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【生き残ったんだからオールOKとは言えない】下咽頭がん&食道がん治療から約4年半のある1日

(ありがちなことを書いたフィクションの1日)
※個人差は相当にあるはずです。
また、個人の主観という前提で、「こんな人もいる」
というふうにお読みください。

9時頃にのろのろと起床。その前に何度か目を覚ましても、たいていだるくて起きる気にならなくて、だらだらとベッドで過ごしてしまう。

そのベッドとは、上体を起こし、脚も上げられる2モーターのリクライニングベッド。食道摘出後は体を起こして寝なければならず*、手術の翌年に思い切って購入したもの。入眠時にはだいたい状態を30度くらい上げ、明け方に目が覚めたとき15度程度まで下げることが多い気がする。上体を起こしていると腰に負担がかかるし、その姿勢を保つために肩などにも力が入ってしまうようで、起きたときはたいてい疲れている。朝、一日の始まりに「あぁ、体が痛い…疲れた…」と感じることで、軽く絶望感を味わう。

*治療の後遺症① 食道摘出手術→胃の内容物の逆流
食道がん摘出手術でなくなった食道の分、胃を引っ張り上げてつなげています(らしい)。胃の内容物が逆流してしまうため、食べた後すぐ横になるのは危険なのです。食べてから2時間以上は空け、寝るときにも体を起こしておくよう指導されました。食べてから時間が経っていても不意に逆流が起きることがあり(徐々に頻度は減少)、そうなると、たいてい気道のほうに誤嚥が起こって激しく咳込み、痰が出ます。「身体って、異物を確実に体から排出するように働くんだなぁ」「炎症が起こったのか。肺炎ってこうして起こるのね…」なんて、苦しみながら感じます。今は体力があるから思いっきり咳ができて痰も自力で出せるけれど、歳を取って体力がなくなったら無理な気がします。私が亡くなるときは誤嚥性肺炎かもしれないと、最近ぼんやり考えました。

**治療の後遺症② 喉の放射線治療→喉の粘膜のダメージ
ただ咳込むだけでも苦しいのに、私の場合、逆流で上がってきた胃酸などの刺激がすごく喉にしみます。風邪で喉が腫れた最高潮のとき、辛い物がすごくしみる状態がいつもある感じ。(風邪のときと違い、唾を飲んだりするだけでは痛みは感じません)
これは、喉の腫瘍の放射線治療で粘膜がダメージを受けたため。治療直後は舌の粘膜のダメージも大きく、辛い物を口に入れたら辛いというより「痛い!」と反応していたのが、時間とともに回復。でも喉の粘膜はそこまで回復しなかったようで、舌は辛味を感じていないのに、次第にしみてきて涙と鼻水が出始めます。ピリ辛もだめ。許容範囲は幼児と同じくらいだと思われます。通常の人が辛味を感じない刺激も敏感にキャッチして、たとえば、ナスが辛い。スパイスのパプリカも痛い。。。胃酸の逆流は、特に痛くて涙がにじみます。

ベッドから出て、ヨガマットの上へ。テニスボールとストレッチポールでがちがちになった体をほぐし、ストレッチ。

そしてキッチンへ。朝食はだいたい米粉のバナナパンケーキ。喉の放射線治療の直後クッキーなどが一切食べられなくなって***、いい機会だからとグルテンフリーを試してみたところ、小麦粉が体に合っていなかったことを実感。胃腸が弱く、便秘症の一方、よく下痢もしていたのがだいぶ改善されたので、それ以来、小麦粉は少なめ生活を続けている。
つぶしたバナナと米粉、ちょっと片栗粉とベーキングパウダー、卵、水で調整して焼く。バナナや卵である程度栄養がとれているとわかるのが安心感。作りながら、できるだけコップの水を1杯。逆流が怖くて夜はあまり水分がとれないので、脱水を防がなくちゃいけない。でも、実は水もすっと入っていかず、飲みづらい。空気を飲まないように注意深く“がんばって”飲みながら、“前菜”に、ナッツとチーズを少しつまむ****。

***治療の後遺症③ 喉の放射線治療→唾液の減少
喉の放射線治療の際に唾液腺にも放射線が当たったため、左側の唾液腺が壊されて唾液が減少。治療直後は、クッキーを小さくした試供品を口に入れたら(果物アレルギーのある夫がもらったら果物入りだったので、仕方なく私が引き受けた)、口の中の水分をすべて持っていかれました。小さなかけらだったのに、障害物競走のアメ探しで粉の中からアメを探し出た人が粉を吹き出しているシーンみたいにクッキーの粉を吹き出すかと思った。しゃべることもできずその場から走り去ったくらい、口がカラッカラでした。
唾液がないと、お菓子はとても食べづらいのです。粉ものはほぐれないのでなかなか飲み込めなません。チョコレートは溶けずにねとねとと団子状になり、甘さが薄まっていかないので、刺激を感じます。当時より少し回復したけれど、歯医者で口を開けているとどんどん乾いてきてちょっとつらい程度には、今も唾液は少ないです。

****治療の後遺症④ 食道摘出手術→「ダンピング症候群」
胃を食道代わりに引っ張り上げたので、食べたものを胃袋でゆっくり消化する機能が失われました。ゆっくりよく噛むように指導されますが、時間的にも、せっかちな性格からも、そこまでゆっくりできないのが現実。飲み込んだものがある程度一気に小腸にいってしまうので、血糖値の急上昇→急降下を起こしやすい状態にあります。
この影響による症状は「ダンピング症候群」と言われ、多くの食道摘出経験者ができるだけ防ごうと悩んでいるところ。症状はさまざまあるようですが、よく聞くのは、めまい、吐き気、冷や汗、下痢などで、私にもこれらの症状が時々起こります。急激な眠気で必ず眠ってしまう人もいるそう。起床後は特に血糖値が下がっているので、ただでさえ急上昇しやすいはず。私の体ならなおさらなので、できるだけ上昇を穏やかに抑えようという自己流の考えで、食前に“前菜”をとります。サラダなどを準備するのが面倒なのでナッツやチーズを。私は食後少しして具合が悪くなること(吐き気、めまい、下痢など)が時々あり、一概にダンピングとは言い切れませんが、いくらかは関連していると思われます。

朝食を終えたら、処方薬を飲む。「逆流を防ぐ効果を狙っている」と説明を受けた抗生物質と、胃腸の働きを助ける薬。昼食後は胃腸の薬だけ。夕食後は、朝と同じ2種類に、胃酸を強力に抑える薬が加わる。

身支度をして、ジムへ。体力づくりに趣味を兼ねて、病気が見つかる4年くらい前から格闘技ジムに通っている。手術のとき「体重をできるだけ落としてほしくない」と主治医に言われ中断し(OKされたとしても、食べられない期間が長く、体力が相当落ちたので無理だった)、治療後2年ほど経って再開。再開してからも2年くらいになり、だいぶ動ける体力が戻った。とはいえ、50歳という年齢からも基礎体力・筋力との低下とのせめぎ合いを感じる今日この頃…。

ジムから帰ると14時前。リモートワークの夫が作ってくれた遅めの昼食をとる。私たちの定番は、ニョッキ。手軽で好きだったパスタは手術後食べるのが大変になり、食べなくなった*****。その代わりに見つけたのが、じゃがいもが原料のニョッキ。小麦粉のパスタより飲み込みやすく、重すぎず、食べやすい。そして、パスタ好きの夫がいろいろなスパイスなどを入れて作るパスタソースがそのまま使えるので、“パスタ欲”が満たせる。

一口食べて「これ、何が入ってるの…?」と夫に質問******。「ピーマン、にんじん、セロリ、玉ねぎに、タイム、オレガノ、塩コショウ」と聞いて、「セロリとオレガノかな?」と想像して食べ続ける。入っている食材の味をイメージしながら食べ続けたら、味に慣れるうちにおいしくなってきた。

*****治療の後遺症⓹ 食道摘出手術→飲み込みの難しさ、食事量の制限
食道の機能に「蠕動(ぜんどう)運動」があり、食道が動いて食べたものを胃に運んでくれるのだそう。食道がない私は「飲み込むのが大変」と感じていますが、正確には飲み込んだ後、自動的に胃のほうに向かって運ばれていかない(落ちていかない感じ)現象だと思われます。少しうつむいて口のほうに戻る道をふさぎ、「うんっ」と喉のあたりに力を込めて、かみ砕いたものを胃の方に意識的に送り込んでいます。この「うんっ」はけっこうなエネルギーを要し、食事の後は疲れます。そのため、柔らかく細かいもの(ごはんのように)ほど楽。パスタなどこねた小麦粉は弾力があって嚙み砕くのに時間がかかって胃に送り込むのに相当力が必要で(おそらく。感覚的に)、食べているうちにお皿の上に残った分はどんどん冷めていきます…。
また、胃袋がないので物理的に一度に受け入れられる量が減りました。限界を超えると肩甲骨周りの筋肉が張って「背中がいっぱい」という感覚になります。体を傾けたら全部出てきてしまいそうで体がこわばり、深い呼吸ができず、胃袋があったときの「食べ過ぎた~」という満腹感とは違って、本当の苦しさを味わいます。小麦粉ものはお腹でふくらむような重さがあって、後で苦しくなる気がするのも、パスタ(だけでなくうどん、ラーメン、ピザなど)をほぼ食べない理由のひとつ。

******治療の後遺症⑥ 喉の放射線治療→味覚障害
放射線治療による味覚障害が残っています。治療当時は感じられる味が減り、鈍くなっていったように記憶しています。でもそれと同時に粘膜のダメージも受けていたため、味の強いものは刺激(痛み)として感じ、辛味はもちろん、唾液との関連もあって、甘いものや氷の入った冷たい飲み物も痛くてだめでした。ただ、いちばんひどい時も私の場合は醤油とマヨネーズの味はわかり、これはラッキーでした。
今はだいぶ戻りましたが、全体的に味覚が鈍くなったまま。味の強いもののすぐ後、やさしい味はよくわかりません。また、苦味を強くキャッチしやすく、たとえばセロリのえぐみのような部分だけが強調されて、ただの「苦いもの」に感じてしまう場合もよくあります。

昼食後、パソコンに向かって自由業の仕事をする。病気がわかったときにいったん全部の仕事を断ることになり、クライアントを失った。治療痕は体力が落ちて復帰に時間がかかり、“元気”になってからも、起きたときの倦怠感や食べるときのエネルギーの無駄使いによる体力バランスの変化と、食べることに時間がとられるためのスケジュール立ての難しさにより、仕事量は激減してしまっている。

19時前に仕事をやめて、夕食の準備にとりかかる。お味噌汁(かぼちゃ、玉ねぎ、油揚げ、小松菜、まいたけ)とほうれん草の胡麻和えは前日に作ったつくりおきがあるので、冷凍してある雑穀ごはん(100グラム)と、大豆とひじき入りのサラダ(サニーレタス、水菜、にんじん、トマト)に、ゴーヤーチャンプルー(豚肉、ゴーヤー、卵、豆腐)。

病気前の食生活はいいかげんな部分がかなりあったが、落ちた筋肉を戻したくてたんぱく質を意識。また、量が食べられない分、1品を少なくいろいろ食べて栄養を採ろうと思うようになった。消化器系の治療に年齢的なこともおそらく影響して、こってりしたものを食べると具合が悪くなることがあり、また、和食の味がいちばんわかりやすくごはんが食べやすいため、和定食的な夕食が多くなった。

発がんのリスクであることがはっきりしているアルコールは、怖くて飲まなくなった。

食べていて気づくと1時間はたっぷりかかっている。普通のペースで食べられるようになったように錯覚するが、やはり一般的な人よりかなり遅い。
これだけしっかり食べると苦しくはなくても満腹で、食後は家庭用マッサージャーで背中をほぐして長く休憩。その間に夫が洗い物を担当してくれる。

食後すぐは横になれないし、体勢が変わる入浴も難しいので、食べたものが落ち着くまでドラマを見る。夫が設定していた音量ではよく聞こえないので*******、リモコンで音量を上げてお気に入りの海外ドラマを1話か2話。

*******治療の後遺症⑦ 喉の抗がん剤治療→聴力の低下
抗がん剤で聴力が下がるけれど、高音域だけだから生活に支障はないと言われていました。実際、生活はある程度問題ありませんが、支障がないかと言われたら、あります。ずっと耳鳴りがうるさいのです。調べてみたら、人間の体は失ったものを補おうとする機能があり、高音域が聞こえない分を耳鳴りで補っているようです。確かに私の耳鳴りは「しゃ~ん」というような、高い音がにぎやか(うるさい)。
静かなところであれば大丈夫だけれど、車の中だったり、居酒屋やレストラン、パーティー会場のように、広いところで多くの人が話し、いろいろな雑音が反響するところでは、金属音と耳鳴りが混ざって聞きたい人の声を聞き取るのはかなり難しいです。私の聴力のことを知らない相手に何度も聞き返すのはやっぱり申し訳なく、途中から話についていけずなんとなく微笑んで曖昧にあいづちを打っていることも、実はよくあります。
このような孤独感は、副次的に精神的ダメージにもつながっています。

満腹感がおさまって、お風呂に入る。寝る姿勢のせいで身体ががちがちになることもあって、病気前よりちゃんと湯船につかることが増えた。

お風呂から上がり、水を2口ほど飲んで、髪を乾かしてベッドへ。また午前1時を過ぎてしまった。朝がだらだらしてしまうから全体的に時間が後ろにずれるし、食べること+食べた後の休憩に時間がかかって遅くなり、結局早く寝られず、体勢のせいで熟睡できないから早起きができない。悪循環だ。明日は早く起きられたらいいな…と思いながら、眠りにつく。

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