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楊範・鄭令蔓伝 壮途編 十三「うむ。勝負を決めるか!」

十三「うむ。勝負を決めるか!」

 夕方までに「山頂に向かって登っていったにもかかわらず、降りてこない」連中の人数は二十人以上だった。途中で神隠しにでも会わない限り、つまりは麻薬の一味はその人数というわけである。しかし実際には荷物を持っているのだから即座に戦闘に加われる人数は多くはないだろう。
 どう考えてもヤンやユウジンほどの凄腕の戦士はそうそういるものではない。ヤンは弱冠十六歳で天覧試合に優勝して爵位をもらったほどの実力だし、ユウジンはそのヤンが認めるほどの剣士である。よほどの多勢に囲まれないかぎり負けることはない。
 しかしそれよりも今回はいかに相手を逃がさずにうち破るかということが問題だった。麻薬運搬人を襲ったのがヤン達だと判った時点で関氏と王氏の私闘が始まってしまう。まだ十分な体制を整えていない関氏一族だから、出来るだけばれないようにして時間を稼がないといけないわけである。そう考えると実は今回の作戦の勝利条件はかなり厳しいものだった。

(連中が下山し始めました!)

 テレマコスの手元にある水晶盤にリンクスからの連絡が入った。この水晶盤は要するに魔法の通信機である。短距離ならばお互いの声を伝えることが出来る。魔法技術の中で、特に魔法工学が発達しているサクロニアではそれほど珍しいものではないのだが、この中原ではおそらく彼らだけが使っていることだろう。(もちろん代わりに仙道や左道で同じような通信手段があるはずである。魔法技術の水準にそれほど違いがあるわけではない。)

「ということでいよいよですな!」
「出番だな。」

 ヤンは傍らの鋼鉄の棍を軽々と持ちあげて片手でびゅんびゅん振りまわした。驚くばかりの腕力である。普通の人間ならばこんな重い金属の棒など持ちあげるだけでやっとだろう。脊力といい全身のばねといい、見事としかいいようが無い完璧な肉体だった。
 ユウジンはユウジンで段平を手にすると軽く振った。これも立派なものである。大柄の逞しい体格には力があふれている。一軍の武将にふさわしい勇姿だった。
 テレマコスは感心したように言った。

「これは安心できますな。魔道士の私はちと切り合いになると辛いものがありますので。」
「ははは、お任せあれ。」

 ヤンとユウジンは山頂への道の出口に陣取ると、奴等…麻薬運搬人達がやってくるのを今や遅しと待ちうけたのである。

*       *       *

 太陽がすっかり沈んで、空が暗くなって来たころになって、山頂のほうから多数の足音が迫ってきた。ヤンとユウジンは武器を握り締め奴等の姿が現れるのを、あたかも獲物を待つヒョウのようにじっと待ちつづけた。
 すると…

 山道の影から黒い人影が多数現れた。それぞれが荷物を背中に背負い、覆面をしている。先日山頂で見た姿とまったく同じだった。人数は前より多く、更に数名は体格も立派でかなり出来るようにうかがわれる。おそらく禹王廟の麻薬が見つかってしまったことで人足を増やし、護衛も強化したのだろう。

(うむむ、まず負けることはないと思いますが、取り逃がす可能性は十分ありますね…)

 敵の護衛がどれくらいの強さかテレマコスには予想もつかない。いや、それ以前にヤン達の腕前すら魔法使いである彼には実感としては判らないのである。リンクスが背後から攻撃をかけるまでに敵に逃げ出されてしまうと厄介なことになる。
 しかしヤンはそんなテレマコスの思いなど知りもせず、悠然と構えて運び屋達がやってくるのを待っていた。奇襲攻撃などまるで考えていないのである。あれよあれよというまに互いの距離は接近し、もう二十メートルほどしかない。周囲は既にかなり暗かったが、それでもさすがに気付かれてしまう。

「やっぱり出てきたか!ネズミども!」
「待ちくたびれたな。」

 運び屋達はヤンとユウジンの姿にわずかな驚きを見せたが、とっさに荷物をその場に放り出し武器を構えた。やはり禹王廟の麻薬の一件で既に一戦の覚悟が出来ていたのである。中ほどにいる大柄の男二人はかなりの腕利きらしかった。

「かかれっ!」

 剣を手に運び屋達はヤンとユウジンの前に迫る。テレマコスはさすがに焦った。奇襲ならいざ知らず、相手に襲撃が予想されていたとなればヤン達も苦戦は免れないだろう。これでは呪文を使っても取り逃がさずに済むかどうかは判らない。
 ところが当のヤン達は相変わらずひょうひょうとした様相だった。テレマコスはいつでも呪文を使えるように構えながら、固唾を飲んで二人を見守った。

 わずかなあと、一番先頭の運び屋二人はヤンに襲いかかった。二対一である。ところがヤンはその鋭い切っ先を難なくかわし、軽く棍を突き出した。棍はまるでまぐれ当たりのように運び屋の一人を突き…驚いたことにそのまま吹き飛ばしたのである。

「げっ!」

 突然のことに運び屋はどうすることも出来ずそのまま気絶した。そう、あれはまぐれではない…あまりのヤンの卓絶した技量に運び屋ごときではどう対応することも出来なかったのである。

絵 竜門寺ユカラ

*       *       *

「次は誰だい?」

 ヤンはまるで弟子に稽古をつける師範のような口ぶりでそういった。わずかの間に既に四人がヤンの前に倒れている。ユウジンはユウジンで二人倒しているのだから、瞬く間に運び屋の内三割が倒されたことになる。雑魚の運び屋達はさすがにそれ以上突っ込んでくる勇気はないのだろう。

(これなら呪文は必要なさそうですねぇ、よかったよかった…)

 背後からまもなくやってくるリンクスとヤン達に挟み討ちを受ければ完勝間違い無しである。さっきまでの心配はどこへやら、テレマコスはほっと胸をなでおろした。ところが安心するのはまだ早かったのである。
 真ん中のボスらしい男は引き下がるつもりはないようだった。それどころか部下を押しのけて一番前に出てくると、驚いたことに覆面をとって顔を見せたのである。

「雑魚では相手にならんようだな、武礼撫の楊範将軍とお見受けする。」
「少しは出来るようだな。」

 ヤンはさっきよりも心なしか警戒した表情に変わった。ヤンのことを「武礼撫」であると知っており、それでも挑もうとするのであるからこいつも並みの腕ではないはずだった。おそらく王氏側の剣士に違いない。覆面を取った男の顔には口髭と、頬に刀傷まである。かなりの歴戦のつわものなのだろう。

「ヤン殿、気をつけろ。王氏の食客だ。かなり出来るぞ。」
「判っているさ。」

 ヤンは今までの「手抜き」の構えをやめて、今度は中段に棍を構えた。それを見て王氏の食客はニヤリと笑う。

「龍法戦士の『双竜野闘』の構えですな。」
「かかってこい。」

 しかし食客はそれには答えず、代わりに部下に目で合図を送った。すると部下達はヤンを遠巻きにしたままじりじりと…彼らを迂回して突破しようとしたのである。

「ユウジン!頼む!」

 ヤン達を突破されてしまうとそこにはどう見てもあまり武器など扱えそうに無いテレマコスがいるだけである。テレマコス自身は身を守れたとしても奴等は逃走して、「楊範将軍が現れて麻薬を奪った」ということを王氏に告げることだろう。そうなれば直ちに王氏と関氏の全面戦争間違いなしとなってしまう。「楊範将軍が関子邑の食客であること」は会稽では知らぬものはないからである。
 ユウジンはなんとか敵を食いとめようとしたが、さすがに一人ではこれだけの人数を止めることは出来ない。ヤンは王氏の食客に足留めされてとても他の雑魚を倒す余裕はない。そうこうしているうちに運び屋の一人がユウジンの横をすりぬけて、禹王廟の広場へと突入しようとした。

「まずいっ!」

 ところがその時のことだった。
 突然すさまじい炎がユウジンとヤンの目の前の地面から立ちあがり、号音とともに爆発したのである。

*       *       *

「やれやれ、さすがにしかたがありませんな。」

 ヤン達のすぐ後ろにはいつのまにかテレマコスが立っていた。右手に持った黒い杖の上には白い宝石がきらきらと光っている。驚いたことにこの見栄えのしない男は触れることの出来るほどのすさまじい霊気に覆われていた。それはヤンやユウジンがかつて見たことのあるどんな道士や術者よりも強大な力だった。

「テレマコス殿!」
「驚いたな!こんな強力な火炎呪は生まれて始めてみた!」
「魔法学者の呪文はいかがですかな?」

 この中原では使い手のいない「エレメント学者呪文」である。地水火風を自在に操る強大な魔法使い…それがテレマコスの正体だった。

「丁度いい頃合ですな、リンクスも来たようです。」
「うむ。勝負を決めるか!」

 たった一発の強力呪文で運び屋達は大混乱に陥っていた。そこにヤンとユウジン、そして後ろからリンクスが突入したのである。もはや勝負は完全に決していた。そして… 最後に残っていた食客のボスがヤンの棍に殴り倒されたとき、彼らの初めての戦いは終わったのである。それは武礼撫の楊範、ヤン達の旗揚げにふさわしい爽快な勝利だった。

(14へ続く)


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