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がんがくれたプレゼントというより、がんを機に見つけて手を伸ばしたもの

2月4日は「世界対がんデー(ワールドキャンサーデー)」だと病気の後で知った。
啓発の一環のテレビの特集で、がん経験者への「あなたのキャンサーギフトは?」というインタビューを目にしたとき、違和感を覚えた。

誰かから「がんになってよかったでしょ~?」と聞かれているみたいに感じた。

「キャンサーギフト」とは、がん経験から得たもの。わかりやすいのが「がん友(友人)」だろう。つらい経験ではあったけど、がんがなかったらこの人とは出逢えなかったから、「がんからの贈り物」。

でも私は「キャンサーギフト」という言葉が嫌だ。
がんになって収穫もあるでしょ?と強要される感じに傷つき、腹が立つ。

自分で「キャンサーギフト」と言う分にはいいと思う。病気を経験して大変だったからこそ、「とはいってもこれがあるから、悪いばかりではない」って信じたい。転んでもただでは起きない精神の、がん経験者の精いっぱいのポジティブ変換だ。

国際大会で活躍するパラアスリートに、そこに至るまでのお話を聞いたことがある。
事故で脚を切断した、ある陸上オリンピアンの方は言った。
「自分は事故の前は凡人だったけど、義足をつけたら世界レベルの陸上選手になれた。義足で進化したって言えると思うんですよ」。
「進化」なんて、想像しない言葉が出てきて驚いた。

ある競技のプロ選手になったばかりのころ、やはり事故で脊髄損傷を損傷し車いす生活を余儀なくされた方は、その後、車いす競技の日本代表になった。その方はこう言った。
「事故以前はセンスでプロになって、つらい練習はしなかった。あのままだったら箸にも棒にもかからない選手で終わったと思う。車いす競技で初めて苦しい努力をした。事故のおかげで今の自分がある」。
「おかげ」と言えるようになるほどの、気の遠くなるような努力の日々が見えたような気がした。

がん経験者に「キャンサーギフトは何ですか?」と問いかけるのは、陸上選手の方に「義足で世界レベルになったんだから、脚を切断して進化だよね?」と言うことや、車いす競技の方に、「ぶっちゃけ、前の競技では日本代表にはなれなかったよね。車いすになって日本代表になったんだから、事故があってよかったでしょ?」って言うのと同じようなことだ。

本人がそう思えるようになって自分の口で語られた「進化」、「事故のおかげ」という言葉から、人間ってこんなに強いのだと勇気をもらった。
だけど、それがあったはずだと決めつけて「事故に遭ってよかったと思うことは?」と聞くのは失礼すぎる。多くの人がそう思って、そんな質問しないと思う。

だけど、がん経験者にはこの質問がまかり通ってしまう。なぜ? 
「2人に1人はかかる」と言われる病気だから? 「得るものもあるし、それほど恐れることはないよ」というイメージを持たせるために? というより、そう思いたいから、なんとなく感じよく響く「ギフト」って言葉でごまかしているんじゃないだろうか?

私は病気の後、“イイ人”をやめて「ノー」を言える人になった。
病気前は、自由業なので仕事がなくなることを恐れ、依頼されたら悪い条件でも基本的には全部引き受けて、寝る時間を取れず仕事づけになることもよくあった。
友達は多い方がいいと思って、できるだけ嫌われないように“イイ人”をやろうとしていた。幹事もよくやったし、飲み会があれば二次会まで行き、勧められたら「豪快なイイ人」でいたくて、どんどん飲んだ。

病気の治療で一度全部仕事をストップした。やっていた仕事は降ろしてもらい、新規の依頼も断らざるをえなかった。治療後に仕事の依頼があったときは、体力的に無理がきかなかったので条件をはっきり提示した。それで先方から断られるなら仕方がないと割り切って。
すると、労力と報酬が釣り合っていると納得して仕事ができることは、自分の誇りを守れることだとわかった。

お酒を飲むのをやめた。飲まなければそれほど楽しめなくなって、本当に行きたい飲み会しか行かなくなった。食べられる量に限界があるので二次会は原則的に断る。食べられないものが出るお店なら行かないか、別の店にできないかリクエストするようになった。
やめてみたら、どこかがまんしながら参加していた飲み会や、無理してつないでいた関係も多かったとわかった。本当に好きな限られた人たちとだけ時間を共にするほうが、心身ともにすこやかだ。


私ががんの経験から得たのは、自分を大切にできるようになったこと。
それは、がんがくれたプレゼントというより、がんを機に見つけて手を伸ばしたものだ。
あえて名付けるなら「キャンサー・トーチ」という感じ。
「トーチ」とは、たいまつ/光。ずっと存在はしていたけれど見えなかったものが、がんがたいまつになって照らしだされた。
自分の尊厳を守る選択肢はずっとあったのに、別の価値ばかりに光を当てていて見ていなかった。私は、病気をきっかけに照らされて見えた「もっと自分を大切にする」ことを自分で選んだ。

今年も2月4日が近づいて、開催されたがんに関するオンラインイベントに参加した。とても有意義なセミナーに満足したのに、その後、わけもなく心がざわついて泣けてきた。
病気がわかり、治療が始まったのがこの時期。よりによって今週は大腸がんを調べる内視鏡検査を入れてしまった。もし病気が見つかったら? 怖い。
初めてひとりでがんのイベントに参加した不安感や冷たい空気感がいろんな記憶とリンクして、治療の苦しい感覚が押し寄せてきた。それくらいには、がんはトラウマ的な経験になっている。選べるなら、やっぱりなかったほうを選びたい。

どうにもならなくて、息がしたくて外に出て、神社を訪れたら梅の花が開いていた。空気を凝縮したような濃く気高い香りが、うっすら希望を照らした気がした。

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