見出し画像

わたしと迷走神経

※この記事は、映画「殺人鬼から逃げる夜」のネタバレを含みます。

「耳かき嫌い」で卒論書ける

自分で耳掃除ができない子だったから、小学校まで母にしてもらってました。奥の方に当たるときの痛みや不快感が嫌いで、そもそも棒状のものを耳の穴に入れることが信じられなかった。母は腕利きの耳かき師ではないので、気付いたら終わってた!みたいなことはないんです。「耳垢は勝手に出ていくから別にわざわざしなくていい」を盾にこれまで生きてきました。これがプリントされたTシャツを毎日着ています。いや心のTシャツの話です。

小学校入学。耳かきをしなければならない理由ができました。その頃わたしはスイミングスクールに通い始め、7年間続けました。昇級するごとにキャップにバッヂが増えるんです。月末コーチから昇級の証であるバッヂを受け取り、それを母に渡します。給与袋に見えたでしょうね。その夜、キャップにバッヂを縫い付ける母を眺めるのが好きでした。とても誇らしかった。そんなある日、片耳が聞こえなくなりました。スイミングスクールを休んで耳鼻科に行きました。耳に残った水が耳垢を固まらせて鼓膜付近で詰まっていると言われました。「これのことか」と思いました。母はこれを懸念していたんです。わたしはある時から母の耳かきを拒みました。苦労をかけたと思います。「ねぇ見えてる?穴の中ちゃんと見えてんの!」半ば強引に耳掃除を中断することが増えました。母は「ちゃんと見えていればいいのね?」と言ってライト付き耳かきを買ってきたこともありました。そういう問題じゃなかった。もう自分でやるからと嘘をつき、耳掃除を怠った結果でした。
耳鼻科で詰まった耳垢を除去してもらった時の体験が今日までトラウマになっています。薄暗い診察室に薄気味悪い医者と補助係が数名。クソでかいアームのついた耳垢除去機を引っ張ってきて、耳の近くまで持ってくるんです。自分を落ち着かせるために「もうどうなってもいいや」と恐怖を諦念で打ち消そうとしました。補助係がスイッチを入れると、業務用掃除機みたいな爆音が鳴って、なんか説明してる医者の声は聞こえなくなりました。「ああこれ吸引型なんや」と思いました。「ちょっと痛いかも〜」だけ聞き取れて、あとは瞼の裏に広がる水の中にいました。固まった耳垢が外耳道の壁から剥がれる瞬間、痛すぎてボロボロ泣いた。

今じゃ一般的になっていますが、そのころ先端がスパイラル型になっている耳かき器が出回りました。ネジ型の凹凸でこそぎ落とせるやつ。「こいつなら何とかしてくれるかも」と思いました。柄がボールペンみたいで握りやすく、今どの辺に当たっているかが分かる。それが良かった。ひとりで耳掃除ができるようになった息子の成長を母はどう感じていたんでしょうか。

耳かきが好きな人は耳垢を取るという本来の目的から外れている

妻はそういう人で、ぼぼ毎日耳かきしてる。
「そんな毎日やる必要ある?」と聞くと「ちゃんと取れるんだよ」って、塩ひと粒サイズの垢を見せてくる。妻は他人の耳の穴を観察する癖があって、垢が溜まっているのを見ると「ああ、この人は耳かきに夢中じゃないんだ…」って思うらしい。面白い感覚だなと思いましたね。人間は個々の価値観で他人を区別する。そのカテゴライズは個人のデータベースであって人格を決定づけるものではない。たとえば「人類には2種類あって…」から始まる常套句。この場合「耳かきに夢中な人とそうではない人」。
妻はわたしに「耳かきをさせてくれ」と「耳かきをしてくれ」を交互に要求してくる。わたしは、してほしくないし、したくない。前述の通り、人にされるのが怖いし、妻の耳を傷付けるのが怖い。あまりにも拒み続けるわたしを見兼ねて「私のこと信じてないの?」と言われる始末。妻とは気が合うと思っているが、こうも凸と凹が合わさらない部分があるとは。

さっきから「耳かき」と「耳掃除」の使い分けに悩んでるんだけど、いま答えが出た。両者は目的が異なる。「耳かき」は快感を得るため。「耳掃除」は耳垢を取るため。こう使い分ける。

外耳道には迷走神経というのが集中してるらしい。

迷走神経(めいそうしんけい、英:Vagus nerve、羅:Nervus vagus)は、12対ある脳神経の一つであり、第X脳神経とも呼ばれる。副交感神経の代表的な神経。複雑な走行を示し、頸部と胸部内臓、さらには腹部内臓にまで分布する。脳神経中最大の分布領域を持ち、主として副交感神経繊維からなるが、交感神経とも拮抗し、声帯、心臓、胃腸、消化腺の運動、分泌を支配する。多数に枝分れしてきわめて複雑な経路を示すのでこの名がある。

Wikipedia

12対ある脳神経の一つで、副交感神経の代表的な神経ですって。毎日したいほど気持ちいいってことが分かる。わたしだって耳かきで気持ちいいと思ったことくらいあります。ただどうしても不快感の方が勝る。

ひとつだけ、わたしの感覚では理解できないことがあって。カメラ付き耳かき?イヤースコープって言うのかな。あれだけは分からない。推測だけで言うと、気持ちええとこを見たいのかなって。よくインスタのショート動画であるじゃないですか、汚れたものを掃除する動画。綺麗になったり整理されたりしていく様子が気持ちいいっていう。あれを見るときの感覚に近いのかな。自分でやる触覚的快感とその様子を見ることで得られる視覚的快感。両方取っちゃおうと。人間は強欲。動物もそうでしょうか。
犬も迷走神経があるんじゃないかと思います。他の動物にもあるのか知らないけれど、少なくとも犬は耳をかくとき気持ちいい顔をする。たまに犬の耳を掻いてあげると目を瞑って寝たりするし。

快楽と危険

「かゆいところを掻く」ことで快感を得られるなら、わざとかゆくなるようにすればいい。マッチポンプで。皮膚をフェザータッチしてみたり、わざと蚊に刺されたり。「かゆいところに手が届く」という言葉があるように、言ってほしいことを言ってくれたり、不便だったことが便利になったり、問題が解消された瞬間に生まれる快感があるんだと思いますね。快感って多岐に渡るから人それぞれなんです。セックスだって個人の快感であって、同じものを共有できない。共有した気になっているだけです。

そこには「かゆみのジレンマ」があると思います。たとえば蚊に刺されると皮膚が反応を起こして痒いと感じる。その部分を掻いて反応を和らげる。快感が伴うので、何度も掻きむしっていると皮膚を傷付ける。掻きたいのに痛みによって掻けなくなる。快楽と危険は紙一重なんです。

「殺人鬼から逃げる夜」という映画を観た。タイトルでそう言ってんだから追いかける側のイケメンは殺人鬼なんだなって補完できるんだけど、そのイケメンとうとう最後まで人を殺さなかった。ネタバレごめん。ナイフを使っていたぶる場面こそあるが、明確な殺人は描かれなかった。殺人鬼になった理由は語られず、サイコパスの一点張りで女を追い掛け回す。タイトル通り、アドレナリン全開の登場人物たちが走る走る。主人公なんて靴下だったし、普通に総距離42.195㎞いってると思う。そのサイコイケメン本当に楽しそうに走るんだよ。それが狂気的に映る訳だけど結果的に人を殺さなかったから、もうそういう性癖としか思えないんですね。”追いかけることが快感”っていう。ストーカーとか尾行癖とかあるけど、こいつの場合「走る」ってのが興奮要素。返り討ちに遭うかもしれないし、いつ轢かれてもおかしくない車道を全力で走るんです。この場合は特殊ですけど、快楽と危険はニコイチなんです。薬物依存とか。危ないから気持ちいい。気持ちいいことは危ない。耳かきだってそう、やりすぎると外耳炎を招きかねない。気持ちいいことは、程度に気を付けてほどほどに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?