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ケアをひらく -会社におけるケアとセラピー-

このセミナー/読書会に参加できることになった。

「科学性」「専門性」「主体性」といったことばだけでは語りきれない地点から《ケア》の世界を探ります――。野心的な宣言とともに2000年9月に創刊された『シリーズ ケアをひらく』は今年、創刊20周年を迎えました。
シリーズ著者が別の著者の書籍の読書会を担当するという、ちょっと変わった企画です。
「第1部オンライン読書会」は
A: 熊谷晋一郎さんと読む『どもる体』
B: 伊藤亜紗さんと読む『居るのはつらいよ』
C: 東畑開人さんと読む『リハビリの夜 』

参加するのはB: 伊藤亜紗さんと読む『居るのはつらいよ』。

参加申し込みのために書いた「ケアをひらくと私」というテーマのエッセイをせっかくなのでnoteにも載せておこうと思います。

読書会たのしみだなぁ。

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エッセイに入る前に用語の定義を。
ケアとセラピーの二項対立で会社を見ると…というエッセイですが、ケア/エッセイを次のようなものと捉えて書いています。

ケア:ルーティン、支えあう、安全、弱さを共感しあう

セラピー:PDCAサイクル、自立、成長、弱さを強さへ変える

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私は医療に携わる者ではない、会社に居るのはつらいよと感じているただのサラリーマンだ。

なぜ会社に居るのはつらいのか考えている時に「居るのはつらいよ」を読み、少し理由が分かった。

利益や生産性を追求する存在である会社ではケア/セラピーの比率は圧倒的にセラピーに寄っている。さらに、働き方改革でますますセラピーの比率が高まる状況下で私は就職し、まだまだケアが欲しいと思っていたがそうはいかなかった。セラピーに付いていけないと感じられ、仮に今は付いて行けたとしてもいつかは見捨てられるのではと不安になった。それが居づらさの原因だった。もっとケアしてくれよと思っていたが、企業の本質はセラピーなんだから仕方ないと思って諦めてもいた。

しかし最近、心理的安全が重要ということを会社でもよく聞くようになった。生産性向上が見込める範囲においてという条件付きではあるが、ケアにも注目が向き始めている。また、社会全体に不安をもたらしているコロナの影響もあり、社会がケアの重要さに気がつき始めている。

この変化が加速していけば、数年前の自分(と同じ境遇の働く人)は助かるのではないか?

会社においてもケアと利益追求は対立するものではなく、ケアを土台とした利益追求があり得るという前提に立つと、会社はどう変わっていく必要があるのだろうか。色々疑問が浮かぶ。

例えば、会社における適切なケア/セラピーの比率ってなんだろうか?会社は社員に何を提供できるのだろうか?ケア的な振る舞いを職場で身に着ければ、社会全体が少しずつ変わっていくのだろうか?そんなことを夢想し、どういう手立てがあるだろうと考えている。

ケアは既に弱者とみなされる人たちだけのものではない。潜在的にケアを必要としている人達に予防的に働くものでもある。自分も含むその人たちにケアを開いていくために、これからもケアをひらくを読んで、身の回りのことを考えて、変えていこうと思う。

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