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楊範・鄭令蔓伝 壮途編 八「悪の魔法使いとその連れというところです」

八「悪の魔法使いとその連れというところです」

 一行はかなり急いで山道をおりていった。登りとは違って下りはいやが上にも歩みが早くなる。ゆっくり降りることのほうが難しいほどである。
 ところが意外なことに行けども行けども黒覆面の男達の姿はみえてこなかった。まさかいくら降りが楽だといっても荷物を背負ってそんなに早く下山できるはずはない。テレマコスはともかく後の三人はそんじょそこらの戦士など及びもつかないほどの屈強な男達である。どう考えてもおかしい。
 そうこうしているうちに彼らは早くも中腹の禹王廟に到着してしまった。

「おかしいな、ここまで来ても奴等に追いつかないとは…」
「うむ…いくらなんでもそろそろ追いつきそうなものだが。」

 ヤンもユウジンも首を傾げて禹王廟の周りを見回すが、覆面のやつらの姿は影も形も見当たらない。

「まだ先かもしれん。やつら走って山を降りたんだろうか…」

 たしかに足跡は既に禹王廟から先、つまり麓のほうへと続いている。おそらくかなり急いで山を降りていったのだろう。それほど会稽山の山道に慣れているとは言えないヤン達が追いつけなかったのもある種納得できる。
 ところがその時リンクスが奇妙なものを発見したのである。

「テレマコスさん!足跡がこっちにもあります!」
「なんじゃと?」

 驚いてヤン達はリンクスの周りに集まった。しゃがみこんでいるリンクスは地面にあるたくさんの足跡を指さす。明らかについさっきついたものらしくはっきりと足型が残っている。ヤンはその足跡の行き先を目で追ってみた。すると… おどろいたことに足跡の行き先は明らかに禹王の墳墓につながっていたのである。

*       *       *

「奴等、禹王の墓に入っていったようだぞ!」
「出てきた跡もありますね。いったん墓に立ちよったんだと思います。」

 ヤンはうなずいた。どうも奴等はこの禹王の墓による用事があったのだろう。いや、もっとはっきり言うとこの墓を倉庫がわりにつかっているのかもしれない。考えてみればあれだけ重そうな木箱をもって、山を彼らより早く降りて行くということはとても無理な話である。ということは…
 テレマコスは得心したように言った。

「ということはあの荷物はここに保管されていることになりますな。」

 思うに登山中に見た「禹王の墓の入り口が開いている」というのは、奴等がかなり前から墓を倉庫につかっているという証拠だろう。それならいろいろなことが説明つくわけである。
 ではいったいあの箱の中身はなんであろう…

「すまんがリンクス、ちょっと中の様子を見てきてくれぬか?」
「テレマコス殿⁈」
「はいっ!」

 ヤンが止める間もあればこそ、リンクスはそのまままるでしなやかなジャガーのような身のこなしで禹王の墓へと走っていった。

「テレマコス殿?俺が行ったほうが…」
「いやいや御心配なく。リンクスはこういう事は得意でしてな。」
「しかし…」

 ヤンはさすがに驚いた。もし万一奴等の仲間が墓の中に残っていたら危険である。ヤンの見たところリンクスはかなりの剣の腕かもしれないがまだ若い。まさかそこまで実戦経験があるとは思ってはいないし、ましてや彼が元は軍で生みだされた生体兵器だなど想像もしていない。こともなげにいうテレマコスにヤンとユウジンは顔を見合わせて驚くしかない。
 心配そうに禹王の墓を見つめるヤン達だったが、リンクスの帰還はすぐだった。怪我どころか息一つ乱していない。

「中には人はいません。大丈夫です。」

 にっこりと微笑むリンクスにヤンは再び舌を巻いた。呆れるほど見事な忍びぶりである。どうもリンクスの役割というのは戦士と忍びの両方らしい。魔法使い専業であるテレマコスの護衛であるから、ほかの仕事は全てこの少年がこなしているのだろう。
 驚き呆れる二人にテレマコスは笑いかけると、リンクスに問いかけた。

「ところで、中には例の箱はあったのかね?中身は見たかな?」

 するとリンクスはうなずき、左手を開いてテレマコスに見せる。5センチほどの小さな布の袋が中から現れた。袋を受け取ったテレマコスはそっと口を開けて、中に入っているものを手のひらに取り出す。さらさらしたまるで砂糖か塩のようなものが中からこぼれ出してくる。

「むっ?これは!」
「テレマコス殿…」

 怪訝そうな表情のヤンだったが、テレマコスはそれには答えず粉末を指につけ味を見た。そしてますます渋い表情となってリンクスにうなずいた。

「うむ…おそらくヘロインかなにかの麻薬じゃな。」
「麻薬?」
「アヘンなら御存じでしょう。その精髄ですな。おそらく効果は数百倍はある…」

 テレマコスはやはりというようにうなずきながら彼らにそう告げた。そう、あの「竜が運んできた木箱」の中身は恐ろしい「高純度の麻薬」だったのである。

*       *       *

 ヤンもユウジンも驚きの声を上げた。中原地方ではこのように精製された純度の高い麻薬は知られていない。アヘンといえば褐色の、ごろごろした樹脂の塊である。このような純度の高い、それも多少は化学反応まで起こしてあるものとなると、高度な「魔法科学技術」と、それにもっと大変なことに「工業技術」を必要とする。中原の魔法技術もかなり高度なのだが、こういう技術は知られていなかった。「新種の、アヘンの数百倍の強力麻薬」となれば、わざわざ竜に乗せて運んでくるのも判らないことも無い。うまく使えば(特にヘロインの存在が知られていないので)一国を滅ぼすことすら出来るほどである。

「帝国からもってきたんですね。」
「むむっ…またその『帝国』か。」
「うむ、中原では『伽難かなん国』というほうがよいか。」
「伽難国?あの伽難国か!」
「御存じのようですな…」

 さっきから「竜に乗った兵士達」やら「新種の麻薬」やら、今まで縁の無かったとんでもないものを見せられたユウジンはうめき声を上げた。いや、ユウジンやヤンだけではなかろう。帝国の手管を初めて目にするものならば、この反応は自然なものだ。ようやく「帝国」が噂の「伽難国」…中央政府を背後で操っているという噂の謎の国家の事だと理解したユウジンだったが、まさか竜を操り麻薬をばらまく連中であるということまでは想像だにしていなかったのである。
 しかしヤンの反応はユウジンとは少し違っていた。「伽難国」という単語を聞いた瞬間、わずかに表情を凍らせたのである。そしてその瞳には一瞬炎が…怒りと悲しみの光が浮かぶ。そのわずかな表情の変化を、テレマコスは見逃さなかった。

「テレマコス殿…その、もう一度お聞きしたい。」

 しばらくの沈黙のあと、ようやくヤンは口を開いた。その声はしかし、熱いほどの強い意志を内に秘めていることは明らかだった。

「もう一度お尋ねする。あなたは…あなたがたはいったい何者ですか?伽難国、いや『帝国』についていったい何を御存じなのですか?」

 するとテレマコスはヤンの中原人には珍しい青く輝く瞳を見てわずかに微笑んだ。そしていささか自嘲的に言ったのである。

「ううむ…そうですな、単なる『悪の魔法使い』といったらいいですな。『帝国』と戦いつづけておる、悪の魔法使いとその連れというところです…」

絵 竜門寺ユカラ

(9へつづく)

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