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ロマンポルノ無能助監督日記・第33回[岡本かおり主演・鈴木潤一監督『宇能鴻一郎の濡れて学ぶ』で脚本チーフ出演、不評の嵐が伏線と・・

『家族ゲーム』の仕上げ(ダビング)を抜けて、鈴木潤一監督『宇能鴻一郎の濡れて学ぶ』の脚本とチーフに指名され、撮影所・大江戸食堂での打合せに参加したところ、鈴木さんは「岡本かおりに宇能鴻一郎は合わないよ。宇能鴻一郎なんてもう古い」と言い出して、プロデューサー・秋山さん、企画・成田さん、企画助手・小松君らは一瞬フリーズしていた。
おいおい、この映画は宇能鴻一郎じゃないんか・・・

なるほどそれは「会社からのお仕着せ企画」だったろうが、巨匠・衣笠貞之助のスクリプターからキャリアを始めてプロデューサーに至っている大ベテランの秋山みよさんからすれば「鈴木、アンタ何様のつもりよ」という顔をしていた・・確かにそういう発言もあったと記憶する。
だって、宇能鴻一郎って決まっていることなんデスから、受けた監督が、今そう言うってコレはどういうことなの?どうなるの?脚本は・・・

ウイキペディアで「宇能鴻一郎」を検索すると・・・”「あたし〜なんです」等、ヒロインのモノローグを活用した独特の語調は、夕刊紙やスポーツ新聞への連載で一時代を築き、金子修介の劇場公開初監督作品『宇能鴻一郎の濡れて打つ』など、数十本が日活ロマンポルノなどで映画化されている”
なんて、とても名誉なふうに書かれていて驚くが、“数十本のロマンポルノ”を調べあげる気力は湧いて来ない。
だが、このように書かれる事の発端が、『宇能鴻一郎の濡れて学ぶ』だったのかも、と思う。長い話になるが・・・

日活の初宇能鴻一郎モノは1973年の曽根中生監督『ためいき』(立野弓子主演)かも知れない・・・ネット調べしてみるまでは、泉じゅん主演・白鳥進一監督の『感じるんです』だと思い込んでいたが、これは76年である。※泉大八原作だという指摘ありました。
76年からなら、キネ旬決算号で宇能鴻一郎モノをリストアップ出来るけど、その気力もちょっと・・・とにかく、数が多いので「定番感」があり過ぎて、監督が腕をふるえるような気がしない、というのが鈴木さんの気持ちであったのだろう。

親父が買って来た週刊誌から、いやらしい小説を見つけてコッソリ読んだのは中学生からで、確かその頃から宇能鴻一郎の「あたし〜なんです」というパターンが始まって最初は新鮮で、読んでは女の気持ちになって“女はどうされるとエッチ官能気分になるのか”想像して興奮した覚えはあるから確かに古いです。始まったのは60年代末。
だから、鈴木さんの言い分もよく分かる。
鈴木さんは何時だったか「モアリポート」が面白いと言っていて、それで僕も買って読んだが、これは、リアルな性告白書で、「私は○歳から机の角を使ってオナニーを始めた」というようなOLや若い主婦らの告白が何十人ぶんも細かく読めて、その一人づつ違う性体験の千差万別ぶりに驚かされたものである。

「女性にも性欲がある」という言い方がされだしたのは、日本では80年代に入ってから、ちょうどこの当時で、それまでは、「男性が刺激しないと、女性の性欲は目覚めない」という考え方が支配的で、宇能モノは、その世界観のなかにあったと言っていいだろう。
また、宇能モノでは、「刺激されるとすぐ感じて」しまい「快楽が全ての行動に優先する」から「ちょっとおバカ」なキャラクターに女優をハメてしまう、というところはあった。

一方、鈴木潤一さんは、僕の日活受験の時の試験官で「面接で変わったことを言っても受からないよ」と言い放っていた東大卒の3年先輩で、日活助監督部では、僕と並んで浪人留年経験が無い人で、だから何故か4歳年上ばかりが多い助監督部においては僕の次に若い人であったが、81年に『婦人科病棟やさしくもんで』で監督デビュー(ウイキペディアには無掲載)、82 年に僕が初チーフ助監督で就いた『女教師狩り』、そして、『家族ゲーム』の撮影中に見た岡本かおり『お姉さんの太股』と3本続けて順調に監督していて、これが4本目になる31歳。
(僕は6月生まれなので、この時は27歳)

『お姉さんの太股』は僕も面白く見て、岡本かおりは溌剌としていたなと思い、会社も、“鈴木さんと岡本かおりの組み合わせが成功した”と思ったからこの企画があがって、“宇能鴻一郎で更にエッチにやって欲しい”ということになったのであろう。

鈴木さんとしては、“岡本かおりの良さを引き出した”という自負があり、森田さんが『噂のストリッパー』で創造したスポーティだが少し地味な感じのヒロイン像に比べて、積極的なエッチさぶりが“今”的で、それを作った自分が、彼女の良さを分かっていながら“古風な宇能鴻一郎の型にはめる仕事はしたくない”という気持ちになっていて、我々に「分かって欲しい」という気持ちだったろうが、言い方は「君たちも分かるべきだ」という態度に見えていたところが反発を招いたのだった。

企画部としては、女子大生がエッチなバイトをしてゆく話にしたい、という要望があったので、この頃、深夜のテレビ(トゥナイト)でピンク映画の監督である山本晋也さんがレポーターになって、エッチ産業の実態を面白おかしく報じていて、「みんな、ほとんどビョーキだよ」という決めゼリフを使っていたので、『濡れて学ぶ』での僕の第一案は、“エッチバイトの元締めが山本晋也みたいなキャラで「ほとんどビョーキカンパニー」を運営していて、そこに登録している女子大生たちの物語”というものであったが、鈴木さんは、そういう迎合したようなものにはしたくない、と言って、もっと普通の女子大生の青春を描きたい、と希望した。

どういう議論だったか詳細までは思い出せないが、成田さんは、「何やってもいいが、宇能鴻一郎の定番イメージは外すな」と言い、鈴木さんは「中原君の『宇能鴻一郎の姉妹理容室』見たが、ちっとも宇能鴻一郎的じゃないじゃないか」と、『お姉さんの太股』の次の番組で、いま封切られている中原俊監督作を例にあげて抵抗した。
確かに『姉妹理容室』はナンセンスな笑いでは無く、下町話ふうになっていて、宇能鴻一郎的とは言えない。

鈴木さんとしては中原君は良くて、自分が許されないのは理不尽に感じる。
が、成田さんからすると、中原は“作家”として認められつつあるが、鈴木はまだそこまでにはなっていないだろ、ちゃんと会社の要請通りの定番映画が作れるのを証明してみろ、という段階で、確かにサベツは歴然としてあるのと、「中原が少し宇能モノを曲げてしまった」から、ここで元に戻そうという企画部全体の意図もあった。
しかし、最後には、いったんは鈴木の好きにさせてロングプロットを立ててみようということになり、僕と鈴木さんとで、3/3「藤美」という旅館に入った。

藤美では、「ほとんどビョーキカンパニー」の話は持ち出さず、鈴木さんの構想通りに、地方出身の一人暮らし女子大生の生活を、岡本かおりのビジュアルで想像し、彼女の友人関係、恋人関係、初体験、失恋から立ち直ってゆく姿・・・というストーリーを、もちろんこちらも頭をひねってアイデアを出してふくらませつつ、レポート用紙に書いては直しを繰り返した。

鈴木さんは、熱い人ではないが、理不尽なことは言わないし、理論的な人なので、そんなに困ることなく、丸2日、基本的には楽しくストーリー作りが出来た。

これは青春映画だ! 東宝の、でもハダカありの、みたいな。

いまだったら今泉力哉が撮ってるような感じのものとでもいうか・・・
寺脇研さんが絶賛するような感じ(笑)でもあり、これ、鈴木さんの評判上がるよな、俺もライターとして名前が知られるようになるだろう、という気がした。「ロマンポルノでも、このように爽やかな青春映画が出来ることが証明された」みたいな批評がキネ旬に載るだろう、と、もう見えてしまったよ、フフ。
が、2日目の夕方に成田さんがやって来て、一読するなり、
「これは宇能鴻一郎ではありません」
と、断言。
これを脚本にすることは許さない、と言って、プロットのアタマから、逐一批判していった。
鈴木さんは、当然抵抗したが、成田さんに権力があるのは分かっている。
その権力が、2日かけて作ったプロットを全否定だ・・・
僕が黙って聞いていると、鈴木さんは「金子君も何とか言えよ。君だってこれ書いていて、思い入れあるだろう」と珍しく感情的になったが、そう言われてもなぁ、と思っていると、成田さんが「金子に責任を押し付けるなよ、鈴木がやりたいように金子は書いただけなんだから」と、僕には何も言わせなかった。

それで、結局、僕は鈴木さんと引き離されることになり、「ほとんどビョーキカンパニー」のストーリーを一人で書け、と言われたのである。
3/6の日曜日に家で1日構想を立てていたが、「能率あがらず」と書いて、バッティングセンターに行ったりしている。
3/7の月曜には、新宿「くらわんか」で、成田さん鈴木さんと3人で飲んだ。
鈴木さんは、冷め切った顔で僕の「ほとんどビョーキカンパニー」の構想を聞いて、多少の意見を言ったし、多少の笑いもある会合で、成田さんとしては、やりたいことを押し潰した鈴木さんに気を使って酒で宥めた、ということになるだろう。鈴木さんは別に酒好きでは無いが。
成田さんと鈴木さんは同期入社であった。

「ほとんどビョーキカンパニー」は、名前以外、特に何も考えていなかった。
あと、主人公は「道玄坂大学」だとか「お茶の葉女子大生」だとか、その程度の構想だったから、一人になると、煮詰まってしまった。

映画のファーストシーン、道玄坂大学の桜みどり(岡本かおり)は、満員電車で痴漢にあってるが、それはバイトとしての芝居で、ホームに降りたら痴漢が5千円出して「興奮したぁ、スリルたっぷり。これで今日も仕事に打ち込めるよ」と礼され、「お仕事がんばって下さいね」と送り出し「あたし、こういうアルバイトして学費にあててるんです」と宇能的ナレーション。

ポケベルが鳴り、所属の「ほとんどビョーキカンパニー」の所長・山本(錆堂連)に電話すると、狭いオフィスで受けている山本から「次は渋谷駅に行ってちょ」と言われるが、みどり「授業に遅れちゃう、厳しい先生で落第しそうなんで」
山本「落第はまずいよ、道玄坂大学の優秀な学生ってことでお客さん来るんだから。出なさい、それでその先生、お色気でやっつけちゃいなさい」

みどりが大学に行くと、憧れのマラソンランナー・青田先輩(永田豪志)に会う。

彼もかおりを好きでいながら好きとは言えない直情径行の堅物人間で、国立競技場付近で待っているかおりと一緒にジョギングして、そのまま渋谷のラブホテルに入ったかと思ったら反対側から走って出て来てしまうとか、牛乳を一気飲みする、とか、そういうマンガ的キャラクターを作ったが、金子お得意のアニメ感覚という所までには至らず、ギャグは爆発的にはならないな・・・
宇能鴻一郎的、という縛りがあったからか・・・

みどりは単位落としそうな国文の授業の赤松教授(鶴田忍)を自宅マンションに呼んで、真面目で厳しいので誘惑されてる意味が分かっていない教授を、酔ったふりしてお色気で籠絡、ベッドに押し倒してパッパと脱いで騎乗位になって「いかんいかん」と言ってる教授に自分で挿入して気分が良くなってくるとか・・・書いていて、これ下らなすぎる、なんとかならないか自分、と苛立った記憶がある。
これをベランダから必死に覗いていた青田先輩は、みどりにあげるために花束を持っていたが、墜落して大怪我する。
墜落を花びらのストップモーションで表現した鈴木さんの演出には、ちょっと感心した。
セカンドの時に就いてバカにしていた某監督などよりは、鈴木さんはちゃんと撮れる人で、正確な演出をする。

ライターとしての金子は、主人公であるみどり自身のドラマ=葛藤を作れないまま、「ほとんどビョーキカンパニー」を経営する山本の、ビルの窓から渋谷の風景を眺めて演説するようなセリフ、
「見たまえ、世界で最も文化が進んでファッションも優れているのはこの東京だ。だが、性を抑圧している面もある。君たちは、それを解放して人類を救う、言わば、愛の戦士と言えるんだよ!」
と言う変な理屈のセリフは思いつく。
そう言われると、岡本かおりが、真面目な顔して「愛の戦士!」ときりっとして胸を張ってエッチバイトに「戦いに」行く、というようなおかしげな理屈も思いつく。
どれだけバカバカしく恥ずかしいことをやるか、と考え、褌して裸で踊ったら恥ずかしいだろう、と「アカフンディスコ」を思いつく。

こうして1週間(3/9~3/15 )で書いた第一稿は、相当、不評だった。
秋山さんの家に行って、徹夜で直した。
更に直して、3/25には『家族ゲーム』予告の編集をやっている。
また直しを続け、3/29は予告のダビングだ。

アカフンディスコは採用になった。

一段落した4/3ダイアリーの記録に、本多劇場で「夢の遊眠社」の『大脱走』を見て、実家に夕食に寄ったら「父の立候補を知る」と書いてある。
父・金子徳好(当時58歳)が港区長選挙に立候補したのである。
六本木の日活本社の直ぐそばに選挙事務所があったので、『濡れて学ぶ』撮影中の日曜日に、ひやかしに行ったこともある。
現職区長が圧倒的に強く、自民党も社会党も推薦していて、6党推薦だったか。
対する父は共産党推薦で、1党VS6党で当選する気遣いは無いが、本人の強い希望で、党公認ではない「無所属」としての出馬だった。
無所属の方が、反戦民主勢力を結集出来る、という考え方である。
かなり、共産党から無理矢理に引っ張り出されたふうだったが、
「選挙ってもんは、やってるうちに本気になって、投票日が迫ってくると、当選するかもっていう気になってくるもんだな」
と、後から言っていた。

意外と票が延びて「次点」ということになったので、もし半年以内に現職区長が死んだら区長になってしまう、という笑い話をしていたら、一年経たないうちに現職が亡くなった。
ギリギリ区長にならずに済んだ、という、これも実家では笑い話になった。
日活関係者からも「区長の息子」と言われてからかわれた。

・・・ということが、4/6~4/18の撮影期間(実働9日)のあいだに起こった。

『濡れて学ぶ』のストーリーに戻す。
僕は半ばヤケクソ気味に、ハードゲイ役で出演し、女言葉を話す男役(井沢清彦)とディープキスした。
このハードゲイは、レズを見ないと興奮しない。
みどりとお茶の葉女子大学から来た新人の桃子(島崎加奈子)は、全裸でレズをして彼らに見せるバイトをしていたのであった。
僕は井沢君と舌を絡めてみたたが、特に何も感じなかった。演技だと割り切っていたから。
人生で男とディープキスしたのは、その一回だけである。
ただ、鈴木さんは編集で、そのカットを切ったので、映画にはディープキスは写ってない。気持ち悪かったのであろう・・・
相手男子と股間を触り合いながら、僕は「潤一!、潤一!」と叫んだ。
この映画のタイトルには、脚本、出演、助監督と、3回も「金子修介」が出てくるのでチト恥ずかしい。

アカフンディスコは、鈴木さんも開き直って、セットを建て、きちんと映像化した。
3人のメンバーをお立ち台に乗せて、踊らせた。
もう一人の咲子(水月円)は高卒という設定で、「ほとんどビョーキカンパニー」内にも学歴差別があることを描こうとしていた。
岡本かおりは、楽屋ではかなり嫌がっていたが、撮影が始まりセットに入ると、パッと気持ちを切り替え、全く嫌な顔を見せずにアカフン以外は頭にボンボン飾りを付けただけの姿でダンスした。
現場での彼女の明るさは、救いだった。

みどりは、強姦ゴッコの仕事で林の中で襲われて相手(深見博)を本気で蹴ってしまい、途中休んで、「もっとイヤー!だとか助けてー!だとか可哀想な悲鳴をあげて下さいよ」と言われ、「そうですね」と演技再開、さんざん弄ばれたあとで挿入、その最中に、松葉杖の青田先輩が通りかかり、男を松葉杖で殴り、「これ、演出し過ぎじゃないの」と泣く男を撃退。
みどり「あの人がお客さんだって言いそびれちゃったんです。それに、あたし、青田先輩に助けられたことが嬉しくて・・」
のナレーションの後、自宅で牛乳を一気飲みする青田との激しいセックスとなり、青田がプロポーズ、新幹線で九州へ行く話となり、青田の博多弁が炸裂「駅におふくろ待ってる。電報出したから『未来の嫁さん、連れ帰る』って」
だが、みどりは発車ベルが鳴るなか「やっぱり私行かない、きっとあなたとは合わないわ」と言ってホームに出て、すがる青田に「いい思い出ありがとう」と言って発車する新幹線。

最後、セットの上から、なんとナチスドイツ・ハーケンクロイツの旗を下ろして、そこからクレーンダウンするという演出となり、ダビングでワーグナーの「ワルキューレの騎行」を入れた。その音楽を被せながら、裸でアカフンの美女3人がステージで踊っている。シュールを目指しながら、シュールになりきれないもどかしさがある・・・なんか、どういう意図なの?みたいな感じになってしまった。
「ワルキューレの騎行」は山本が「愛の戦士」の演説をするところにも流れた。
山本の腕にはハーケンクロイツの腕章が・・・
これは脚本には指定していない、鈴木さんの演出である。

赤松教授はアカフンディスコの呼び込みとなって、ハッピ着て店前で客寄せしている。
この展開は、マレーネ・デートリッヒ主演の名作映画『嘆きの天使』(1930)へのオマージュのつもりだった。

みどりがホテトルのバイトでビジネスホテルに行くと、父親(野上正義)が客だった。
お互い、「あーっ」「あーっ」と指差し合って驚く。

父がみどりを田舎に連れ帰る新幹線で、窓から見た東京の高層ビルを見たみどりは発情「ジュンとなってしまったんです」。父は「どうした」とみどりを触りながら、「スカートのなかぁ」と言われるままに触ってゆくと、喘ぐみどり。
ナレーション「あたし、お父さんにアソコを触られて、自分が『愛の戦士』だったことを思い出したんです。これから、お父さんと戦わなくてはなりません」
と悶え、父は「どうだ、どうだ!」と座席で娘を触りまくる。
新幹線の走るロングショットに・・
「皆様 悪いビョーキがはやっております おからだご自愛下さい」
というタイトルがスーパーされて終わる。
このタイトルは鈴木さんが入れた。

4/22のオールラッシュでは、ワルキューレなどの音楽は入ってないが、とにかく不評だった。
コメントをダイアリーに記録してある。
樋口社長「山本の演説、アカフンディスコとしんどかったなあ」と切り出して次第に興奮してきて「アカフンディスコは目高のカットバックばかりで工夫がない。脚本段階ではもっと面白くなると思ったのに、若手のホープがこれでは困る」
(「目高のカットバック」というのは、カメラが同じ高さで、180度のカットバックすること。「若手のホープ」とは鈴木さんのこと)
若松常務「タモリが毎年暮にゲテモノ食いをやるが、それを思い出して笑えないよ」
佐々木史郎・企画部長「企画が悪い」と一言。
成田さん「人物をカリカチュアし過ぎなんだよ」と怒り、小松君「脚本の段階で、何がどうしてどうなった、という点が抜けていた」と自己批判。
僕も「反省する点は大いにある」と天井を向く、全くひどい映画を作ってしまったと頭を抱え込み、何をする気力もなくなってしまった。
・・・と、書いてあるが、そこまで思っていたのかぁ、と感情としての「記憶」の方は抜けている。
ただ、重苦しい合評会の雰囲気は良〜く覚えている。

翌日はアフレコのリテークとなり、社長は会社内の階段のところで僕とすれ違い「昨日は言い過ぎたかな」と気弱そうに言った。
僕が「音楽を入れればテンポは出ますよ」と言うと、「そうかい」と、いいオジサンのように笑った。

ダイアリーの記録はこれだけだが、鈴木さんが大失敗作を作った、というのは撮影所じゅうに噂として広まった。
合評会の後、鈴木さんは「俺、若手のホープだったの?」と苦笑いしていた。
その“若手のホープ”は、この後、2年間干された。
2年ですよ。
その2年の間に、僕が監督デビューして、4本撮り、一般映画まで撮っているから、僕が、その座を奪った、と言えるのかも知れない・・・オソロシ・・
計画的に酷い脚本を書いて、鈴木さんの足を引っ張り、その座に入れ替わった、というような・・・
・・・しかし、ワザとひどく書いた訳では無いです、お分かりのように。
・・・しかし、今、filmmarksなんかで『濡れて学ぶ』を見ると、意外に好評で、『お姉さんの太股』は見る機会が失われているから、比べようが無い。
今だと、面白がってくれる人が多いようだ。

この年末、正月映画・小沼勝監督『奥様はお固いのがお好き』で脚本も書いてチーフやっていたが、主演の五月みどりさんと小沼監督が上手くいかず、小沼さんが降りたら、俺は正月映画で監督デビュー出来るかもフフフ、なんて思っていたら、撮影中の11/9に社長室に呼び出され、若松常務が「いい話ですよ」と言う。

社長室では樋口社長から「山本奈津子主演で『宇能鴻一郎の濡れて打つ』監督、やってくれますか?」という言い方で監督内示を受けたのであった。

企画は『濡れて学ぶ』と同じく小松君で、「宇能鴻一郎的に」というのは耳タコであったが、その時点で原作を確認すると、東京スポーツで連載12回目くらいであった。
「あたし、女子高のテニス部員なんです」から始まり、その女子高生が、1回目から12回目まで、ずっと、エレベーターの中で、「オジサンからいやらしいことされてるんです」だけの話で、ストーリーのネタは無いのだ。
だが、女子高のテニス部員ということで、「エースをねらえ!」を思い出していた。マンガというより、出崎統監督のアニメの方をである。とても好きな映画であったし。脚本の木村智美に「エースをねらえ!」のビデオを見せたのであった。

監督デビューの噂が広まり、食堂の前で、岡本かおりに会った。
「金子さん、監督になるんだってね、おめでとう!、わたしも嬉しい」
と言ってくれた。
「ありがとう」
「どんなやつなの?」
「『宇能鴻一郎の濡れて打つ』ってやつで、山本奈津子が・・・」
と言ったとたん、
「なんだぁ、宇能鴻一郎かぁ、なんだぁ」
と露骨にガッカリした顔して去って行った。怒っていたような表情だった・・・

だが、結果、『濡れて打つ』で「エースをねらえ!」のパロディをやっても、会社の重役たちは「エースをねらえ!」自体分からないから、「爽やかな青春映画になっている」という評価を頂いたし、宇能鴻一郎的であることは、問題にもならないほど、「あたし、〇〇なんです」がハマったのであった。
物語の骨格もしっかりしていたし。だから、ウイキペディアにもそんなふうに書かれているんだな、と思います。

あ・・・監督になっちゃったら「無能助監督日記」どうしよう・・・

今回は、無能というより「足引っ張り助監督」なので無料で・・・

to be continued  にする? 『奥様はお固いのがお好き』のタイヘン書かないとか・・・


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