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欧州旅行記❾「チューリヒ、日々」

 オーストリアを抜けた鉄道は、更に高度を上げる。電車の音だけが、ゆっくりと響いた。眠った頭を少し起こして、車窓を眺めて背筋が凍った。一面に澄んだ湖面が広がり、湖畔の森と灰色がかった霧を鮮明に映し出して、一瞬巨大な穴が、どこまでもどこまでも落ちていく様に見えた。
あの時感じた恐怖は、一体何だったのだろう。転落の恐怖、海外への恐怖。そんな当たり前の恐ろしさを半分に、説明の難しい、憧れへの恐怖があった。全ての景色が、どこへでも行け、どこへなりと、お前は生きていける、と囁いていた。今でもそう感じている。自由に生きろ、そして私は、一人きりで創り続けるのだ。

 チューリヒは、冷徹な美女の様な街だった。少し年老いて、目の鋭さは増した。美しい毛並の、活発な猫を飼っている。言葉少なに発される助言は、格言に近い。そんな女性。二十歳になりたての私には、随分鼻につく物言いが多い街だった。
街にいる間泊めてくれた男が、イメージのチューリヒを体現した様な人間だった。人前で携帯を開く事への叱責から始まり、見るものを選ばせない押し付けがましさと、若さへの図々しさは、自由で怠惰な私を内心憤慨させた。彼はどうしているのだろう。今は、彼の求めた若者のあり方を、少しは理解出来るかもしれない。
街は、グラーツと同じ様に、カーニバルの時期を迎えていた。顔を緑や赤に塗り、思い思いの楽器を奏でながら練り歩いている人々。盛大に空に巻き上げられた紙吹雪は、石畳の間に入り込む。正直、道の向かいから祭りの隊列が現れると、楽しさより恐怖が勝った。彼らが祝うものは、異国人には漠然として捉え処が無い。理解のための材料が、あの時圧倒的に不足していたのだ。

 チューリヒを歩いていて、なぜだか急にむくむくと、ヨーロッパへの反抗心が湧き上がった。旅疲れだったのだろうか、苛々とした心中は収まる事を知らず、時間つぶしに入った美術館ですら、理由の分からない鋭い敵意の様なものに、支配され続ける。そんな事は初めてだった。徐々に、そして急に、旅は終わりに向かって、急速に萎みつつあった。

チューリヒ湖北岸は、京都鴨川の様に、夕景の中たくさんの人が座り、歓談している。カップルばかりではなく、男同士、女同士、老人や若者、性別や世代を取り混ぜ笑い合っているのは、格式張ったこの街の、本質的な日々を垣間見たようだった。

チューリヒ、日々。2014年3月7-11日。

#旅行記 #ヨーロッパ #スイス #チューリヒ

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