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様々な格差や困窮。やり直しや多様性や知足安分(2017年)

先天的(遺伝)な格差。知性、情感、身体、容姿、家柄、資産など。
後天的(環境)な格差。親からの教育や躾、虐待、虐め、離別や死別、ハラスメント、事故、収入、地域、交友、恋愛など。
能動的(努力)な格差。同じような体験でも頑張る人と諦める人、倹約する人と浪費する人、自責する人と他責する人など。

日本社会では主に経済的な弱者と強者の対立が強調されていますが、上記に挙げさせて頂いたように様々な格差や区別差別があり、大抵の人はある部分では弱者であり、ある部分では強者であると思います。
もちろん、総じて弱者であったり強者であったりする人もいます。でも総じて強者であっても生物である以上はやがて死にます。
また弱者であっても足るを知ると幸福感は高まり、強者であっても足るを知らないと幸福感は低まります。
老荘や仏教の説くところは「思想」や「哲学」として、とても優れたものだと思いました。

個人の観点からしましたら、なるべく自分や身近な人や生物が危害を受けずに平穏無事に過ごしていきたい事でしょう。
人類の観点からしましたら、なるべく人類同士が争う事なく平穏無事に過ごしていきたい事でしょう。
生物の観点からしましたら、なるべく生物同士が共存共生や棲み分けをして平穏無事に過ごしていきたい事でしょう。
地球の観点からしましたら、なるべく環境が変動なく維持されていき平穏無事に過ごしていきたい事でしょう。

家庭や学校や職場や地域での差、国家間や生物間での差、ありとあらゆる差を比べ続ける事は幸せへと繋がる事なのでしょうか?
それが成長へと繋がる事もありますが、上を見て嫉妬し、下を見て安堵する。自分の心に従わず、周囲の誰かに影響され操られ奴隷となる。
どんな社会体制や政治体制であっても心の自由は誰にも奪えない。それなのに他者に影響を受け奴隷となる事は、その影響度に比例して自身の心を自分で売り渡している事となる。

と言っても、あまりにも困窮していては足るを知るとも言えず幸福感も感じにくい。順風満帆に人生を歩んできた人だって、突発的な事故によって困窮する事もありえます。
弱者側の人達は強者側の過程の努力を考慮せずに結果の成果のみを見る傾向があると思います。
強者側の人達は弱者側の過程の困難を考慮せずに結果の困窮のみを見る傾向があると思います。
それではいつまで経っても平行線で、溝は深まるばかりだと思うのです。


格差について、
ポジティブ意見としては、生まれ育った手札で勝負するしかないとか。能動的な努力によって手札を増やすしかないとか。
ネガティブ意見としては、環境以前に遺伝で全てが決まるとか。努力するにも才能がいるとか。
そんな意見が見受けられ、なかなか中間の意見を見付ける事が難しく感じます。
努力が反映されやすいのはEQ?と思いつつ、よく考えたら知的障害や発達障害があるとEQが育ち難いなとも。
公正公平であったり、多様性や自由意思の尊重、様々な事のバランスを考慮すると、とても難しそうです。


虐待をする人も、虐めをする人も、ハラスメントをする人も、非行をする人も、犯罪をする人も、他者ではなく自分に向けて自傷する人も、自殺する人も、みんな原因は被害体験や困窮体験があったからなんですよね。そして本心から望んでそうしている訳ではないと思う。ヤクザや半グレの人だって本心からなりたくてなった人はいないように思える。
そういう被害体験や困窮体験に寄り添われる事が少なく、一人で抱え込む事が多い日本社会。それが巡り巡って無関心な自分にも返ってくる。時には大きな惨事、無差別殺人や通り魔殺人となって表れる。それで良いのでしょうか日本人?それで良いのでしょうか日本国?

また日本はレールに沿って歩む事を善しとされやすい傾向がありますが、その為にレールから外れないように萎縮してしまったり、一度レールから外れた人が挽回するには膨大なエネルギーを必要とし諦めてしまいやすいです。
結果的にギスギスしやすくなり、社会全体が悪化へと繋がりやすくなると思うのです。
やり直しがしやすい社会は全ての人にとって優しい社会だと思うのです。


旧ブログにて2017年12月03日に記載していたもの

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