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楊範・鄭令蔓伝 壮途編 十「あまりいい噂を聞きませんなぁ」

十「あまりいい噂を聞きませんなぁ」

「ううむ…失策でした。やられた見張りの方にはなんと申し上げたらいいやら…」

 話を聞いたテレマコスは参ったというように渋い表情でヤンと子良に軽く頭を下げた。あの禹王廟に見張りを立てると言うことがいかに危険なことかというのは、考えてみればあたりまえのことである。必ず麻薬密売組織が荷物の回収に現れるのであるから、子良の部下に任せたのが失敗だった。テレマコスの知る限り、(少なくとも小人数で張りこむとしたら)リンクスぐらいしかこういう危険な仕事をこなせるものはいないだろう。

「しかしこうなるとますますこのままで引っ込むわけには参りませんな。」
「そうですね、子良殿の部下にも申し訳が立たない。」

 ヤンもユウジンもテレマコスの考えに異存はない。こちら側(といっていいかどうかは判らないが)に被害が出てしまった以上、このまま引き下がると言うわけにはいかない。いや、そういう問題ではない。つまり敵が(既に敵と断定しているが)それだけ凶悪な組織であるとはっきりした以上、目撃者であるヤン達をいつ見つけ出し狙ってくるとも限らない。いずれは彼らが子良を抱きこんだということが判るだろう。会稽の街にいる以上危険は避けて通れない。
 それくらいのことはヤンもユウジンも十分知っていた。となるとテレマコス達がどう言おうがもう一歩踏みこんで敵を…あの「伽難かなん国」から麻薬を運びこんでいた連中を見つけ出し、先手を打たないといけないのである。

 ヤンの考えを確認したテレマコスはしばらく思案していたが、考えをまとめると、頭を掻きながら言った。

「とにかくですな、そういう戦略で行く以上情報集めをもうちょっと積極的に行わなければなりませんな。」
「ああ。そうしたいんだが…俺は目立ちすぎる。」

 たしかにヤンの外見はここ中原では目立つ。目立ちすぎるといっていい。金髪碧眼というだけで十分だし、さらには泣く子も黙る拳法の達人という肩書きまでついている。街を歩けばそれだけでニュースとなるような有名人なのである。そんな彼に情報収集というのは、いくらなんでも無理な話である。困った表情のヤンにテレマコスは苦笑しながらうなずいた。

「ここは…そのですな、ユウジン殿に御活躍願わないといけないようです。」
「…俺が?ふむ…」

 突然の白羽の矢にユウジンは目を白黒させて驚いた。この無骨な大男は「情報収集」ということなど見るからに得意ではなさそうである。
 しかしテレマコスは少しにやつきながらユウジンを見て言った。

「いやはやユウジン殿、この会稽郡で一番人脈をお持ちなのは貴殿に他ならないでしょう?」
「俺はただの食客に過ぎないぞ。たしかにその…鬼谷先生の弟子ということで、多少は知り合いもいるが…」
「いけませんな、その『ただの食客』というのが一番重要なのではありませんか。」

 テレマコスは苦笑しながらそう言った。そこまで言われるとユウジンにも少しずつテレマコスの言葉の意味が見えてくる。要するに「食客仲間のつてを使って情報を集めることが出来るのはユウジンだけ」ということなのである。この中原に来たばかりのテレマコス達や有名人のヤンには絶対に出来ないことだった。
 剣の腕に比べて自分の弁舌にまったく自信の無いユウジンはうなるように答えるしかない。いや、明らかに一番良い方法だとはっきりしているだけに余計失敗できない。思わず助け舟を求めるようにヤンを見たユウジンだったが、逆にヤンの瞳が期待に輝いているのを目の当たりにすることになってしまった。

「…ううむ、うまく行くかどうかは判らないが、やるしかないな。」
「頼んだぞ、ユウジン…」

 背中をドンと突くようなヤンの言葉にこの大男は困ったように頭を掻き、しぶしぶ街に出かけることにしたのだった。

*       *       *

 まったくこういう情報収集に自信の無いユウジンは足どりも重く大衆酒場へと向かった。遊説家とは名ばかりで、ユウジンはやっぱり剣士である。私塾で学んでいたころだって弁論術はろくに勉強した記憶が無い。
 ユウジンは有名な兵法家である鬼谷子の弟子である。鬼谷子の開いている私塾では兵法や論理学、弁論術だけでなく、剣術や魔法学、自然科学や歴史にいたるまでほぼなんでも学ぶことが出来る。一種の総合大学のようなものだった。
 そしてそこの卒業生は中原の各地で仕官したり、食客や遊説家として活躍しているものも多い。「鬼谷子の弟子」というのはそれだけで食客の中でも一目置かれる存在なのである。遊説家の中のエリートと言ってもいい。
 さて、遊説家といっても全員が仕官したり食客になれるわけではない。鬼谷子の弟子であるユウジンでもようやく食客という程度なのであるから、街にはかなりの数の「予備軍」がいるというわけである。そういう連中は「どこそこの豪族が家臣を求めている」とか「どこそこの豪族は食客になりやすい」とか、そういう情報を交換しているものである。また既に仕官している連中から豪族の内情や政争の情報を流してもらうことも多い。そう、豪族が遊説家を選ぶのではない。遊説家が仕える豪族を選ぶのである。
 当然そういう情報のやりとりは遊説家の集まる大衆酒場が舞台となる。実際ユウジンが関氏の食客となることを決めたのも大衆酒場で食客仲間から聞いた話が決め手だった。

「リンクスくん。その…」

 ユウジンは傍らの背の低い少年剣士に自信なさそうな声でうめいた。大柄のユウジンと並ぶとリンクスは頭一つ以上低い。しかし先日禹王廟で見たリンクスの素晴らしい忍びの技をみると、とてもユウジンにはリンクスが見かけどおりの年齢…少なくとも経歴だとはとても思えなかった。

「うまく行くかな?その…」
「大丈夫ですよ!なじみの酒場なんでしょう?」
「まあそれはその…そうなんだが…」

 リンクスはまったく不安を抱いていないようである。いや、ひょっとするとこんな程度のことはしょっちゅうこなしているのかもしれない。

「心配いりませんよ!だって、だめで元々でしょう?お酒を飲みに行くんだって思えば平気ですって。」

 「だめで元々」と言われてユウジンはちょっと気楽になった。たしかに情報収集と言うのは「だめ元で聞きまくる」というのが基本であろう。今の状態よりは悪くなりようがないのである。そう腹を括ると少し落ち着いてくる。
 そうこうしているうちに目当ての酒場、論客が集まる店「馬婆酒家」が見えてきた。ユウジンはごくりとつばを飲みこむと、懐の財布を確かめてからなじみの店の扉をくぐったのである。

*       *       *

 ところが、ユウジンの不安とは裏腹に酒場での情報収集は上出来だったのである。
 ユウジンが名家関氏の食客として他の食客仲間から一目も二目も置かれていることは酒場では事実だった。当然の事ながらユウジンの口聞きで関氏の食客や家臣になろうと考える奴等はいっぱいいる。ユウジンにしてみれば、そいつらをのらりくらりとかわして行きながら聞きたいことを聞けばよいという、情報収集にはこれ以上無いほど恵まれた条件だったのである。

「ユウジンの旦那、その噂なら聞いたことありますぜ!」
「俺も聞いてるぜ、子載しさいの野郎が伽難国と取り引きしているって話だろ?」

 「白い麻薬」の話を直接聞くというのはさすがにはばかられるので、「伽難国と取り引きのある豪族は」という話題を振ったのである。案の定噂がぼろぼろ集まってくる。この食客酒場では豪族の人物評価を腹蔵なく言い合うのが約束になっている(そうでないと浪人達の仕官先選びの参考にならない)ので、誰もまったく遠慮しない。

「子載殿はあまりいい噂を聞きませんなぁ。自分の領地から美女を見繕っては伽難国に売り飛ばしているとか…」

 子載と言うのはここ会稽の街ではかなり大きい豪族である「会稽の王氏」の当主のことである。王氏は会稽だけでなく、各地で勢力を持つ大族だった。本名は王文庫という(子載はあざなである)。

「ううむ、羽振りは良いと聞くが…」
「そりゃ、中央政府の高官とつるんでるって聞きますな。車騎しゃき将軍閣下だったかな…」
「あ、陳当ちんとうとかいう人だろ?名前だけしかしらないけど…」
「噂じゃ陳当将軍は伽難国のやつらしいぜ。」
「本当か?外国の奴が車騎将軍なのか…」

 車騎将軍と言えば中央政府の軍官僚では最高位に近い。なんだか話は複雑な様相を呈してきたようである。まあいずれにせよ子載と王氏一族が一番怪しいと言うことになる。
 すると…そこまで黙って話を聞いていたリンクスはこっそりユウジンに耳打ちをした。

「ユウジンさん、じゃ、僕は先に王氏をもう少し当たってみます。」
「どうするつもりだ?一人で大丈夫か?」
「危険なところまでは無理かもしれませんが、忍びこんでみますよ。じゃ、ごちそうさま~」

 事もなげに「忍びこむ」というリンクスに目を丸くしたユウジンだったが、この少年剣士は平気だと言うようにうなずくとそのまま席を立ち…お勘定をユウジンに押しつけた。伝票を握らされたユウジンは不安そうに少年の姿を見送っていたが、ふとそこに書かれた値段を見て驚いた。
 そう、ユウジンがとりまきと飲んでいる間に、この小柄の剣士は背丈に似合わずものすごい量…ほとんど五人前の食べものと飲みものをたった一人で平らげていたのである。

(11へつつく)


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