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覚悟のないオープンイノベーションは「善意の搾取」

「オープンイノベーションで地域を変えたい!」

そんな想いで、まずはアイデアソンだ、ハッカソンだとイベントを立ち上げる。よく言われるのは「イベントで終わらせてはいけない」という声。
何か形を残さなければいけない

そのためイベントが終わってもフォローアップが続く。
その場で集まったチームで、継続的に集まり、地域の課題をどう解決するか実装までやっていこうという流れをつくる。

表面的に見えるのは「地域盛り上がってるじゃん!」
ただ、参加者の本当の声はどうか。
「この取組の主体って誰なの?もしかして自分達?」
「これってどこまで巻き込まれるんだろう」
「何で自分がここまで関わるんだろう」
「お金は?これって報酬出るんだろうか?」

正直、巻き込まれ事故的な展開。
その人自身の覚悟も問わず、「地域」を免罪符に巻き込んでいく。

もちろん、この流れが継続して上手くいく場合もあるんだろうと思います。
ただ、そういう参加者のモヤモヤとした想いを無視して本当にいいんでしょうか。他人の人を時間を奪うのであれば、一人一人の声や想いをきちんと聞いて、選択肢を与えて、最後まで抱える覚悟で走るべきなのではと。
選択肢も与えずに「あなたが選んだんでしょ?」というのはあまりに乱暴だと思います。
「地域」ってそんなに偉いんでしょうか?
困っているなら、自分達のリソースを使って、お金を払うなり、なんなりしてやればいいんじゃいでしょうか?

本来のオープンイノベーションの議論は、個人単位でも大企業等のリソースを使えば、大企業の脅威と並べた取組ができるという認識のもと、彼らとどう共創するか、という、個人と大企業(上記の場合は「地域」と言い換えてもいいかもしれないです)が、対等の立場で語られるものだと思っています。

オープンイノベーションが「善意の搾取」であってはいけない
「善意の搾取」の果てには、不信感のみが残り、本当の意味でのイノベーションなんて産まれない。特に地域がそれをやってしまうと、より閉じてしまう関係になるのではと懸念します。
「地域」という定義も範囲も不明瞭な概念をベースにおくのではなく、個人の力がITにより、より強大になった今こそ、一人一人の声に傾けて、そこから新しいイノベーションを生み出すような流れに重点を置くべきではと、個人的には思います。

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