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楊範・鄭令蔓伝 壮途編 十二「奴等を挟み打ちにしよう」

十二「奴等を挟み打ちにしよう」

 関子邑が直接乗り出してくれたことで、ヤン達の情報収集は随分楽になった。リンクスはその後も毎日のように王氏の屋敷に忍びこんで、密売品が次にいつ運びこまれるのか、そしてそのルートがどうなるのかを探りつづけていたし、子邑は部下や食客を通じて密売人の動きはおろか、中央政府の高官…つまり王氏とつるんでいると言う噂の車騎将軍陳当の動きまで調査しはじめたからである。これで情報が入ってこないほうがおかしい。やはり個人の力よりも一族の力は大きいのである。そう、一週間もしないうちに子邑は「次の密輸品入荷日時」を探り当てたのだった。

「あの忍びの少年…麟駆りんくくんでしたな…彼の情報と、私の族人から得た情報を総合してみると、ここ数日中に再度密貿易があるようですな。」

 麟駆とはリンクスのことである。最初はテレマコスの部下ということになっていたので、子邑や子良の目に触れることもなかった(当然名前も覚えていなかった)のだが、こうなってしまうともう引っ込みがつかない。しかたが無いのでテレマコスは当て字で「麟駆」ということにして紹介したのだった。まあテレマコス自身も「鄭令蔓」であるから似たようなものである。ちなみにこの名前はユウジンが一晩知恵を絞ってつけてくれたのである。(麒麟が駆けるという名前だからかなり格好いいだろう。)
 ともかくリンクスのすさまじい密偵としての能力に子邑もさすがに驚いたらしい。テレマコス共々待遇は一気に上昇し、いまや上座も上座、食客連の中ではヤン達と同じ最高ランクの待遇になっていた。頼めば外出するときに馬車(馬車は貴族の象徴である)に乗せてもらえるほどである。まあもっともテレマコス達はヤンと同じようにそういうことは一切遠慮していたのだが…

 余談はともかくとして、いよいよ麻薬が再びこの会稽の町にやってくるということは間違いなさそうだった。ヤンは緊張した面持ちでうなずいた。

「場所は?なにかつかみましたか?」
「特に新たなルートを準備すると言う様子はありませんな。麟駆くんはなにかつかんでおりますかな?」
「いいえ。船や他のルートを使う様子は無いようです。このあたりで目立たずに竜を着地させることが出来る場所って、会稽山以外無いようですし…」
「となると、禹王廟を倉庫にするかどうかは別として、会稽山経由で来ることは間違い無いだろうな。」

 ここまで判れば既に王氏の動きは判ったも同じだった。あとはその動きに応じて作戦を立てて行けばいいのである。
 ユウジンはニヤリと笑うとヤン達にいった。

「数日以内か。張りこむか、ヤン殿?」
「張りこむ…野宿になるぞ?」
「禹王廟だ、雨風はしのげるさ。」

 ユウジンは山男のような笑顔でいった。身長といい体格といい、そして不精髭といい確かにユウジンは山男に似ている。もしかすると冬山登山が得意なのかもしれない。

「やれやれ、まあむさくるしい男どもと合宿というのも一興でしょうな。」
「お酒は持って行かないでくださいよ、テレマコスさん。飲みすぎて敵を取り逃がしたら大変ですから…」
「やらんやらん、リンクス」
「なんだ、リンクス坊。男が酒無しなんて考えられんぞ?」

 作戦が決まって気が楽になったのか、彼らは陽気に笑った。そして彼らは思い思いの「合宿準備」をするために部屋へと戻っていったのである。

*       *       *

 禹王廟での合宿はテレマコスの予想とは裏腹に、至極快適なものであった。関氏が毎日食い物やら飲みものをこっそり届けてくれる上、廟の脇にある小さな物置を占領してしまったので雨風も大丈夫である。あとは虫さえいなければ完璧なのだが、こればかりはどうしようもなかった。テレマコスはどうも蚊に刺されやすいタイプなのか、いつのまにやら顔やら手やらが赤く膨れてしまう。トレードマークの「探検家ルック」も蚊にはあまり有効ではないらしい。かといって彼らはあくまで「張りこみ」なのであるから、蚊取線香を焚きしめるとかそういうわけにもいかない。

「こういうことなら蚊帳でも持ってくるんでしたなぁ…」
「蚊帳ですか?明日関氏に頼みましょうか?」
「そうしてもらえればありがたい。」

 数日の合宿の間、一行は暇に任せていろいろな話をすることになる。テレマコスの遠い「朔州」…サクロニアの話は、街並み一つの描写から風物誌、そしてたべものにいたるまでヤンやユウジンにとっては興味津々である。しかし実際、ヤン達にとってもっと興味があったのはテレマコスとリンクス自身のことだった。垣間見ただけで素晴らしい忍びの技を持つリンクスと、どうも仙道のようなものを会得しているテレマコス…無論ヤンにせよユウジンにせよ、直接二人の来歴を問い正すほど礼儀知らずではない。しかし言葉のはしばしに見え隠れする二人の過去はヤンらを驚かせるのに十分なものだった。無論ヤンやユウジンとて随分いろいろな冒険をしてきたものである。しかしそれと比べてもテレマコスらの冒険は奇妙で、ヤン達を驚かせるに足る豊富な内容を誇っていた。

「いやはや、さすがにしゃべりつかれましたぞ、ヤン殿。」
「ははは、申し訳無い。いくら聞いても聞き飽きない話です。さあ一杯…」
「やや、これはすいませんな。」

 ユウジンがいった通り、やはり子邑の差し入れの中にはお酒が入っていた。いや、正確に言えば「飲みものはといえば酒」しか入っていない。当然おしゃべりしながら、お茶代わりに老酒を飲むというどうしようもない状況になってしまう。これで「張りこみ」というのであるから呆れてしまう話である。
 いや…驚くべき話だが、ちゃんと彼らはこれでも禹王廟の前を通る人々をチェックしていたのである。それこそ一同が「本当の歴戦の冒険者」であるということの現れだった。その証拠に…数名の農夫らしい男達が山への道を登って行くのを目にしたとき、ヤンの金色の髭がぴくりと動いたのである。

「あれは…おかしいな。」
「そうだな。農夫にしては手足がきれいすぎる。街の住人だ。」

 ユウジンはうなずいた。たしかに変である。身なりこそ農夫の姿だが、あの手は鍬など持ったことあるわけが無い。あまりにきれいな手足というわけである。彼らは一瞬のうちに心を宴会から戦闘準備へと切り替えた。酔いのほうは問題ない。どうせ彼らが戻ってくるのは夜、竜が積み荷を降ろした後である。テレマコスはすばやくリンクスに指示した。

「リンクス」
「はいっ」
「この禹王廟から山頂への昇り口で奴等を挟み打ちにしよう。山に登って奴等が戻ってくるまで潜んでおいて欲しい。」

 リンクスは力強くうなずくと、少し変わった片刃の直刀と長めのぎざぎざのついたナイフを手にした。直刀は先の方が背側に広くなっている。なたを大きくした剣という感じである。ヤンはこの少年の武装を初めて見たが、どうも珍しいことに二刀流らしかった。剣もナイフも無骨な、まったく飾り気の無いものであるが、その刃は鋭く、普通の鋼鉄とは違った、暗い青みの不思議な輝きを宿している。

「珍しいな、二刀流か…」
「本物は始めてみるな。一度手合わせしたいものだ…」

 武人としての血が騒ぐのだろう。ヤンもユウジンもリンクスの姿をしげしげと興味深げに見た。ユウジンは大きな直刀、ヤンは拳法家らしく長い棍が得意である。特にヤンの持つ黒い棍は金色の竜の彫金が施された見事なものだった。彼が御前試合で優勝したときにもらったものである。
 リンクスはにっこり微笑むとぺこりとお辞儀をする。そしてそのまま、あたかも疾風のように山道へ…戦闘配置に向かって駆けていったのである。

(13へつづく)

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