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📿西国三十三所巡礼⑨ - 特別印(前編) -

上記見出し画像は、小雨の中の那智御瀧熊野那智大社HPでの表現)です。

内容は変わりますが、前回の続きです。

西国三十三所 草創1,300年記念「特別印」

2017年1月から始まった草創1,300年記念行事は、公式サイトによりますと2023年3月31日までとなっています。「特別印」も事業終了日までですので、今年度限りとなります。

2024年4月1日以降、「特別印」を見たくなれば、この記事にアクセスするしかありません、たぶん(笑)

以下、朱色のスタンプは、御朱印を頂いた時に左上へ押してもらった草創1,300年記念「特別印」で、デザインは全て寺のオリジナルです。

この3回に分けてのシリーズは、デザインに特徴のある「特別印」についてのみスポットを当てました。寺の公式HPより由来を載せたり、撮影した画像を使ったりして記事としています。

第一番〜第六番

第一番 那智山 青岸渡寺
第二番 紀三井山 金剛宝寺 (紀三井寺)
第三番 風猛山 粉河寺
第四番 槇尾山 施福寺 (槇尾寺)
第五番 紫雲山 葛井寺
第六番 壷阪山 南法華寺 (壷阪寺)

順番は左からです
以下、同じ

第一番 青岸渡寺は、那智の滝

小雨の中の「三重塔」「那智の滝」

第二番 紀三井寺は、桜

この紀三井寺の桜にも為光上人にまつわるいわれが有ります。
上人は、あるとき、龍神の招きを請け、竜宮城に説法に行かれてその帰り、七つの宝物をもらいました。
鈴と、五鈷と、錫杖と、梵鐘と、法螺貝と、応同樹と、七本桜の七つです。
この最後の七本桜の苗木が、後の桜の名所の起こりとなりました。
有名な江戸時代の俳人・松尾芭蕉は、せっかく花見を期待してきたのに、既に散始めていた桜を仰いで
みあぐれば 桜しもうて 紀三井寺
と詠みました。

紀三井寺
桜の木だらけの「紀三井寺」

第三番 粉河寺は、童男さん

残念ながら童男大子像は年に一度、12月18日にしか見ることができません。

第六番 南法華寺は、メガネ

今より三百年以上昔、座頭の沢市は三つ違いの女房お里と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職というなんともつつましい暮らしであった。

そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれていた。というのも明けの七つ(午前四時)になると、お里が毎晩床を抜け出していたからだ。

「もしや好きな男が…」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると訴える。

疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしたが、心の中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責める。そして、一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと自分の身を投げてしまうのであった。
不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまう。

しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の霊験により奇跡が起こり、沢市・お里は助かり、沢市の目が開眼した。本堂横手には、そのお里、沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷がある。

壺阪寺

第七番〜第十二番

第七番 東光山 岡寺 (龍蓋寺)
第八番 豊山 長谷寺
第九番 興福寺 南円堂
第十番 明星山 三室戸寺
第十一番 深雪山 上醍醐 准胝堂 (醍醐寺)
第十二番 岩間山 正法寺 (岩間寺)

第八番 長谷寺は、登廊と牡丹

当時、牡丹は咲いていませんでしたが、境内には紫陽花がたくさん咲いていました。

長谷寺「登廊」

第十一番 醍醐寺は、悉曇字母

『悉曇字母』は、梵字の字母および合成による文字の作成(切継)の法則を書いたもので、「悉曇章」とも称し、通常梵字の学習に用いられる。

醍醐寺

第十二番 正法寺は、観音様と土下座する雷

泰澄大師が当地に伽藍建立の際、たびたび落ちる雷に困り果て、ご自分の法力で雷を封じ込め、落ちる訳を尋ねられたところ、雷は大師の弟子になりたいのだと申し出た。
大師は快く雷を弟子にし、その代わりに岩間寺に参詣の善男善女には、雷の災いを及ぼさないことを約束させた。

湖信会


文字数が1,600を越えましたので(適当に終わる理由を考えた)、今回はここまで。

次に続きます。

<了>

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