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【今年も】今日がやって来た。

こんばんは。
今日はこれから夜行バスに乗るので、短めに。

ああ、今年も、また。
そんな思いで、テレビのニュースを見ていました。

沖縄慰霊の日。

大学2年の夏だったかな。大学の授業で、沖縄へ行きました。
わたしが専攻していたのは、社会学。
社会調査の授業の一環で、第二次世界大戦……沖縄戦の調査を、行っていました。
戦争に関する遺跡を、そして、体験を、後世にどう残していくか。そんな研究でした。実家に帰ると、その時にまとめた調査報告書の冊子があったはず。今、その内容をちゃんと思い出せないけれど。

当時の生々しい証言や、それらの記憶を語り継ぐうえでの苦労。そういったことを、当事者にインタビュー調査をしていました。

沖縄県庁の担当部署へ、話を聞きに行ったり。

ひめゆり平和祈念資料館へ行ったり。

南風原町に点在する、ガマ(防空壕)を周ったり。

遺構や遺物が、どれも生々しくて。当時とてもショックを受けたことを思い出します。
そのせいか、今もなんとなく、軽々しく「沖縄行きたい」って思えなくなりました。いいところなんだけど。
沖縄戦について学んだ記憶が、うっすらと、けど、じわじわと蘇ってくるから。

そういえば、高校の修学旅行で鹿児島へ行ったときも、知覧の特攻平和会館へ行きました。

ここも、親へ宛てた遺書や、特攻隊員のまだあどけない写真など、見ているのがつらくなった記憶が。

推しさんたちを観に、長崎へ行った時も。
長崎原爆資料館へ出向きました。

一瞬にして、多くの人の命が失われる怖さを感じました。
広島も行きたい。行かなければ、と思っています。

どれも、語り継いでいかなければならないこと。

12月で95歳になる祖母は、命からがら、旧満州から帰って来た人。
弱ってはきたけれど、この歳まで生きているというのは、運もそうだけど、生命力があるんだなと、感心します。

そのせいでしょうか。今も、第二次世界大戦に関わることが、どこかで脳裏にちらつくんです。
今生きているのは、この戦争をも生き抜いてきた、祖母をはじめとした、先祖のおかげ。
戦争のこと、ちゃんと知っておきたい。

慰霊の日に改めて。こんなことを思い返しました。

こういった取り組み、少しでも全国へ拡がりますように。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

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