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不信の時代、さまよう獣達——カルバノグの兎編2章後編・感想【ブルーアーカイブ】

 [……]地球は広く、環境はさまざまで、生活習慣も価値観も歴史も非常に多様だ。そのすべてを把握し、自分のこととして感じとり、かつ何者とも与せずに、うまく生きるための知恵をそれらにあまねく与えるなどという仕事は、一人の人間の能力をすでに超えている。率いるべき対象集団の規模はあまりにも大きく、個個人の欲求は多岐に渡っていて、しかも各人がその複雑な現状を知っているのだ。
 人類はいまや、かつてない高度情報社会を築き上げ大量の情報に取り囲まれて生きている。真偽取り混ぜた膨大な情報は物事をあいまいにし、あいまいさは、不信を生じさせる。そう、現代人は信頼ではなく不信を物事の判断基準にしている。情報量が増大するにしたがってその伝達内容の信頼性は低下するという物理法則のままに、人間同士の信頼関係も揺らいでいるのだ。判断材料が多くなるほど、疑惑の種も増える。これは高度情報社会における陥穽と言えよう。たとえ聖人を名乗るだれかに水上を歩くのを見せられたところで、現代人はそれに畏敬の念を抱くというようなかつての純朴さを失っている。

「グッドラック 戦闘妖精・雪風」神林長平

・高度情報社会はあらゆる主義主張を相対化させる。ポスト・モダニズム思想は、マルクス主義思想や西洋哲学における「絶対的真理」「認識の正しさ」に異議を唱え、絶対的なもの、権威的なものを解体していった。その時代に生きる私達は、個々人に善悪の判断基準や価値観の相違があることを熟知しており、それらを統合する形而上学的な判断基準は存在しないであろうことを何となく予感している。

・そんな時勢を踏まえると——カルバノグの兎編2章で色濃く映し出される時代の変遷と、それに伴う個々人の信念の揺らぎは、現代の世相が重なるように感じる。連邦生徒会長の失踪。不知火カヤによれば全生徒から全幅の信頼を寄せられていたというその少女が、キヴォトスから突然姿を消した。一匹の蝶の羽ばたきが嵐を巻き起こしたのか、その後のキヴォトスは未曾有の事件に見舞われ続けた。エデン条約事件、SRT特殊学園の反逆、「色彩」の襲撃。学園や部活など、特定の思想を持つ社会的集団は次々と崩壊。あらゆる「正義」が錯綜する中で、お姫様は魔女として、勇者は魔王として再定義され、兎は「武器は意志を持たないからこそ価値がある」と諭される。目まぐるしく変化する環境、時代、思想。その連綿とした流れを象徴するマイルストーンとなるのが本シナリオであるように思う(図らずも最近、Twitter閲覧制限に伴う不信感の激化と、代替SNSを探す流れがネット上で加速した)

・エコーチェンバー、フィルターバブル、サイバーカスケード、といったIT用語で表現されるように、ネット上では、特定のコミュニティに属したり、自分の考えに近しい人をフォローしたりすることで、自分にとって好ましい情報に取り囲まれながら過ごすことができる。そうして特定の思想に染まり、自分達こそが「正義」であり、それ以外は間違ったものであるという先入観を強めることも。人は信じたいと思うものだけを信じる。しかし、ひとたび自分の信念に揺らぎが生じてしまえば、あっという間に情報の洪水に押し流され、何が正しいのか、何が間違っているのか、判断するのは非常に困難になる。キヴォトスはそんな自由を謳歌しており、尾刃カンナは月雪ミヤコに汚職を糾弾され、そのミヤコは七度ユキノとジェネラルとの邂逅により、意志を持たぬ武器であろうとすることにも一理あるのではないかと考え始める。

「犯罪予防のためとはいえ……果たしてこのままで良いのでしょうか。」

・かくして、私達が生きるのはあらゆる「正義」が希薄化する不信の時代。私達は何を信じるのか。どう信じるのか。カルバノグの兎編2章11話〜の感想をお届けします。

<前編はこちら>


ミヤコの進路、己(たがい)としてのカヤ、裏切りと協調

「先生、ミヤコです。こうして手紙でのご挨拶となってしまってごめんなさい。」

・ミヤコ❗ 置き手紙(ホシノの退部届)が先生のトラウマと知ってのことか❗ やめてよお……❗😭

・RABBIT小隊はFOX小隊の支隊になることを決意。ミヤコ曰く、SRT特殊学園復活という当初の目的は、カヤが確約している。先輩達の元に行けば、隊員達が求める装備や設備も提供してもらえる。であれば理由なきキャンプ生活でこれ以上隊員達に負担を強いるわけにはいかないとのこと。確かに妥当な判断だ。ユキノ先輩の「武器は意志を持たないからこそ価値がある」という主張に関しては、私情を挟めば任務遂行に滞りが生じるという意味では一理ある、と考えたようだ。しかし、「私の信念に関しては、少し引っかかる所がありますが……」「先生の声を聞いたら、なんだか迷ってしまいそうで……」という言葉を残していて、何だか迷いが生じている様子。

・あー……なんかめっちゃわかるなこの葛藤……進路先を決める時って不安に駆られる瞬間が必ずありますよね。自分の学力でこの大学を目指していいのか。学科はここでいいのか。公務員か民間企業か。説明会で興味を惹かれたけどブラック企業だったらどうしよう。周囲の友達や先輩はこうしてるけど、自分はこのままでいんだろうか……エトセトラエトセトラ。判断材料が多くてとにかく不安にさせられる。それでも自分なりにすっぱりと踏ん切りを付ける必要がある。

・カルバノグの兎編2章における各々の信念の揺らぎや相違は、青春時代における自分の将来を決める分岐点すらも象徴しているように思える。ミヤコ、相変わらず頑張ってるな。お父さんはいつでも応援してるからな。たまには実家に顔を見せにおいで(^_^)b……っていかんいかん、新しい人格が。一方その頃、連邦生徒会直轄地区とおぼしきD.U.は——

「D.U.各地で銀行員に対して書類の代わりに銃を突きつけて預金を強制的に引き出すといった事例が相次いでいるそうです。」

あーもうめちゃくちゃだよ。カヤの独裁政治による徹底的な自由の抑圧は、すぐさま市民から激しい反発を招き、暴動に発展した。それを鎮圧しようにも、大規模な治安維持活動はどうしもなく人手不足を抱えている。結果、D.U.はリン政権以前より混沌とした状況に。うーん、残念でもないし当然。

・連邦生徒会内部からカヤに対する不信の声があがる。レッドウィンター連邦学園との交渉はうまくいかない。カイザーPMCとの協力関係は資金繰りが難航して瓦解寸前。カヤは憤慨する。どいつもこいつも、なぜ私を信用しないのか。私に足りないのは何なのか——

「……ありったけの恐怖を見せれば、誰もが私の言うことを聞くようになる。」

バカがよ。……あっ、ご、ごめん、生徒にバカとか言っちゃいけないよね。

「いざとなれば、小都市くらい消し去れるのだと知れ渡れば、楯突くような生徒もいなくなるでしょう。」

・ガキどもが。舐めてると潰すぞ——子ウサギ駅の地下サイロで弾道ミサイル用サーモバリック弾を爆破し、いざとなればいつでも潰せるんやでと恐怖を知らしめる計画を画策。見よ、悪徳が栄えるソドムとゴモラの町は、神の怒りにより滅びた。神を畏れよ。悔い改めよ。

・ごめんカヤ、先生ね、クソ上司って言葉がどうしても脳裏をよぎっちゃうよ……しかし、岡目八目という言葉がある。第三者視点だからこそ冷静な判断ができるもの。少なくとも当事者であるカヤ本人にとっては、建設的な思考によって導き出した解答であるという認識なのだろう。実際そういう一面もあると思う。たとえば——

月雪ミヤコ:
しかしキヴォトスにおける各所の治安組織は、様々な利害関係の中にあります。その結果、「正義」というものを自分達たち独自に歪曲し続けてきました。
(1章第3話)

不知火カヤ:
時間が経てばキヴォトスの市民も理解することでしょう。
自由を放棄し、規律に身を委ねる人生が、どれだけ甘いものなのかを……。
(2章第10話)

月雪ミヤコ:
時と場所を選ばず、相手が誰であっても同じ基準で、ひとつの正義を追求する正義……。
そんなSRT特殊学園に、私は憧れたのです。
(1章第3話)

不知火カヤ:
キヴォトスは、超人(連邦生徒会長)によって指揮されるべきなのです。
(2章第7話)

ミヤコの考え方は、カヤと同じ方向に分化する可能性が充分にある。キヴォトス各所の治安組織は独自に「正義」を歪曲し続けたのだという。それに対する根本的な解決を図るなら、各組織を個人レベルまで徹底管理し、利害関係を一元化するという方法が考えられる。サキが求める厳しい規律と、モエが求める圧倒的強さも、同じくここに分化する可能性がある。

「それに私自身……代行業務が十全に行えているという自信もないですし……。」

・もうひとつ。リンちゃんはこんな不安を吐露している。その慢性的な不安を払拭するには、絶対的信頼のおける超人を取り戻す、という方法がやはり考えられる。つまり、カヤは二人が抱える問題について、実現可能性や倫理的問題はともかく、各々が見向きもしなかった、あるいは見ないようにしている方法での解決策を提示している。

・してみてると、この不知火カヤという生徒、一見するとリンちゃんやミヤコとは全く異なる存在であるように見えるが、実際は、二人が抱える不安や葛藤が「恐怖」の領域に「反転」して暴走すればこうなる、という変身の可能性を体現せしめた、オルタナティブな存在であると言える。ユング心理学でいう影(シャドー)——その個人の意識の中で生きられなかった反面、に近いだろうか。カヤと敵対することは、自分自身の無意識に眠る後ろめたいものと向き合うことと地続きだ。己と書いて「たがい」。最終編のテーマがここでも表現されているように感じられる。

・この子はこの子で何だかんだ色々と背負わされてる。そんな解釈もあってカヤのことはなかなか憎めない。ヘイトを爆買いしてるのでまずは肯定してあげたいですね。うんうん、カヤはカヤなりに頑張ってるんだよね、先生は知ってるからね、よしよし……(存在しないメモロビの頭を撫でる)

「……FOX1、了解。」

・カヤ評が長くなりましたが、本編に話を戻しますと——FOX小隊隊長・七度ユキノは、カヤの計画にドン引きしながらもこれを了承。全てはSRT特殊学園復活のため。武器は意志を持たないからこそ価値がある。その信念を貫徹するために。

「敗者が永遠に戻って来られない野生の社会で最も有効なのは「常に相手を裏切って恐怖を抱かせる事」——All-Defect戦略。」

・この後、FOX小隊隊員は先生に「囚人のジレンマ」の話を持ち出す。ゲーム理論にはあまり詳しくないけど……オトギの発言は、ナッシュ均衡(全プレイヤーが自己利益の最大化を目的にしており、他の戦略に変更する誘引を持たない状態)においては裏切りが解になる、って話を噛み砕いて説明したものかな。カヤは市民の反発に寄り添わない、ユキノはSRT特殊学園復活という本懐を成し遂げるために自己判断を放棄する、それは「裏切り」を選択せざるを得ない均衡状態に陥っている、ということを示唆しているのだろうか。

「実際、私たちもこれまでたくさんの「囚人」と相対してきたけど……わざと相手の有利になるような選択をする人は一人もいなかったわ。」
「……大人の言う「信頼」も、本質的には同じ。」

・大人が「協調」を選択するのも、結局は自己の利益を最大化しようとする利己的行為である、というのがクルミの見立て。ふん、「正義」という言葉は利他的精神を匂わせるけど、突き詰めれば、どんな「正義」だって利己的行為なのよ。あえて自分の不利益になるような行動をする人なんていないんだから。ほら、このおいなりさんだって、先生は自分の身を守るために疑うはず——

「……ふつーに食べてるよ?」

・いなりを食べちゃったの❗❓ この中の中で❓ ……あーもういなりってだけで反射的に語録が。アリスが覚えないように気をつけないと。

上は「協調」、下は「裏切り」の暗喩として読み解ける。

・FOX小隊は先生のことをいまいち信用できておらず、配達員を装って偵察しに来た。これに対して「ドアを開けない(裏切り)」を選択すると、先生はドアを爆破され、FOX小隊は「ドアはすぐに修理しますので……」と補填を請け負うことになり、お互いに不利益を被る。これは「裏切り」を選択し続けることによる共倒れを暗喩しているように思える。「ドアを開ける(協調)」を選択すれば何事もなく話が進むわけだが……たとえばカメラ付きインターホンがない家で、真夜中に身に覚えのない配達があったら、誰だってドアを開けるのを躊躇する。人間の心理としてごく自然なことだ。人は時として常に「裏切り」を選択してしまう状況に陥る。

「先生が生徒を信じないと、何も始まらない……。」
「大人だから、みんなを信じたい。」
(エデン条約編3章3話)

・しかし、どんな状況でも生徒に対して「協調」を提示する「変な大人」がここにいる。先生だ。先生が「協調」を提示し続ければ、生徒が不利益を被る選択肢はなくなる。生徒は敵じゃない。いつだって信じる。たとえその結果裏切られたしても。楽園を証明できずとも、その存在を信じ続ける。

・とはいえ、そんな姿を見せられても、相手を簡単に信じてはならないと教え込まれたFOX小隊にとっては、すぐには「協調」を示し合わせることができないもの。先生がRABBIT小隊の息災を尋ねても、クルミとオトギは現在の状況や居場所を教えない。すなわち「裏切り」を選択するが——

「それに先生があの子たちを変えられるなら、いつかは私たちも……」

・ニコはRABBIT小隊の居場所を教えた。この場面は強調しておきたい。ニコがここで「裏切り」ではなく「協調」を選択したことがターニングポイントだ。この一手がきっかけで流れが好転した。「裏切り」を選択し続ける均衡状態の中、後輩達の居場所を知らせるという、相手が「裏切り」を選択していればこちらが一方的に不利益を被る「協調」を選択した——それはリスクが伴う行為だ。それでもニコは、先生が「協調」を選んでくれることを信じて託したのだ。戦友達と後輩達の未来のために。……ありがとうニコ。信じてくれて。きっとすごく勇気がいることだったよね。

・かくして、ミヤコの居場所を教えてもらいました。さあ進路相談の時間だ。待っててミヤコ! 今行くからね!

「……この辺からRABBIT小隊の匂いがしてね。」
「……逮捕します。」

・とほほ〜……囚人のジレンマの話をしてたら、先生が囚人になっちゃったよ〜……😭(アイリスアウト)


「責任を負うこと」——贖罪か、創造か

「ただ、一つだけ聞きたくて。」
「ミヤコは今、楽しい?」

・先生が何を言おうとも決定は覆らない。ミヤコはそう語る。説得しに来たわけじゃないよと先生。そして、こう訊ねる。「ミヤコは今、楽しい?」と。ミヤコはこれに反論。市民の安全を守るための特殊部隊なのだから「楽しい」という気持ちを優先させてはならない。もっともな主張だが——

「ミヤコが現状に満足しているなら何も言わないけど……」
「「責任」を、誤解しないでほしいかな。」
「「責任を負う」というのは、苦行を背負う事じゃないよ。」
「嫌なことを引き受ける事でも——」
「——間違った行動に対する、罰でもない。」
「「責任を負う」というのは、自分の行動に後悔がないように——」
「心の荷を解く、楽しいことじゃないとね。」

・…………いやもうクッッッソ痺れましたね。確かに、私達が「責任」という言葉を思い浮かべる時、そこには、社会的に背負わなければならないものというニュアンスが付いてくる。私も前編感想記事ではそんな認識だった。最終編では、壮絶な運命に巻き込まれながらも、生徒を守るという責任を果たすために立ち上がる、その悲壮な姿が印象的だったけど……先生によれば本当に重要なのはそこじゃない。別のところにある。

「誰が何と言おうとも、何度だって言い続けてみせます!」
「私たちの描くお話は、私たちが決めるんです!」
(エデン条約編3章19話)

・その実例がブルアカ宣言だ。全ては虚しいと諭されようとも。私達が描くお話は「青春の物語(Blue Archive)」であるとコミットメント(確約)を行う。それは、そうしなければならないという消極的な義務感から生じたわけではない。アズサが人殺しにならないようにするために、友情で苦難を乗り越えて、誰もが笑顔になれるようなハッピーエンドを迎えるために。自分の行動に後悔がないように、心の荷を解くための創造的行為。それがヒフミなりの「責任を負う」ということであった。これが先生の説くものなのである。

・何とはなしに、ニーチェの著作「道徳の系譜学」を思い出す。曰く、約束したことを守れる能力、つまり責任を果たす能力によって、人間は社会的動物になることができた。負った責任を果たすことができなかった者には負債が生じる。これが「負い目」という感情の起源だ。それ自体は病的なものではなかったが、キリスト教において最高度に高められ、「個々人が神に対して贖うことができない罪を負う」という価値体系の下で社会がまとめられ、人間は自分自身を後ろめたい存在であると認識するようになった。

 これは魂の残酷さから生まれたある種の意志の錯乱であり、まったく比類のないものである。人間の意志は、自分が有罪であり、罪を贖うことができないほどに呪われた存在であると考える。人間の意志は、みずから罰せられながらも、自分の罪を償うことのできるような罰はないと考える。人間の意志は、あらゆる事物の根底まで、罪と罰という問題で汚染し、毒しておきながら、この「固定観念」の迷路から抜けだす道を完全に断ち切ろうと考える。人間の意志は、一つの理想——「聖なる神」という理想だ——を確立しておいて、その理想の前では自分が絶対に無価値な存在であることをどこまでも確実なものとしようとする。

「道徳の系譜学」p.174 ニーチェ
中山元訳

・vanitas vanitatum, et omnia vanitas——人間は神という超越的な理想を前にして贖罪の責任を果たそうとするが、その責任は永遠に果たすことができないというジレンマに陥り、自分自身を絶対的に無価値な存在たらしめようとするニヒリズム(虚無主義)の下で生きることになった。それがこの一節におけるニーチェの指摘である。

・これは何となくユキノの心理状態に近いように感じる。FOX小隊隊長として、SRT特殊学園の理想と仲間達を守るという責任を果たさなければならない。しかし、会長失踪後の情勢では連邦生徒会の利害関係に絶えず左右され、FOX小隊の権限と武力だけではその責任を果たすことができない。彼女はそんなジレンマに陥った。ゆえに、その責任を委託できる権威者に頼らざるを得ず、それ以外の判断基準は無価値なものであるとのニヒリズム的思考に至った——「武器は意志を持たないからこそ価値がある」「物事の善悪とは、責任を持てる者だけが判断するものだ(=責任を持てない者以外の善悪の判断は無価値である)」と。その結果、カヤの計画に良心を疼かせながらも止めることができなくなってしまった。先生の一連の発言はミヤコに向けられたものであるが、責任感が強いゆえにジレンマに陥って苦しんでいるユキノのことも言い表しているようにも思う。……これも己(たがい)だろうか。捻れて歪んだ終着点のミヤコは、自分の意志を放棄したのかもしれない。

・ニーチェは屈折させられた道徳観念や哲学の在り方を批判し、神が死んだ時代における新たな価値の創造を図った。これも今の状況に重なるように感じる。連邦生徒会長失踪後、権威にすがり、ニヒリズムに陥るユキノ。そこから脱却し、責任は苦行を背負うことではないと説く先生。責任はヒフミのように、心の荷を解くために、世界に新しい意味付けを行うためにある。何だか小難しい話になってしまったが要するに——ユキノ❗ あんたの気持ちはよくわかるけど❗ 無価値なんかじゃないわよ❗ 他の誰でもない、あんた自身が考えて生み出す行動があまねく「奇跡」の一つになるのよ❗

「——私は形だけのSRT(名前)よりも、変わらない価値のために戦います。」

・かくして、ミヤコは自分の責任を果たすために動き始める。ユキノからの命令を一蹴。カヤの計画を阻止するための作戦を開始する。

・連邦生徒会に反抗するという当初の姿に戻ったが、当時とは違う。先生、デカルト、カンナ、FOX小隊、ジェネラル、カヤによる新たな社会秩序——ミヤコは様々な出会いを通じて、不安に駆られながらも、「正義」とは何であるかを問い続けた。権力への反抗以上に意味のあるものを。形だけではない正義を。市民の安全を守り、先輩達も守るために戦う。はたして、あらゆる「正義」が錯綜し、「裏切り」が連鎖する状況下で、彼女は何に責任を負うのか。何を創造するのか——


「カルバノグの兎」

「物欲に目が眩み、道徳心を失った俗物共に……
「無所有の喜び」を教てやるとしましょうか!」
「……社会奉仕の一環として、生活安全局(後輩)の仕事でも手伝おうと思ってね。」

・ブルアカのアベンジャーズ展開、何度見ても飽きませんね。カンナを献身的に支える新妻になりたい。

・所確幸とヴァルキューレ警察学校の陽動作戦が成功。ミヤコは子ウサギ駅地下サイロへ侵入。そこにあったのは予想を遥かに超える大規模な軍事格納庫。市民が平穏な暮らしを営む街の地下に覆い隠されていのは、聖杯を我が者にせんとする独裁者達の邪悪な欲望が渦巻く洞窟であった。

・そして、やはりそこにはFOX小隊が待ち構えていた。ミヤコだけ立ち向かうのは不可能だ。と、そこに現れたのはあの三人——

「私たちは、ミヤコの正義を——信じる。

倉モエ、沢ミユ、井サキ……ん?🤔 ちょっと待って……月雪ミヤコ❗️❓ あっこれ気候に関する漢字が使われてんのね❗️❓ うわー今さら気づいたわ……戦況が天候でうつろいゆくように、隊員それぞれの長所と信念を活かすことで敵を翻弄し、柔軟に連携しながら戦い続けているんだ……良すぎでしょ……😭👍💯

・すみません。思わず早口になってしまいました。ミヤコは「私が正義を信じて進む先には険しく苦しい道が続く。隊員達を巻き込むわけにはいかない」との判断から、隊員達を置いてきていた。しかし、三人は同じ正義を信じてやって来た。ユキノのように形だけではない、カヤのように独善的ではない。過酷な状況にも決して折れない規律を、悪徳に屈しない圧倒的な強さを、恐怖に立ち向かう勇気を手にするために——それは彼女達にとっての「責任を負うこと」なのだろう。後悔しないために。ミヤコをひとりぼっちにしない。共に戦うことでそれぞれが胸に抱く信念を証明するために。

「「カルバノグの兎」作戦——開始です!」

・作戦名「カルバノグの兎」。名は体を表す。「勇敢で純粋な心の持ち主のみ——カルバノグの洞窟で道を見つけられるだろう」という、自分達のアイデンティティを成す小説で描かれるメッセージを、現実のものにする。RABBIT小隊はその責任を自ら負った。

・かくして、月雪ミヤコが辿り着いたのは、仲間との信頼、市民も仲間も先輩達も守る優しさ、怪物をやっつけるための強さ、立ち向かう勇気であった。それは言葉にすればどこまでも陳腐で、ともすれば稚拙で、「裏切り」で均衡する状況においてはシニシズム(冷笑主義)で迎えられる。それでも少女達は進み続ける。自分を苦しめるためではない。自分の心の声に耳を傾けて。仲間を尊重して。「楽しい」を信じて。

・洞窟のメッセージと怪物については、元ネタ映画(モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル)を踏まえると何だか面白いですね。未視聴の方はぜひ。と、余談はさておき……行くぞオラァ❗❗ 見せつけてやろうぜ❗❗ 兎のかわいい見た目に油断してたら痛い目みるってなあ❗❗👊💥


そして狐は明日を託す

「……隊員を最後まで信頼できなかったのは、先輩の方みたいだな。」

・サキとクルミのポイントマン対決。サキは苦戦を強いられていたが、クルミに仲間への信頼を試すようなブラフを仕掛ける。クルミはまんまと引っかかり制圧されてしまう。サキは確信めいてこの心理戦を仕掛けた節がある。FOX小隊で不和が生じていることを肌で感じていたのだろうか。第1章で先生の心理戦にミユが打ち負かされた時の経験も活きていそうだ。

・仲間への信頼が揺らぐFOX小隊、信頼し合うことで先輩達を打ち負かしていくRABBIT小隊。……どうしてこうなっちゃったんだろうな、信頼に基づく連携がいかに強いかを教えてくれたのは先輩達だったじゃないか……と、切なさすら覚えてしまう対比。でも前向きに捉えよう。やはり信頼は強い。ひとりではできないことを成し遂げられる。困難に立ち向かう勇気をくれる。セオリーを度外視した作戦行動で無理をねじ伏せることだって。

・かくして、RABBIT小隊は快進撃を続ける。仲間への信頼を、それぞれの長所を、先輩達から教わったことを活かして。よしよし、この調子ならユキノを止めることができ——ん?

「私は今、<A.N.T.I.O.C.H.>弾頭の自爆ボタンを握っている」
「君たちがオペレーションルームに一歩でも足を踏み入れたら……即座にこのボタンを押す」

ユキノォ❗️❗️❗️❗️
卓越した交渉術をこんな形で発揮しないでよお❗️❗️

ユキノ:
(……私は、何のためにここに残っているんだ?)
(ただ、SRT特殊学園を復活させるために……命令を遂行し続けてきただけなのに……)
(……どうして、ここで自爆ボタンを持って立っているんだ?)

2章22話

・ユキノは目的を見失っていた。SRT特殊学園の理想と仲間達を守る——その目的は、責任を果たすことができないジレンマに端を発して徐々に捻れて、形骸化し、本来の自分が追い求める「正義」と乖離していった……ユキノ❗️ もういい❗️ 押すなとは言わないからいったん面談しよう❗️ 頭の中がこんがらがっちゃってるじゃん❗️ 思ってること全部吐き出して、原因の切り分けとか、思考の言語化とかで整理してさ、ちゃんと自分に軸を通してから、起爆ボタン押すかどうかはその後で考えよう? ねっ? ホワイトボード持ってくるから! ……くそっ、通信途絶か……いったいどうすれば——

「親友が、一人で責任を負うために深淵に飛び込もうとしてるっていうのに……そのまま放ってなんておけないわよ。」

く、クルミちゃん……❗️❗️😭🙏

・起爆ボタンを握るユキノに隊員達が駆け寄る。起爆の件は伝えられていなかったが、ユキノが自分ひとりだけで残ろうとする理由に、隊員達は勘付いていた。ユキノはひとりで責任を引き受けようとしている。私達を守ろうとしている。「ユキノならそうするから」だ。ならば捨て置くことはできない——そう、私達は親友なのだから。意志を持たぬ武器であろうとした彼女達が取り戻した信頼の形、絆であった。

・後悔しないために、心の荷を解くために。贖罪ではなく創造のために。親友として共にいるために。三人はユキノと共に責任を負うことを選んだ。そして、それは自分達の関係を維持するためだけではない——

「もちろん、後輩にこの責任を押し付けるのはもっと嫌。」
「この汚名は、私たちが背負って……あの子たちを帰してあげよう。」

……これを笑顔で言うんですよ。ニコは。その笑顔にどれほどの思いが込められているのか。思いやり、強がり、励まし、希望、憑き物が取れたような清々しさ。そこに険しく苦しい道が待ち受けていようとも。後輩達の未来を守るために。それがニコにとっての後悔しないための選択なのだろう。

・「全てはSRT特殊学園復活のために」——そう掲げてFOX小隊は再び立ち上がる。形だけの名前は崩れ始めた。ユキノは思い出し始めていた。仲間との信頼を。後輩達を守ることを。後輩達を追い返すために総決戦を開始する。その結果は——

「自らの手を汚してまでSRT特殊学園を復活させようとするのは、後輩のためだと——以前、先輩が言ったんですよ。」

・RABBIT小隊の勝利。起爆すると脅されてもなお、ミヤコはオペレーションルームに突入した。ユキノ先輩が私達を爆発に巻き込ませるはずがない、という確固たる信頼に基づく行動であった。その迷いのない判断の差が勝敗を決したのだろう。「躊躇いを抱いたまま、錆びたナイフで正義を振りかざすほど無様なことはない」——いつかユキノがミヤコに語った言葉は、皮肉にも、今のFOX小隊を残酷なまでに的確に表現している。

・ユキノは今の自分が何であるかを悟った。SRT特殊学園はいわば、本来自分達が背負える責任よりも大きな力を振るえるように設計された組織だ。しかし、連邦生徒会長の失踪によって責任者が不在になった。自分はその後もなお力を惜しんで他の権威にすがっていたのだと。いっそこの力を投げ捨てて、RABBIT小隊のようにゼロからスタートすればよかったのかもしれないが……先輩という立場上、後輩達の未来を守るために何としてでも組織を維持しなければならないという無意識のブレーキもあったのだろう。ユキノの責任の負い方は、ジレンマによってどこまでも奇妙に捻れていった。

「もし先生が、私たちのように背負いきれない責任と直面したら……」
「その時は、どのような選択をされますか?」

・ユキノは先生にこう訊ねる。永遠に果たすことができない責任。過ちは繰り返され、結果は何も変わらない。「裏切り」の連鎖。冷笑主義に陥る、その大いなる虚無の中で——それでも「明日を待つよ」と先生は答え、ユキノにも明日があることを、明日はもっとうまくできるよと諭す。

分からない所があれば、学べばいい……
困ったことがあったら、手を伸ばして……
辛い時は支え合って……
そうやって成長して、大人になったら。
その時に改めて、責任を負えばいい。

2章22話

・子どもは成長していつか大人になる。その過程で責任に向き合い、約束を守れる社会的動物として育ち、社会との関わりを深めていく。では社会にどう関わっていくのか。何に責任を負うのか。今はまだわからなくても。間違えてばかりでも。いつか今日とは違う明日に手が届く。その日が来たら当時の自分に改めて向き合えばいい。「あの時はこうだったなあ。今ならこうするなあ」と次の行動に繋げることができる。さらに行間を読めば——全てが繰り返され続ける永劫回帰を生きる自分に、今は意味を見出せなくても、いつか訪れる明日の自分が新たな意味付けをすればいい、という積極的ニヒリズムの話としても解釈できるだろうか。

・「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」——百人一首・八四番、藤原清輔朝臣の歌だ。生きながらえていれば、辛いと感じる今日この頃も、懐かしく思えるだろうか。辛かった過去が今となっては恋しく思えるのだから。そんな和歌である。明日を待ってみるというのは案外、ただただ現在の状況から現実逃避をする無責任な考え方、というだけではない。未来の視点から自分を俯瞰することで、どん詰まりに陥る今の自分の心を過去に流して、気持ちをリセットする。思考をクリアにする。そんなメタ認知による効能もあるのだ。……相変わらず心に沁みるな、先生のアドバイスは。酸いも甘いも噛み分けた大人だからこその年季がこもった言葉って感じだ。

・先生の言葉を受けて、ユキノは投降する。今日の自分が守ろうとしていた後輩達の居場所は、形だけのものであった。そして、どん詰まりだと思っていた状況の中で、他ならぬ後輩達自身が、かつての自分達が掲げていた使命を誠実に成し遂げていた。そんな相手がいるなら、自分も明日に歩み寄れるなら。安心して託すことができる。

「……昨日の私たちが間違った選択をしなかったと——」
「——どうか、君たちの手で証明してくれ。」

・かくして、「裏切り」の連鎖の中で、ユキノは「協調」のボタンを押した。かつては兎が狐に夢を見た。今は狐が兎に夢を見る。私達はそうして己(たがい)になって、今日より遥か遠い明日に向かって歩き続ける。


エピローグ

「先生の言うことなら何でもしますから——」

・ん? 今何でもするって言ったよね?🤔(条件反射) じゃあ「小悪魔なカヤが疲れたあなたをあまあまに寝かしつけるASMR〜先生、添い寝しちゃいますね❤︎〜」を収録してもらうおうかな。7日分ね。

・カヤはRABBIT小隊により御用となった。数々の悪行が暴かれて、身内から吊し上げられることに。かくして彼女が築き上げた軍事独裁政権は、毎度おなじみの楽曲Unwelcome Schoolと共に崩壊したのであった。

・……うーん、ジェネラルとカヤが戯画的な小悪党に落ち着いちゃったのは消化不良感ありますね。悪い意味でのなろう系っぽさを感じてしまった。と、引っかかる点はあるけど何だかんだ楽しめました。レッドウィンター連邦学園イベントや、元ネタ映画みたいな感じで。

・カヤは事件後もなお超人思想を信奉している様子。ミカとかサオリとかリオみたいに、今回の件が成長に繋がる可能性が存分にあるはずだ。今後のシナリオでの動向に期待したいですね。大丈夫。先生はいつでも応援してるからね……よし、それじゃあさっそくこのバイノーラルマイクで音声収録をしてもらおうかなあ❗️❗️

「……矯正局の生活も思ったより悪くないね。」

・FOX小隊は矯正局送りに。どこか晴れ晴れとした表情だ。明日に向かって着実に歩み続けている。よかった。みんな元気そうだ。ずっと苦しかったよね、頑張ってくれてたんだよね。本当にありがとう……😭🙏 いつかシャーレの当番になれる日が来るだろうか。その時は青輝石全部溶かしてでもお迎えする所存です。

「午前の作戦で汗ばんでしまって……シャワー室を借りてもいいでしょうか……?」

・かつての日常を取り戻し始めたキヴォトスで、RABBIT小隊は子ウサギ公園でのキャンプ生活を続けることに。SRT特殊学園の正義を貫くため。表面的には元通りになっただけだが、様々な出会いや事件を通じて、精神面も戦闘技術も飛躍的に成長した。ついでに、1章ではシャワーを貸そうとしたらかなり罵倒されましたが、今では心置きなく使っている様子。これは先生を信頼しているという何よりの証拠であり、誰かと共に「協調」することの大切さを胸に刻んだからこそだろう。どれも1章当時とは比べ物にならないほどの変化だ。

・私達は何を信じるのか。どう信じるのか。千差万別の価値観を統一できる超人や社会的規則はきっとどこにも存在しない。正義は常に秤にかけられ、自他共に不信感に晒される。それでも、仲間達との絆や、あの日の先輩達の輝きは、彼女達の中では決して色褪せることはない。その勇気が、信頼が、誰かを思いやる心が、きっとこれからも私達の日常に「奇跡」を生み出すだろう——


完走した感想

お耳ぴょこぴょこかわいい

・いやもう相変わらず物量がすごいな。頭がくらくらするわ……

「個人は、ただ社会的な文脈の中においてだけ、個人となる」——心理学者アルフレッド・アドラーの言葉だ。ブルアカが「己(たがい)」という言葉で表現しているように、人間は完全な「個」ではなく、他者との関係において個人としての自分を認識する。アリスがゲーム開発部との出会いによって勇者になり、ケイの心情を思うことで、勇者とは何か、自分はどうありたいかを考えたように。

・より大局を見れば、人間は自分が属する社会・集団、自分が生きる時代、社会情勢などに無意識のうちに多大な影響を受けながら過ごしている。そうであると実感できるのは得てして、大事件が起きた時や、自分を取り巻く環境が激変した時である。それに直面した時、人はひとりではどうにもならない巨大な現実に押し潰されて挫折し、自分の信念を揺るがせ、失意のどん底に落ちる。しかし新たな価値観を身につけたり、自分を作り替えたりすことだってできる——と、それを社会的文脈の中で克明に描いたのがカルバノグの兎編2章であったように思う。生徒達が千差万別の校風の下で自由を謳歌する学園都市キヴォトスは、どこまでも現代社会の鏡写しだ。その世界観の下で描かれる事件や、個々人が抱える不安や挫折は、他人事とは思えないほど真に迫るものがある。だからこそ、その渦の中で、自分を信じること、誰かを信じること、そのために困難に立ち向かい、自分の殻を破って挑戦してみることを選ぶ生徒達の姿は、現代を生きる私達の背中を押してくれる。

・と、そんな社会情勢とその激変を踏まえた物語として必然的に描かれるのは、クーデター、テロ計画、ファシズム政権による恐怖政治……と、字面だけ見れば「それなんて洋画?」と思ってしまう内容だが——しかしそこはブルアカ、やはり「青春の物語」として太い軸が通っている。ミヤコの置き手紙の場面で書いた通り、私がこのシナリオでふっと思い浮かべたのは、進路先を決めるという青春時代における岐路だ。進学、就職。ネットを見れば多様化したライフスタイルが可視化されている。あらゆる価値観や契約内容が提示され、それに触れていく中で、自分はどう生きるのか。何を取捨選択するのか。良いことばかりではない。何を信じればいいのかわからない。自信をなくして落ち込むこともある。「これが正しいんだ」と自分に言い聞かせて誤った方向に落っこちちゃうこともある……そこで先生が教えてくれたのは、自分が目いっぱい生きてると実感できる「楽しい」に耳を傾けてみること、明日を待ってみることだ。これはただの楽観主義ではない。自分を見つめ直すため、そして社会との関わり方を考えさせるための言葉であった。

・大人になってからも、人生の岐路はいくらでもある。情けないけど何度も迷ってばかりだ。責任感が押し寄せて苦しくなる時もある。だからこそ、本シナリオにおける先生の「責任を負うこと」の考え方にはハッとさせられた。そんな先生の言葉をきっかけに立ち上がるミヤコやユキノの姿にも、やはり励まされる思いがした。「やらなくちゃ」も大事だけど「やってみよう」を。何だか心がふっと軽くなった。後ろ向きではないノスタルジーを感じさせてくれた。やはり子どもに学ばされることは多い。私自身も成長していきたい。

・……と、毎度のことながら行間の情報量がえぐい。「何となく現代社会っぽい」「何となく今までと同じく積極的ニヒリズムの話をしてるっぽい」を言語化したくて何度も書き直してたらめちゃくちゃ時間が溶けてました。こんなに密度が濃いのに、まだ最終編以後の最初の物語ってマジ???? 一体これからどうなっちまうんだよ……頭がくらくらするわ……たすけてくれ……でもそのおかげで読書欲が再燃したり、自分のことを見つめ直すきっかけになったり。だからこそ時間をかけて向き合いたいと思える。元気をもらえる。ありがとう。ブルアカとの出会いには感謝するばかりです。と、自分語りはさておき——

・4.5thPVを見てみると、「過去」「現体制を破壊するテロリズム」「新たな統率者の登場」を思わせる台詞やスチルが散りばめられている。これらはまさにカルバノグの兎編2章で描かれたものと重なる。とすれば、本シナリオは新たな物語群の嚆矢としての役割も担っているのかもしれない。「時間認識」や「繰り返される歴史への認識」に関する古則が出て来るんじゃなかろうか。

・過去、現在、未来。我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか。美しかったはずの過去は塗り替えられ、今を生きる私達は行き場を見失い、そうして未来は恐怖と虚無をもたらす深淵と化す。その巨大な渦の中で、私達はうまく生きていけるだろうか、己(たがい)を信じることができるだろうか——

・きっと大丈夫。目まぐるしく流転し続けるこの世界で、今日の自分に囚われることがあっても、そうして間違えることがあっても。明日の自分に手を伸ばそう。本シナリオで描かれたテーマがこれから先のシナリオにどう影響を与えていくのか。生徒達は何を創造していくのか。これからも見守り続けます。それではまたどこかで。

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