゆき主演『女教師 汚れた放課後』と同時上映で0号から4日後の1/23に公開となっている。
4日後ですよ。全国30館くらいだったか、地方には、0号のプリントも行っていたという時代・・・

この年、城戸賞落ちた伏線が多少、回収されてくるのだが・・・

1月半ばには、ニューヨークのエンタメに生きる若者たちの“夢と熱”を描いたアラン・パーカー『フェーム』や、19世紀の退廃ロシア貴族青年の“焦り”を描いたニキータ・ミハルコフ(の名前を覚えて脳に刻印した)『機械じかけのピアノのための未完成の戯曲』などから衝撃を受け、高田馬場パール座あたりで石井(聰亙)くんや狂映舎のメンバーらと正月気分で飲んでいると呼び出され、『高校大パニック』ではチーフ助監督だった菅野(かんの)隆さん32歳のデビュー作『ズームアップ ビニール本の女』に就くことになった。
チーフは鈴木潤一さん。カメラは水野尾信正さんで『OL縄奴隷』から引き続いている。

これはとにかく7日で撮れ、というのが会社からの厳命だった。
『OL縄奴隷』の撮影は12日間だったが、ビデオの登場でロマンポルノ興業が衰退して来て、合理化の波が押し寄せていたのだ。
1/28インの2/5アップで、実際には8日かかったが。

スタッフも減らされ、カメラ助手が三人から二人になり、僕はカメラのスイッチ担当となった。
「ヨーイ、ハイ!」を聞いたら、カメラのスイッチを左手で押し、右手でカチンコを叩く。
時々間違えたが、通常であれば、本番前にカチンコでカットナンバーを入れるタイミングを常に迷っていたのを自分で決められるから、“気が利かない奴が気を使う神経”を使わないで済むという、ちょっと助かる部分もあったけれど、特機部も切られたので、移動車を押さなければならない時もあり、とにかく現場からは逃れられないし、毎日残業だし、体はキツイ。

菅野さんは、デビュー出来た喜びを素直に表現するようなタイプでは無いが、大きい体と体力に物を言わせて、ガンガン撮る感じで引っ張られ、体は疲れても不満が鬱積してゆくような感じは無かった。
スタッフの疲れって、監督の迷いから来る場合が多いんですよね。

テーマは「愛の不在」だそうだが、僕には良く分からない。

かねてから「毎日(シナリオの)直しを出したり、現場で悩んだりする監督は違うよな」と言っていた言葉通り、桂千穂さんのシナリオを全くいじる事なくそのまま撮り、剛直な映画になって、本人の顔つきで見ると、満足している訳ではないが、条件のなかで“やりきった感”があるように見え、編集で切るところも全く無いし、会社的には「優秀な使える監督が誕生した」という評価になった。

主演の麻吹淳子も『OL縄奴隷』から続いているが、この頃は堂々たる主演ぶりになっていて、美人度も増していた。
日活初出演は『あつく湿って』で、初主演は『白衣縄地獄』、1年前の『昭和エロチカ薔薇の貴婦人』も、トンさんの『若後家海女うずく』にも出ていて、おない年の僕とは何度も仕事しているので、ちょっと同志的な気持ちを抱いていた。

バストは89センチと立派で、顔と一緒に思い出すが、べつに“エッチ感”て沸かないものであるよな、同志のオッパイには・・・
谷ナオミを継ぐ“二代目SMの女王”と呼ばれたが、ロマンポルノ活動期間は2年で、意外に短い。

2月の震え上がる気温のなかで、廃工場ロケでの砂にまみれた全裸ファックシーンは迫力あった。相手役は北見敏之さん。

菅野さんも、この後『密猟妻奥のうずき』『生録盗聴ビデオ』と好評作を連打したが、83年の正月映画・三東ルシア主演『セクシードール阿部定3世』が失敗しちゃったようで、本人も「また“愛の不在”をやっちゃったよ、同じことばっかりやっちゃいかんよね」と苦笑いしていたのを思い出す。

撮影終わって、2/7の休みの日は、家でプラモデルを作っていた。

2号機のコロンビアが4月に打ち上げられる予定のスペースシャトルのプラモデルだ。時々、無性に作りたくなるのだ。
それまでも、アポロ月着陸船、ソユーズ宇宙船なども作っていた。
そこへ鈴木チーフから電話。
菅野組の打ち上げやるから、撮影所に来ないか、という。
鈴木さんは東大卒のアンチ体育会系タイプなので、「来いよ」、という言い方はしないで、“来たければ来ればいいでしょう”的な感じなので、とりあえず撮影所に行ったのだが、同期の瀬川と久しぶりに会ったので、ふたりで調布のアイホップ(当時ファミレスというものが流行りだして、そのなかではデニーズより高級感がある店)で夕食して、打ち上げ会場の居酒屋には寄らず、帰って、またスペースシャトルを作った。

べつに菅野さんが嫌いなわけでは無く、どちらかと言うと好きな先輩だったが、酒を飲むことが面倒だったのだ、僕は、当時。
みんなで酒飲んで、菅野さんと「愛の不在について」論じ合う気にならなかったのか、バイクで帰るのがマズいと思っていたのか(当時、バイクの飲酒チェックは殆ど無かったが)・・・仕事が終わっての酒ならお付き合いするが、わざわざ家から出向いて酒飲む気にはならなかったのに、わざわざ出向いてみたら、出なくていい口実が見つかった、ってことだったか・・・

その日をダイアリーには記録してはいないが、この頃、大学映研先輩の押井守さんから電話があり、
「金子、サンデーで連載してる高橋留美子の『うる星やつら』読んでる?」
読んではいないが、なんとなく知ってはいた。
手塚治虫で育ってCOMにも投稿して落ちたマンガ少年も、ロマンポルノ助監督となってからは余りマンガチェックはしなくなっていなかったが、「うる星」ナントカは、バイブル「サイボーグ009」の石森章太郎の線と似ていたし、中学の時にノートにボールペンで「ひまなやつら」というSF宇宙マンガを描いていて、「やつら」をSFのタイトルにするセンスが自分と共通してるじゃん、と思って、その女子大生マンガ家・高橋留美子はマークしていた。
それを、もうTVアニメにするの?へー、押井さんが?
(調べると、78年に少年サンデーで短期連載が始まり、80年からは大学卒業して同人作家から本格連載になっていたという)

押井さんは、「タイムボカン」の「ヤッターマン」や「ニルスの不思議な旅」で演出をしていて、TVで名前を見たことはあったが、録画してまで見ていたわけでは無い。
29歳になった押井さんは、この「うる星やつら」で初のチーフディレクターとなり、仕切れる範囲が大きく広まったが、
「アニメのシナリオ書かない?もちろん金は出せる」
という事で、自分よりキャリア下で多少話が通じる相手を必要としていたようだった。

僕は、もちろん書きたかったが、集まった脚本家チームはアニメライターとしてはベテラン揃いで、1話の星山博之さんは、僕でも名前くらいは知っていた。
そこに、僕を入れるには、「日活の助監督」というより、「城戸賞最終選考に残った奴」という事の方が大きかったようだ。
押井さんにも城戸賞に応募した「冬の少年たち」は読んでもらっていて、批評もしてくれて、新藤兼人よりは評価してくれたようだった(゚∀゚)

しかし後に会ったアニメベテランライターに城戸賞の話をしたら、
「ふーん、じゃあ僕より優秀なんだ」
と言われてドキッとして、それ以後はアニメ界隈では城戸賞の話をしないようにしました( ̄∇ ̄)

2/21には「小金井スタジオピエロに行く」とだけ書かれてある。
若いスタッフたちが学生のような格好でデスクワークしていて、当然、映画セットのような土の匂いはしない。
押井さんの同僚の女性ディレクターも綺麗だったなー
こっちも25歳のバイクでやって来た助監督だから、カッコいいと思われて、なにかドラマが始まってもおかしくなかったが・・・10/14がオンエア開始なので、この時期は半年ちょっと前ってことか・・・正式な発注はもう少し後であろうか・・・

翌2/22には、同期の企画・山田耕大から電話があり、「ニシさんが、出倉宏のホンじゃ撮れない、って言ってるから、ちょっと手伝ってくれない」
とのことで、やはりそこも小金井にあった荒井晴彦さん宅へバイクを走らせた。

第11回[西村昭五郎『蝶の骨』]でも触れているが、『制服体験トリオ・わたし熟れごろ』の脚本が酷すぎて、西村監督が「これは撮れまへん」と言っているが、出倉宏のホンは、第19回[小原宏裕『桃子夫人の冒険』]でも書いたように、それを元に直しをしていったらチャンとなる、というような代物では無いから、まったく新たに書き直さねばならないが、インの期日は迫っている(3/5)から、企画の山田も困って荒井晴彦さんにお願いすると、
「そんなの俺一人にやらせるなよ。ホン書ける助監督でも連れてこいよ」
と言われて、僕の城戸賞落選を思い出してその電話となり、荒井宅の門を開けると、
「なんだお前か」(加藤彰組『あつく湿って』で「脚本つまらないです」と面と向かって言った奴か)
となったが、帰っていいよとはならず、とにかく、荒井さんがオリジナルの起承転結を提案して、僕がスタートの3分の1を、山田が中盤を、ラストの3分の1を荒井さんがアンカーとして仕上げる方式で作業をやり出した。

主演は寺島まゆみ、北原里絵、太田あや子の若手女優三人で、「スキャンティーズ」と名乗って三人組を編成して歌も歌わせて、宣伝しようとしていた。

とりあえず、三人は高校生だが、全寮制の女子高校にして、そこをナチスの捕虜収容所みたいな感じにして、反逆チックな面白いストーリーとなったという記憶だけで・・・今は何も残っていない。

2/23は雪が降ったが、やはりバイクで行き、24は泊まって帰宅3時、25は帰宅5時、26は27に帰宅9時半というメモがされているが、午前なのか午後なのか判然としない。
荒井さんの御母堂に朝ごはんを作ってもらい、一人で食べて帰った記憶とか・・・
御母堂は「あんたの知り合いにしては、礼儀正しい青年ね」と仰ったと言われたとか・・・作業中は竹内まりやが流れていた、とか・・・

そうやって書けたシナリオだったが、ニシさんは、
「若い人にはおもろいのかもわかりませんが、これもワシには撮れまへんな」
と言ってボツになった。

そして、今度はニシさんが僕と山田を、撮影所近くの「たてべ旅館」に閉じ込め、「三人の女子高生が、爺さんを籠絡してヤって昇天させる話にしなはれ」
と、荒井さんより遥かにアバウトな起承転結を言って、僕らはとにかく、言われた通りに書いていった。

3/5には原宿でクランクインして、原宿で三人が出会って相談する場面は撮れて、3/6にまた、たてべ旅館でシナリオを直して、3/9~3/14まで、沼津の大きな別荘で、撮りあげた。
籠絡される爺さんは汐路章さんであった。

この別荘での記憶は、スキャンティーズが三人でお風呂に入っているシーンで、三人とも突然生理になっちゃった、という件で、こういうものは感染るものなのか?と驚いた事しか無い、すいません。

あとは予告編で「スペースシャトルに乗って、宇宙で恋したい!」と寺島まゆみに言わせた、とか・・
いったい、どんな映画になっているのでしょうか。
北川れい子氏にボロカス言われたのは覚えてますが・・・

一方、「うる星やつら」の方は、原作のマンガを、少年サンデーのコピーで読み出して、正式に決まったのは7/15になる。
とりあえずは、第2話の「宇宙郵便テンちゃん到着」と第3話の「ツバメさんとペンギンさん」を書くことになって、原作を研究していた。というか、読んでいただけだが。

それ以前の『わたし熟れごろ』以降は・・・
第8回で触れた[名匠・田中登に二度就いた]の二度目、4/8インの『もっと激しくもっと強く』の現場で泣きべそをかいた。

4/22インの再度の西村昭五郎組『開いて写して』では、新宿高層ビル街に吹く風を強調するため、大扇風機を現場で吹かせて、苦情で警察が来た。

自分が関わった組では無いので、ダイアリーに記述も無く、今やネットでも調べられないが、この年の秋、あるロマンポルノ撮影で、渋谷スクランブル交差点ロケを盗み撮りしている時、事件が起きた。

それは、男が日本刀(偽物)を交差点内で振り回すというカットで、それをやったら本当にパニックが起こってしまい、焦って逃げたお婆さんが転んで怪我をしたという事件で、セカンドで就いていた一期後輩の助監督・金澤克次が、彼のせいでは無いのにも拘らず警察にお世話になってしまうという事になり、新聞記事にもなって、それ以後、渋谷の撮影というものは、映画会社は一切出来なくなったのであった。
この記事アップ後、この映画に出演していた俳優・上野淳さん(『聖子の太腿』主演)から『団鬼六 女美容師縄飼育』と分かりました。これも麻吹さん主演。いずれにしても、ロマンポルノはじめ、映画に対する風当たりが強くなるのは当然とも言える象徴的な事件だわ・・・

5/11は小沼勝監督・風間舞子主演『遊ばれる女』がイン。

この現場が縁で、この後、小沼監督の自主企画『老女のたのしみ』の第一稿を頼まれる。
これは、荒井さんが書く前のドラフトというようなものであった。

更に、6月は・・・何から言ったらいいか・・・
日活本体とは別に、撮影所の製作調整部がビデオ制作に乗り出し、バリ島でロケしようという話になって、制作調整の松崎恒夫氏が、
「金子、パスポート持ってるよね」
と聞いて来て、
「もう映画は終わりだよ、これからはビデオだよ。バリ島でエロビデオ作ろうよ」
と言い出したのであった。
彼は、映画もテレビもプロデュース的なことはした事が無い。多分、新人時代に制作をやったくらいしか現場は知らないデスクだ。

今から考えると、撮影所長は樋口弘美さんだったが、実権は常務の若松正雄さんが握るようになっていて、松崎氏はその若松さんの直属として始めたプロジェクトではないだろうか・・・

あれは、何千万くらい無駄使いしたんだろうか・・・

バリ島じゃなくて、パラオになったけれど・・・

2020大晦日も押迫って来たので、この続きは、年越して調べてみます。

調べられるか・・・?

「まずい弁当食ってさ、遅くまで働く時代はもう終わりだよ」
と言っていた松崎氏、いま、どうしてるのかな・・・


・・・To be continued

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