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私について自己紹介します。

はじめまして。
10年以上、千葉県鎌ヶ谷市とスリランカの2拠点生活している青山みきです。
鎌ヶ谷市は、梨の生産が日本1(いち)
日ハムの二軍グランドがあることから、今注目の大谷翔平選手やダルビッシュ有選手も住んでいた場所でもあります。

見た目がクールで、一見怖そうに思われがちですが、そんなことはまったくありません。よく間違って言葉を覚えていることが多いので天然と間違われるのが悩みです。

人生のターンニングポイントに焦点をあわせ、自分のことをさらけ出してお話したいと思います。もし、ご興味がありましたらご覧ください。



幼少時代☆ムツゴロウの家

わたしの父は大の動物好き。
幼い頃は犬・猫・セキセイインコ・ニワトリ・ザリガニ・金魚・カエル・カメなど、たくさんの動物に囲まれて一緒に生活をしていました。
鳥を放し飼いにするもんだからわたしが赤ん坊だった頃、普通に踏みつけて殺してしまっていたそうです。(苦笑)

動物がいる生活が当たり前で、魚の水槽の掃除や卵が孵化した小鳥のエサやりをしたころを今でもよく覚えています。

カギっ子だったわたし、幼稚園児でも動物たちがいてくれたお蔭でおとなしく家族の帰りを待てる子でした。

9歳の頃、大好きな父が他界

初めて「死」と言うものに向き合った時でした。子どもながらに、先の見えない切望感を味いました。
恥じらい、悲しみ、その奥には、何でわたし達を見捨ててしまったのという憎しみに似た感情など、幼いわたしには抱えきれないほどの想いが溢れては、ガラガラと音を立てて何かが崩れ落ちていきました。

そして父が亡くなった以降、心の殻に閉じこもる時期が数年間続きました。相当つらかったのでしょうか、この頃の記憶は自分がどんな子で何をしていたかなどほとんど、覚えていません。

活発だった学生時代
中学生時代は、テニス部の副キャプテン
高校時代は、ラグビー部のマネージャーやサーフィンをして楽しんでました。

母親がパートタイマーのみの仕事だったため、あまりの給料の少なさに母からお金を受け取ることに罪悪感があり、「高校生になったら学費は自分で稼ぐ‼」と決め、中3のことからよく新聞の折り込みに入っている“求人広告”をみては、早く大人になりたいと考えてました。
やがて高校生になり、朝方まで掛け持ちバイトをする日々でした。

頑張った証に高校卒業と同時にバイトで貯めたお金で車を購入しました。
あの時の高揚感は最高。大人になった、自由になった感覚を手に入れたのでした。今思えば、モテ期は学生時代にすべて集中していたのかなぁ。(笑)

ちやほやされる時代があって食べ物やお金にも困らなく、人生って甘いもんだなぁ。と思っていました。将来の夢がまったく持てなかった時代です。

2回目の大きな転機

19歳の頃、こころから愛する人が出来ました。でも、彼とは出逢うのが早かった。若すぎたこともあり、お互い空回りや周りの人を傷つけることが多く、取り返しのつかない大きな傷を背負うことになりました。

その時、生きていくことが辛く感じ、自分は何のために生まれてきて、一体何をしたいのだろう。そしてこんなことはいつまで続くのとまで考えました。その後、その彼とはお別れしました。

自宅には父(位牌)とお釈迦さまが鎮座しています。
この頃から熱心に仏壇に手を合わせ、自らお経を読んだり、仏壇のお釈迦様を通じて自分を客観的に見つめる時間をつくる習慣ができました。今までとの自分では考えられないほど、穏やかな人間に変わっていきました。

わたし、社会人となる

結婚を意識した彼ができ、真剣に将来を考えた時、
一度は社会人経験がしてみたい‼
自分の家を持つことが大きな夢‼

との想いから将来、家を購入する時、女だからってなめられたくなかったので、健康とやる気だけを武器に大手不動産会社スターツへ入社。

そこでは良い上司、先輩、後輩にも恵まれました。あきれるほどの無知さに恥じらいを感じている余裕はなく、必死に教えて頂けることを全て吸収していきました。

決して賢い子ではありませんでしたが、(むしろ、上司が気になって心配するほど。)地主さんやお客様と心から接する姿勢を認められ、出世は早く、26歳から4年間、仲介部門の支店長を務めさせて頂きました。

そこでスタッフの育成の難しさを知りましたが、スタッフが成長していく姿を見るのがいつも楽しみで誇らしくもありました。将来、共に成長しながら、人材育成をする仕事が出来たらいいなぁと思い描いた瞬間です。

宝くじが当たる‼

いろいろあって長年、連れ添った彼と終止符を打ち、10年ぶりに実家での生活を再スタートしました。

そのころ、年末ジャンボ宝くじは毎年1万円ほど購入していました。ところがある年、100回記念の当選金100万円が100本あり、まさか、まさかの当選をしたのでした。ちなみにバラ売りで当たり🎯

神様は見てくれていたのですね。今年はついている‼‼と思い、勢いで老朽化した実家を新築しました。現在の鎌ケ谷サロンでもある3階建ての一軒家。

まさか⁉胸に腫瘍が

不動産に勤務していた10年間、いろんな方の財産を左右する立場に関わってきました。

時にはプレッシャーに押しつぶされそうになり、寝て次の日の朝には、このまま目が覚めなければいいのになぁと考えることも多々ありました。正直、半部以上は辛いことばかりだったと思います。この頃のわたしは仕事第一優先の生活をしていました。

胸のリンパの異変に気付きながらも心の中で「ここで病気がわかっても困る。」と身体の声を無視し続けていました。
その頃は、リラクゼーションの道に進む為、退社を決めていた年でもあったのです。

そして繁忙期を無事に終えて、初めて自分の胸のしこりの違和感に気づき、病院へ急いで向かいました。

「乳腺繊維線種」という病気でした。
緊急手術して取り出してみると腫瘍が直径5cmもあり、だいぶ、大きくなっていることに医師も驚いてました。

今では胸のふくらみをキープする為の食塩水も跡形もなく消え、左胸はえぐり取られた傷が残っています。筋肉の一部がないので未だに胸部を開くストレッチをするときは、筋肉が引っ張られる違和感は残ります。

本当にこの時ほど、後悔したことはありません。あんなに仕事を必死にやってもなにもならない。。

仕事が私を守ってくれるわけでもないのに。
自分のことは自分で守ってあげないとダメだと大反省。
この日を境にわたしは健康的な生活に興味を持ち始めました。


大内雅弘さんとの出会い

不動産退職後はリラクゼーションのスクールへ通い、インドケララ州へアーユルヴェーダ留学へ行きました。その後はタイマッサージに出逢ったりと、興味の持つことに触れて学ぶ日々が続きます。

豪華客船のセラピストや海外スパのセラピストに興味を持ち始めて調べているうちに大内雅弘さんの存在を知り、彼の発信すること全てに興味を持ち始めました。 彼からチネイザンを学び、心を開くこと、素直になること、そして勇気をもつことを学びました。

この頃に旅したスリランカへの一人旅をきっかけに、本来の自分の姿に戻ろうと決意したのです。

スリランカへ移住を決めた大きな理由

本来のわたしの姿はアーユルヴェーダに携わる仕事をすること。
しかし、インド留学しただけでは独立する勇気がまったく持てないでいました。自分に背を向けつつもなんとかセラピストの仕事は続けていました。

スリランカのアーユルヴェーダを受けてみたい‼

周りにスリランカへ行った人もいなければ、スリランカ人の友達もいない、スリランカの情報は地球の歩き方だけでした。

なかなか、やる気も勇気も出ない私が、はじめての一人旅で、2週間もスリランカへ行きました。70%が仏教徒のため、お経に慣れ親しんできた私にとって本当に心地が良かったです。


サポートしている幼稚園のお正月フェスティバルの風景

スリランカは人、文化、食、気候、全てがわたし好み。

そして、世界遺産ダンブッラで起きた出来事は今でも鮮明に覚えています。ダンブッラにはいくつか洞窟で出来たお寺があります。その中でも第二石窟寺院は56体もの仏像が並び、シーンとした空気感が何ともいえません。

まるで「天国」にいるようでした。

不思議な安心感に包まれ、浸っている時のこと。
幼い頃亡くした父がわたしの左横にフワっと現れ、わたしのほほに一度だけ触れたのです。

その感触はとても柔らかくて。
わたしは鳥肌と同時に涙があふれ出てきました。

父を亡くしてから何年も何年も「会いたい」と想い続けていましたからです。その後、今度は父のそばに住みたいと想い、後さき考えずにスリランカ移住を決意しました。


スリランカの結婚式

ツインレイとの出会い

スリランカ移住を決めてからは、川の流れに乗るようにスリランカにゆかりのある人との出会いが続きました。そしてカルタラという街に住むことになりました。

きっと運命だったのだろう思うエピソードも多々ありますが長くなるので割愛します。

スリランカでの生活のサポートをしてもらう代わりに旅行会社のブログの更新のお手伝いをすることから始まったスリランカ生活。
その旅行会社の社長が今でこそ、わたしのツインレイでもあるパートナー。

初めは、お互い性格が似ているので警戒心がバリバリでした。「あ~、今、わたしのこと試しているなぁ」と感じることが幾度とあり、何度腹立てたことか。

お互い腹の探り合いみたいなこともよくありました。しばらく、わたしはこころを開けないままです。2人が近づけば、大変大きな試練にも襲われました。

わたしは何度もカルタラから逃げたくなりましたが、絶対にわたしを離さず、信じ守っていてくれたパートナーがいつもそばに居ました。

スリランカ生活2年目ぐらいまでは楽しいだけでなく、辛いことが多く続きましたね。

「みきはすぐ我慢するから心に溜めないで‼ なんでも私に話してください‼」

そんなパートナーからの言葉に励まされながらスリランカを愛し続けています。そして毎日安否の連絡は取り合い、お互いの身体を思やる余裕すらできてきました。

パートナーはわたしの体の一部、2人で1人前です。そろそろ、わがままばかり言っていないで労ってあげたいと思います。

現在はボディワーカーの仕事の傍ら、アーユルヴェーダのリトリートやスリランカ旅行の日本人オペレーターの仕事を主にしています。

スリランカでやりたいことはたくさんあるのですが、今、手掛けているのは、6000坪のゴム畑を開拓し,自然の中で健康的に生きるエコハウスを建築中。

ここの土地は、山中にあるので、鳥や風などの自然の音しか聞こえない穏やかなエネルギーが流れる場所です。この土地に来るだけで癒されます。

ミニ農業、少人数制のリトリート、瞑想、ヨーガ、アーユルヴェーダセラピーができるように構想しています。


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