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ヤクルトと後悔

母方のばーちゃんの家には平日は毎日牛乳が瓶で届いた。
銭湯に置いてあるくらいのサイズのものが2本。
大人4人暮らしなのに2本なのは
飲まない人が居たり、コーヒーをカフェオレにする程度しか使わない人がいたから。

私にとって大事だったのは、牛乳とともに届くヤクルトだった。
牛乳が2本、そしてヤクルトが1本届く。
そのヤクルトを自分のものにしたかった。

ヤクルトって美味しいんだもの!
ひとり占めしたいんだもの!と思っていた。

もちろん、今はヤクルトが機能的にも素晴らしく腸内環境にいいということは知っている。
冬くらいから飲み始めると春の花粉症がマシになるという話も聞くけれどどうなんだろう。
我が家には花粉症の人間がいないので検証のしようがないのだけれど
腸内環境が良くなるのだから花粉症の症状が出にくくなると言われれば
そうかも知れない・・・とも思う。

けれど機能が素晴らしいということはちょっと置いておいて
私はその味が大好きだ。
どれくらい好きかと言うと大人になってから工場見学に行ったことがあるくらい好きだ。
美味しいから飲んで結果的に身体にいいなんて最高じゃないか!と思っている。
今も話題のヤクルト1000を飲み続けている。

話は昔に戻って、当時まだ外で働いていたじーちゃんの朝は早く
白くて四角い車に乗って駐車場の砂利を鳴らして出勤していっていた。
ばーちゃんは毎朝必ずその車が見えなくなるまでお見送りする。

休みの日に早起きになる子どもというのはきっと全国津々浦々で親を困らせていると思うけれど
当時の私もご多聞に漏れずそういう子どもだった。

ばーちゃんの家に行っているということはお休みなわけだから
毎朝寝起きスッキリ!といった顔で起きていたはずだ。
まだうすら寒い夏休みの早朝、
じゃりじゃりと音を立てて出勤していくじーちゃんを見送る。

お見送りが終わると黄色い箱の中から牛乳とヤクルトをばーちゃんが取り出す。
そして朝早く起きてじーちゃんを見送った私にヤクルトをくれる。

早く起きたからなのか
じーちゃんのお見送りをしたからなのか
ばーちゃんが私に甘かったからなのか
私がよほど物干しそうな顔をしていたからか
理由は不明だけれど、1本しかないヤクルトを与えてもらって
みんなが起きてくる前に飲み干すのは、ばーちゃんの家にいる間のルーティンだった。

ある朝、私は寝坊した。
じーちゃんの車のエンジン音で目が覚めて
ハッとして玄関の外に飛び出した。

じーちゃんの車はもう見えなかった。

その日は曇っていて、サンダルを履いた素足に絡まる風は
昨日より一昨日よりひんやりと感じた。
寝起きの頭で
今日はお見送りに間に合わなかったからヤクルトは飲めないかな。
と思った。

最初の頃こそじーちゃんのお見送りが大事でヤクルトはおまけだったのに
その頃の私はヤクルトを貰うためにお見送りしているようなものだったんだなと
その時私は気付いた。

それを恥じる私に気付かないようにばーちゃんはいつも通りヤクルトを私に差し出した。

ヤクルトは嬉しい。
美味しいのも知っている。
少しやましい気持ちを抱えながら私は一気飲みした。

寝起きの身体にギュンと冷えたヤクルトが流れ込む。
その直後、胃がびっくりして甘い液体が逆流して私はその場で吐いた。

ばーちゃんは吐いた私を叱ることもなく
「寝起きなのに渡して悪かったねぇ。大丈夫?」
と私を気遣いながらすぐそれを掃除した。

なんて卑しいんだろう。
吐しゃ物を掃除するばーちゃんの背中を見ながら私は恥じた。
みんなを出し抜いてひとり占めするために早起きして
しかもそれを結局吐いてしまって。
みっともない、もうこんな真似やめよう、と思った。

恥ずかしかった。
全てを見透かされているようで。

その後知ったのは
ヤクルトは4日分貯めて、家族の人数分貯まったらみんなで飲んでいたらしいということ。
私はそれを独り占めしていたのだということ。
改めて自分のふるまいを恥ずかしいと思った。

その次の長期休暇。
ばーちゃんちに行くと
「一緒に飲もうと思って取っておいたよ、好きでしょう」
とヤクルトを差し出された。

慌てることなくみんなと一緒に飲むヤクルトは、やっぱり美味しかった。

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