ロマンポルノ無能助監督日記・第5回[根岸組『情事の方程式』でカチンコへの恨みを募らせる]

クランクインの何日か前には、自分専用のカチンコが、支給された。
今の現場では、新人助監督が、2万円も出してカチンコを買う、というのを聞いて驚く。
この「奴隷の鎖」みたいなものに、自分の金を出すのか・・・

あ、言い過ぎた?

赤白の踏切みたいな拍子木の部分は、叩いて跳ね返る時に「カチン!」と、高く乾いた音がする。跳ね返さないと、バコン!と鈍い音になる時がある。
だが、どうしたら実際にバコン!という音になるのか、法則性が分からない。
うっかり弱く叩いてしまうと、そう鳴るのか?
いまだに分からないんです・・・

拍子木の隙間に人差し指を入れおいて、叩く直前に外し、大きく開き、下方に向かう反動の勢いを利用して叩く。
叩いたら、また人差し指をサッと入れるが、タイミングを間違えて指を挟むと、血マメが出来る。

カチンコ叩きは、それだけのことだが、「カットナンバー」を入れる場所とタイミングが、よく分からない。その方が難しい。

小さな黒板に、白チョークでシーンとカットの数字を書き入れて、本番前にカメラを回して撮ってもらうのだ。1秒とか。

カットナンバーが入ってないと、編集の時に混乱するので、必要なものなんだが、それを助監督が「入れて下さい」と「お願いする」というところがひっかかる。なんでいちいち、「お願い」しなきゃいけないの?
そんなことに引っかかるのかオマエは、じゃあ、やめろよ、みたいな・・・

あとぉ・・・どこに出したら良いのか・・・

「そこじゃない!もっと中」「すいません」(“中”の意味が分からないけど)
「入ってない」「すいません」
「まだ早い!」「すいません」

それまでの人生で「すいません」と言って来た回数を、1週間で越えた気がする。

カチンコ入れは、周りのみんなから目線が注がれ、「早い」とか「ノロい」とか、「音がいい」とか「悪い」とか、いちいちチェックされて評価されている・・という自意識が強くなって、失敗すると瞬間的自己嫌悪に襲われる。
立ち直る前に、次の失敗をしてしまうことも多い。

カチンコ入れのタイミングは、その後、何年経っても苦手意識あった。

「餅つき」の、水を差すみたいな感じで、サッと出してスッと引っ込めるのが美しいイメージだと分かるんだけど・・・早く引っ込め過ぎて、「まだ回ってないぞ」と叱られること度々。

だいたい、どこに出すのが正しいのか・・・

カメラレンズから被写体に向かって、長方形を底辺とした「見えない立体台形」が、空間の中に出来ていると思いねえ。

その立体台形の中に、カチンコを差し出すと画面に映る理屈だが、その前に、立体台形の底辺=映画のフレームが分かっていないと、そこから立ち上がる「立体」がイメージ出来ないわけでござんす。

カメラを覗かんと、わからへんわ。
(カツドウヤは、江戸弁・関西弁・九州弁・おかま言葉がゴッチャ混ぜなんじゃ)

この立体台形がイメージ出来たとしても、助監督の立っている位置からだと、なかなかそこに行き着けない事が多い。照明部さんや、メイクさんが、いい位置にいるのを「すいません」と掻き分けて、台形の傍まで行く必要がある。
そこから、カチンコを延ばして、やっと台形の中に入れられる。

カメラマンの森勝さんは、恵比寿さまのようにふくよかな人で、いつも落ち着いていて、みんなに安心感を与え、

「金子、のぞいてみいよ」

親切にも、据え置いたカメラのファインダーを覗かせてくれた。
だが、覗きながら、生意気にも「ふんふん、8ミリと同じようなもんだが、ちょっと違うかな」と批評してしまうところが、「体で覚えない」原因だったのね、と42年経って分かる。遅いよ!

「金子よ、一年間はバカになって働けよ。みんなそうしてきたんだ」
と、ニコニコして言われた。
「は、はい」
でも、バカになりたくない、と心では思っている。なれよ!

森さんは、新人にサービスして、カメラを覗かせてくれたんだな。
次の機会、森さんが席を外しているとき、助手さんに「ちょっと、見させて下さい」と言ったら、
「仕事覚えてからね〜」と、さりげない笑顔で優しく言われてしまった。
嫌な感じはしなかったが、恥ずかしく思った。
鳥肌立つ瞬間的自己嫌悪・・・

プロデューサーの岡田裕さんが、カチンコを三年間やっていた、と言うのを聞いて「そんなのヤダー」と恐怖した。
もう、時代は変わってるだろう、こんなカチンコを三年もやってられるか、三年経ったら監督だと、根本副社長も言ってたろ・・・

また、50ミリ、75ミリ、100ミリと、レンズによってフレームが違う。
8ミリみたいに「簡単ズーム」は無い。
(ズームレンズはまた別だが、それを使う時は、光量を上げないとならない)

更に、ライトが当たって無いところに出したら数字が読めない訳だから、せっかくピッタリなところに出せてもダメなのだ。
逆光とかだったら、どうするの?
親切な照明部さんが、手持ちのライトを当ててくれる時もある。
ありがとうございます、泣けます・・・

いつの間にかカチンコが、通称「ボールド」と呼ばれている。
なんでか分からない。
「ボールド下さい」って、素直に言葉が出てくるようになったのは、どのくらい経ってからだろうか・・・結局、なってないかも知れない。
なんか、ひっかかってたんだよなぁ、「下さい」という言葉を使うのが・・・
「ボールド」も引っかかる・・・なんなんだ、「ボールド」って・・・

でも、最大の恐怖は、カチンコを叩きナンバーを入れるために、助監督は進行している現場の緊張感からは、一瞬たりとも逃れられないように仕組まれている、ということだ。
まるで奴隷の鎖のように・・・
でも、現場を離れなきゃいけない時もあるんだよぅ。離れたい時も・・・

だいたい、本来カチンコは、動きと音をシンクロさせるもので、現場で音を録らないでアフレコ(後で声を入れる。あえぎ声も)するロマンポルノには、そのカチン!は必要ないだろ。と、反撃開始。

カチン!という大きな音で、芝居を始めたら、その瞬間、俳優は緊張が必要以上に高まって、ナチュラルに出来なくなるんじゃないか?

・・・カチンコに対する憎悪から、金子組では、カチンコのカチン!は廃止した。
6本目の『ラストキャバレー』から。『1999 年の夏休み』も。
深津絵里はデビュー作でカチンコの音は聞いてない。

シンクロの映画では、カメラスタートしたらカチンと叩いてもらい、それ聞いてから金子が「ヨーイ、ハイ」と言っている。
でも、これ、特別なことじゃなくて、全世界共通だろ。

スタートのタイミングは、Director が“Action!”と言うことだが、日本だけが、「アクション」の後の「カチン!」になっている。

無能助監督が芝居開始を号令するのはおかしいだろ。
0.5秒くらい、監督と役者の気持ちがズレる場合が起こるだろ。

カチンコはどこでも、だいたい一番経験の浅い新人助監督に打たせる、その人が大事な芝居のタイミングを出す、っていいの?

いちいち打ち方がどうだの、入れる場所がどうだのとチェックしてたら、監督がイラついて、現場進行が止まるじゃん。無能助監督(俺)は、止めてたじゃん。
だから、廃止したんだ。廃止。カチンコ廃止ぃ、ザマーミロ!
・・・というのは遠い未来の話で・・・

セットの初日で、後妻の麻子(山口美也子)が敏彦(加納省吾)の部屋に入って来て、色っぽく挑発するというシーンで、根岸監督は、二人に丁寧に芝居をつけていった。
俳優をコントロールするって、こういうことか・・・
敏彦が根岸さんみたいに見える・・・乗り移ってるみたいに・・・と、感心・・・
・・・正直言って、後から記憶をそう解釈して感心しているのであって、その時は、ただボーッと見ながら、観察しつつ、どうカチンコを打とうか考えてるだけだ。

根岸さんがカットをかける時は、芝居とは別な方向を向いて、目を瞑り、2秒くらいしてから「ハイッ!」と言う。
なんか、かっこいいが、編集の時に、余裕を持たせるためだ。

戸浦六宏パパの出勤シーンも撮った。

敏彦は、学校へ登校する道で「朝一番の厚化粧」と、爽やかに呟く。

山口さんも、加納くんも、戸浦さんも、根岸監督を信頼しきっているように見える。

この時では無いが、次の現場での笑い話で、制作の服部さんが言っていた。

「根岸が監督になるまえに、山口美也子に好きな助監督、嫌いな助監督って誰だ?って聞いたんだよ。そしたら、顔しかめて“根岸さん、きら〜い。いちいち細かくてウルサイの”って、言ったんだよ。でさ、監督になって美也子主演だっていうから、“大丈夫なの?”って聞いたら、ニコニコして“わたし、根岸さんのこと、好きになりそう”だってさ。まったく女優ってのは・・ハハハ、監督になるもんだよ金子」

しかし、プロの現場は照明に時間かかるな。
なんで、こんなに時間かかるのか。
8ミリの方が早い。
・・・なんて思ってる新人助監督、困る、考えてないで働け・・・

最初のうちは定時である5時に終わっていたが、次第に5時を過ぎるようになり、「ツナギ」という名のオニギリが出て小休止。オニギリの中身は梅干し。
ゆで卵もある。セット内で皆んなで食べる。
その後、だいたい6時か7時くらいまで撮影は続く。

終わってスタッフはセットからバレ、短い打ち合わせも済んだ後、那須さんが「明日の勉強しようぜ」と言って、暗くなったセットに入って、自分で照明の一部を点けて薄明るくする。勉強って?
明日も、このセットだから、照明機材はそのまんまに設置されている。

明日の台本には、敏彦がリビングで一人でいる場面が書かれているが、特に何をするとは書かれていない。
そこで、那須さんは、
「敏彦にどんな動きをさせるかっちゅうことだよ、金子くん」
と言いながら、自分で台本を眺めながら、手を宙で回したりしながら、敏彦の動きを推理している。

僕にはさっぱり分からない。それは根岸さんが決めることで、予測しても無駄なんじゃないか・・・

「俺は、クマシロさんみたいなことをさせるんじゃないかって思うんだけどね、でんぐり返りとかさ、やるだろ、な」

神代辰巳監督の『青春の蹉跌』では、ショーケンが、鉄格子を手でバラバラと触りながら歩いているシーンがあって、それが、途中で邪魔されると、前に戻って、同じところから触り直して歩いてゆく、というシーンがある。

画像2


他にも、意味不明と言っていいような、不可思議な動きをするシーンがあって、それが、「青春の彷徨」を表していて面白かった。
宵待草』でも、高橋洋子が、道端で、でんぐり返りをしていた。
そういう演出がトレンドだったか・・・
「神代体操」と呼ばれることもあったが、俳優から「演技してる」意識を飛ばして、「映画の中の人」にする効果があったのでは。

でも、これまでのところ、根岸監督が神代監督に影響されているようなフシは見当たらない。

「根岸さんは、藤田敏八さんの弟子なんじゃないんですか?」

「まあ、パキさん一派だな。上垣さんも」

「那須さんは、誰一派なんです?」

「俺は、曽根さんだな」

曽根中生監督は、『嗚呼!!花の応援団』で有名監督になっていた。
那須さんが、2年前に入社してすぐの現場が、「応援団」だった。

翌日9時開始のセットでは・・・

敏彦は、このリビングで一人で佇むうち、ストリッパーの真似をする動きをしたりしながら、ソファを拠り所として、ゴロゴロと転がったりした。

その芝居をつけてる根岸監督を挟んで、僕と那須さんは向かい合っており、腕組みしている那須さんは、僕にアイコンタクトして「どうだい」という感じで、ニヤっとした。

5日めの日曜は、府中のドライブイン、羽田空港、新宿の成女学園でロケ。
(順番はさすがに分かりません)
この当時は、話の分かる学校があって、ロマンポルノに使わせてくれたのだな。

体育館で、ライトプレーンを飛ばすシーンが心地よい。
一条さゆり濡れた欲情』で、🎶ナカナカナンケ〜と唄っていた日活専属の高橋明さんが、インテリ趣味人の役だが、ちょっと似合わなかった。

画像1

夜は、十二荘のアパートの表を撮影。紋子(亜湖)のアパートだ。

この時、付近の住民が集まって、物珍しそうに眺めていたなかで「何の撮影?」と聞いて来た人がいたので「日活ロマンポルノ『情事の方程式』です」と、誇らしげに堂々と言ったら、制作の人に「バカヤロ言うなバカヤロ」と叱られた。
テレビの番組だということで、違う台本を持って、ロケ場所を確保していたのだった。

翌日は代休となっており、那須さんから、
「金子あした、ウチにメシ食いに来いよ」
と言われ、撮影の時よりハイテンションになって、犬みたいに嬉しく思った。
那須さんの家は吉祥寺で、三鷹の実家から自転車ですぐだ。
この頃はまだ、自転車で撮影所に通っていた。
「代休って、ホントに休んでいいんですか?」
と聞くと、
「ああ、いいよ、なんかあったら、やっとくから」
と言われて、昼間は吉祥寺スカラ座で『ベッツイ』を見て、そのまま住所を頼りに那須さんのアパートに行った。手土産を持つ、という気遣いは当然ない。

「いらっしゃい」
と笑顔で迎えてくれた奥さん、那須真知子さんは小柄で、黒いロングワンピースを着ていて、なんとも可愛らしく女っぽい人!と胸キュンとなってしまって、照れに照れた。
那須さんは「マコちん」と呼んで、真知子さんは「博之さん」と呼んでいる。

甘い新婚の雰囲気が漂っているが、那須さんは既に再婚だ。
学生結婚で財閥の令嬢と駆け落ちしたが、その一家の用心棒が、ある朝駆け落ち先に殴り込みに来て嫁を連れ去った、と言っていた。

真知子さんとはシナリオセンターで知り合い、同じ福島出身だからなのか、初めて会った瞬間に「おお、久しぶり」と那須さんが言ったそうで、すぐに恋愛になった。

真知子さんが「結婚してくれる?」と聞くや否や「するする!」と答えたという。「間髪入れずに答えたのが嬉しかったのよ」と真知子さんは、“するする”の口真似をして言った。

僕にとっては入れ違いの伝説の撮影所長・黒澤満さんが仲人で、一年前に式をあげ、その後、日活シナリオに一般公募で出した『横須賀男狩り・少女悦楽』が入選し、藤田敏八監督との共同脚本になった。凄い才女! 才色兼備!
話しているうちに、並みの気の強さの女性ではないことに気がついた。
・・・この映画、未だに見てないことにも今気がついた。

この日は、先輩助監督で、かなり年上のさん黒沢直輔さん、一期上の村上修さんも来て、渋い感じで盛り上がった。
・・・二人とも相当シャイで、目があった記憶が無い。
黒沢さんは、重鎮という感じで、那須さんも敬意を払っていた。
村上さんは、ジージャンの似合う寡黙な活動家・・・
・・・と書いて今思ったが、みんなどういう雰囲気だったかというと、学生運動の活動家の集まりというのが近い。盛り上がって騒ぐというのでは無く、映画のことを延々話していた。ビールが美味かった。料理も美味かった。
タバコは吸ってただろう。
僕は、タバコというものを吸ったことは無い。
監督になってから、数本吸ってみたが、毛細血管が痺れた。

「毎年、面白いやつが入ってくるよね」
と、那須さんが言った。
村上さんに続いて、僕が、という意味だ。凄く嬉しい。

「まだコドモだよ」
と真知子さんが、この時、言ったか・・・この時は言わなかったろうが、この後さんざん「金子はコドモだ」と言われ続ける。

日活に入って、一番楽しい、と思った日だ。
・・・黒澤満さんから、電話で「弔辞よんでくれ」と言われたことも思い出しちまった・・・

那須さんに、いい監督になるには、どうしたらいいんですかね、と聞いたら、
ズバリひとこと、
「経験をつむことだよ、うん」
と、言って、ウンウンとうなづいた。

翌日のセット開始の前に、チーフの上垣さんが「お前、なんで昨日来なかったんだよ」とムッとした顔で言う。

「あ・・代休だったので・・」

「助監督に休みは無いんだよ」

「すみません」

那須さんの家に行ったことは言わず、思い返していた。

僕が『ベッツィ』を見てる時、那須さんは、撮影所に来て、今日の準備をしていたのだった。


…to be continued


(以下は、書いたけど文章にハマらなかった部分になります)

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