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「俺」と「僕」と「私」と自分——一人称が安定しない生活と社会言語学

 この記事を書いている「私」は、家庭では「俺」、前職では「自分」「僕」、現職では「私」という一人称を使っている。

 なぜ私は自分自身に対する呼称をこんなに使い分けているのだろうか、と疑問に思った。そして、その答えは外部環境に合わせて一人称を変え続けた結果だからだと思い至った。

 「俺」になったのは、はっきりと自覚している限りでは小学校高学年〜中学生の頃だ。「僕」ではどうにも気取った感じがするから、周りに合わせて「俺」にした。就活ではビジネスマナーとして、書面や面接では「私」にした。
 「私」では堅苦しいと思ったので、前職では当初は「自分」と名乗った。しかし、上司から「自分じゃなくて、僕か私ね」と指摘を受けたので「僕」に矯正した。「自分」だと我が強いように感じられるからだろうか。以来、私は一人称としての「自分」は使っていない。

 その後、「僕」から「私」に変化した。「私」は、「僕」が内包している男性的ジェンダーが外れて、気が楽になるからだ。粗暴ではない、礼儀正しくて柔らかく振る舞えているという自覚が芽生え、周りにもそんな印象を与えていると思えるから安心感を得られる。また、自分という存在をミスティフィケーション(煙に巻く・神秘化)することで優越感を得たり、ATフィールドを展開して他人と距離を置いたりすることができるので何かと便利である。私が髪を伸ばし始めたのも似たような理由からだ。

 上記の記事では、まだ「僕」だったが、今では「私」が記事を書いている。
 家族の前では礼儀正しさなどの外面を気にせず、フランクに接したいので、慣れ親しんだ「俺」を使っている。職場では「私」だが、前職の名残で「僕」が出てしまうことがままある。私が比べるのはおこがましいが、男の子が出てしまう加賀美社長のような状態になっている。

 このように、私は外部環境に合わせて一人称を変え続けた今の私は家庭では素の自分としての「俺」、職場では仮面としての「私」という一人称を使う生活をしている。
 家庭の「俺」と職場の「私」は、振る舞い方や他人との接し方が明らかに異なっている。職場の同僚には恭しく接するが、家族には大なり小なりのわがままを言う。

 そこで思い出したのが、「心理学的には家の中と家の外で人間の人格っていうのは、変わって当たり前なんですよ」「人は対人関係の中で人格を取捨選択してる」という名越氏の言葉だ。ライフイズストレンジ2の序盤、外では気弱な兄が、弟には横柄な態度をとるシーンを見て名越氏が指摘したことだ。子どもは父親の前での人格と、母親の前での人格が全く異なることがある。それは人間として自然なことなのだという。
 私も、家庭と職場での人格は異なっており、それが一人称の違いに表れていることになる。

 このように、発話された言葉と発話された外部環境の関係に注目することは社会言語学の領分であるらしい。『日本語は「空気」が決める〜社会言語学入門〜』によると、日本語の人称表現の種類は豊富であり、その中からどれを選ぶかによって、話し手の自己意識や、話し手と聞き手の関係などがそこに投影されるのだという。
 たとえば本記事で書いたように、男性は成長に応じて「ゆうた(幼少期)→ぼく(小学生)→俺(中学生)→私(就活)」と一人称が変化する。漫画に登場する俺様キャラなら「"お前"……"俺"の女になれよ」という台詞で性格が表現されたりする。
 人称表現だけではない。店員が私のような大人には敬語で話しかけ、子どもやお年寄りには普通体で話しかけるという場面はよくある。これは、人によっては礼儀正しさよりも親しみを表現した方が良好な関係を築けるという判断に基づくものだ。これもまた、話し手の考え方や、話し手と聞き手の関係が投影されている。
 言語には普遍的な文法があるが、実際に使われる場面では、状況・時代・地域・話し手と聞き手の関係・社会的背景などの影響を受けて変化する。社会言語学はその変化を明らかにする分野だ。そして、その多様な変化の仕方が言葉の面白いところだなと、私は本書を読んで実感した。画一化された喋り方しかできなければ、言葉を介したあらゆるコミュニケーションは途端につまらないものになるだろう。

 本記事では、一人称の変化から私自身の半生を振り返ってみた。こうして見ると、私の人格形成はそれほど外部環境に左右されており、それが俺・自分・僕・私という一人称の使い分けに表れていることに気づかされる。
 現実しかり、加賀美社長しかり、私たちの身の回りでは、不意に一人称がぶれたり、話し方が変わったりする場面がよくある。その変化に注目することで自分や他人のことを、そしてその背景にあるものをより深く理解することができるのかもしれない。妄想の解像度を高めるのにも役立ちそうだ。この記事を読んでいる「あなた」はどう思うだろうか。