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💿追悼 David Lindley

2023年3月3日、78歳で亡くなりました。

個性あふれるギタリスト、ヴァイオリンをはじめ弦楽器なら何でも弾けるミュージシャン、残念です。

1967年、自身のバンド、カレイドスコープを結成、1971年まで活動した後、ジャクソン・ブラウンのバンドにギタリストとして参加する。ブラウンとは1981年まで活動を共にし、彼の黄金期のサウンド形成に貢献した。
1981年、エル・ラーヨ・エキス (El Rayo-X)を結成し、アサイラム・レコードより初のリーダー・アルバム『化けもの』をリリースした。ヒューイ・"ピアノ"・スミスやアイズレー・ブラザーズの曲をレゲエ調でプレイするなど、独自の世界を展開している。邦題の『化けもの』は、リンドレー自身が指定したもの。エル・ラーヨ・エキスとは1988年の『ヴェリー・グリーシー』まで計4枚のアルバムをリリースした。

Wikipedia

Stay

1980年11月、Jackson Browne の追加公演、
大阪府立体育館で聴いた Stay 。

途中の高音なヴォーカル、レコードでは誰が歌っているのかわからなかった。
友達と、Jackson Browne の子どもかな、そんな話をしていたと思う。

ネットで簡単に検索できる時代では無かった。

曲の途中、スチールギターから離れてマイクへ向かう David Lindley 。

上の動画で1分13秒
あーこの声は Jackson Browne の子どもではなく、David Lindley だったのだと、この瞬間に知った。

上の動画で37秒
Rosemary Butler が数年後、映画「汚れた英雄」のテーマ曲を歌い日本でブレイクするとは思ってもいなかった(余談)。

1980年来日公演で買ったパンフレットより
左が David Lindley 、右は Russ Kunkel


2023年3月20日、David Lindley が亡くなった17日後、Jackson Browne のJAPAN TOUR 2023が大阪フェスティバルフォールを皮切りに始まった。

当然、初日のフェスへ。

ライブは最高でした。
しかし、昔の曲を聴くと、どうしてもスチールギターはやっぱりDavid Lindle じゃないと、そう思ってしまう。
会場にいた殆どの人もそう思っていたのでは。

それほど、彼の存在は大きかった。

Bye Bye Love

私が持っているアルバム(見出し画像)より、大好きな曲を。

Twist and Shout

Mercury Blues

最後はライブ映像で。

スチールギターが似合うなぁ。

Jackson Browne 追悼文

Facebook に寄せていた追悼文の最後の箇所を引用し、終わります。

デイヴィッドの死によって、僕自身の世界は打ち砕かれてしまった。 彼は僕の友人であり、僕の先生だった。 今、長年にわたる僕たちの特別なつながりを再確認できたのは、大きな喜びと確信になった。 彼はいつもそばにいると僕自身が考えていたのだと思う。
この2週間、何か書いて投稿すれば良いのか足掻いていた。 書き始めるのも難しいし、結論も難しい。それは僕が彼を失いたくないからだと思う。 デイビッドは誰にでも親切で、とても可笑しな人だった。 不誠実な言葉を発することも、不誠実な音を奏でることもなかった。 きっとトリビュート・コンサートがあって、彼のドキュメンタリーは必ず作られるだろう。 彼の人生を祝福し続ける方法があると思う。 そして、もう二度とDavid Lindleyは現れないということを、僕たちは思い知るのだ。

– ジャクソン・ブラウン

Facebook


<了>


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