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【読了】悪名高き量子物理学者を定性的に楽しく_生命とは何か/シュレディンガー

量子力学の礎を築いた物理学者の一人シュレディンガーが専門外の「生命」について一般向けに語る。現代の高校生が学習する理系科目(基礎なしの生物、化学、物理)を十分に学んでいれば一部の専門性の高い説明を除き概ね親しみをもって読める。一般向けを自称する通り、数式はほとんど出てこない(出てきたものも読み飛ばして理解できる)のが特徴である。

念のため補足しておくと、シュレディンガーは一般に「箱を開けるまで猫が生きているか死んでいるかわからない」の人であり、自然科学領域が好きだが数式を扱うのは不得手な理系大学生にとって難解な「波動方程式」の人として憎まれる偉大な物理学者である。(コリ,2023)

『生命とは何か』が書かれたのはワトソン、クリックによるDNAの二重螺旋構造発見より古く「これは科学史だ」とのレビューが見つかるのも納得であるが、物理、生物学といった分野を横断して推論し、それまでの物理学では説明のつかなかった「生命」を紐解いていく過程は純粋に面白かった。章を追いながらわくわくする楽しさがあった。

記録によると私がこの本を手に取ったのは2021年6月と実に1年半以上前のことらしいが、当時は全七章+αのうち第一章のみでさえ読むのがままならず積み本(積読と呼ぶ方が一般的らしいが、私はなぜか積み本と呼びたがる)の一つとして本棚で熟成させられてきた。

さて、最近の私は副業的プロジェクトでこれまでになくたくさん喋っている。そして、まるで喋ったら口から出た言葉が抜けてなくなってしまい、それを目から補わないとならないが如くこれまでにない勢いで本を読んでいる。よって、読書の二月、積み本消化月間です。10冊目として熟成して美味しくなった『生命とは何か』を読み終えた。

現代における正しい理論を解さないためにどこまでが真実でどこからが誤謬に当たるのかを読み分けることができないが、以下本の要約。



本書の初めでは物理学者の視点よりなぜ生物の体は最小の構成単位である原子に対しあれほど大きくなくてはならないのかと問いかける。

そして分子の安定性から突然変異に言及する。異性体分子-量子飛躍の関係を対立形質-突然変異に当てはめる。

また、学校で習う「気体ー液体ー固体」の状態変化とは異なる「分子=固体=結晶、気体=液体=無定形」の視点を導入し、一つの遺伝子あるいは一つの染色体繊維全体は一個の非周期性固体であると仮説する。

上述の通り遺伝子は固体=分子であるので、デルブリュックの分子模型(これは私は全く聞いたこともなかった)で説明することができる。ここから一般的な結論が一つだけ得られ、それこそがシュレディンガーがこの本を書くに至った動機である。

生きているものは、今日までに確立された「物理学の諸法則」を免れることはできないが、今までに知られていない「物理学の別の法則」を含んでいるらしい、ということ

第6章 秩序、無秩序、エントロピー p.118


次に「生命とは何か」別の話題として、自然状態でエントロピーが増大して崩壊していく非生物に対し、生物は秩序を保ち続けることができる違いに移る。生物固有の「代謝」というしくみに着目して議論する。

代謝(交換)とは負のエントロピー(無秩序さの単位と読み換えてみる?)を取り入れること(⇔エントロピーを絶えず捨てること)であり、生物は代謝により崩壊を免れる。


当時の物理学では説明のつかない生命の秩序_遺伝や代謝_は二つの仕掛け(秩序から秩序、無秩序から秩序)により生み出される。(※遺伝、代謝がそれぞれ秩序から秩序、無秩序から秩序に対応するのではないように思う。)

二つの仕掛けはプランクの論文で述べられる「力学的法則性と統計的法則性」に次のとおり対応する。

力学的法則性_秩序から秩序
統計的法則性_無秩序から秩序

ここからシュレディンガーは『生命を理解するには、生命は一つの純粋な機械的仕掛すなわちプランクの論文で用いられている意味での「時計仕掛」に基づいているということが手掛りとなるとの結論』に達する。

プランクの論文における「時計仕掛」という言葉が鍵であり、(詳細は本の言葉より他に説明ができないので省くが、)結局生命は力学的法則のみならず統計的法則性の支配を受けるために、複雑怪奇で未解決の神秘が多いものの、物理学により説明がつくはずであるということである。




うーん、特に最後の方の要約には自信がないがどうであろうか。まだ読解力不足だ。



要約では触れなかったが賛否両論のエピローグは極めて科学的な話題より一転、「生命とは何か」という哲学的思索が語られているのも本書の特徴の一つである。エピローグまで読み終えて振り返れば、第一章から第七章まで、章の初めに置かれていた引用の必要性がわかる。引用元は下記の通り。

第一章 デカルト
第二章、第三章、第四章 ゲーテ
第五章、第六章 スピノザ『倫理学』
第七章 ミイゲール・デ・ウナムーノ

ウナムーノさんだけ存じ上げていなかったが、スペインの哲学者らしい。

「生命とは何か」と聞けば様々な考察が考えられる。この本は主に科学的な側面より生命を紐解いてきたが、上記の通りシュレディンガーは別の側面からも生命を検討し、『生命とは何か』を著さねばならないという気になったのではないかと思う。

この本にインスパイアされた者たちにより遺伝子の構造が特定され(遺伝子の本体はDNAであり、DNAは実際にシュレディンガーの予想した通り非周期性の結晶である)分子生命科学が花開いていった。専門外ゆえ正確性に自信がなくとも、それを受け入れたうえで臆せず知識を掛け合わせ推論していく挑戦はとても意義があるものであったと実感した。



シュレディンガーが物理学から生物学に股をかけ、また哲学的思索も加えて学問横断的に一つの問いへの答えを探したこの本を読み終え、『大事なところより心に残ったことの記録』としての感想を記す。

①知を愛すること
学問横断というがそもそも、学問は分枝して生まれてきたものであり、元来数学も文学も哲学者の仕事であったはずだ。必要とされる資格は知を愛すること(philosopher)。知性には惹かれてしまうよね(よね?)

②国立大学の受験科目が多いことの有意性について
我が国の最高学府は国立であり、その他国立大学も一般に「より賢い人」が学ぶのを許される場として認識されるのではないかと思う。そして、分枝した一つを究めるのも大事だけれども、何か専門性を突き詰めるには他の学問の理解も不可欠なことが多々ある。シュレディンガーが生命の裾野を広げたように、また、「生命」を究めるには別の独立した学問名で呼ばれる「倫理」が必要なように。

受験科目が多い負担は入学者の篩になるが、国が提供する学びの場って、本当に知を愛する人のためにあるんだなぁと思った(私大出身並感)。

おしまい



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