プロ雑用の失敗3・完璧を目指しすぎた話
こんにちわ、プロ雑用です!
さて、失敗シリーズも第三弾です。
今回の失敗は、28歳の時に陥った失敗。
人生を左右するほどの失敗の前後で、プロ雑用の人生はガラッと切り替わったといえるほどの、ターニングポイントの一つです。
当時のプロ雑用は何をしていたのか
2006年ごろのお話。
この年は、ホリエモンが逮捕されたころですね。あと、トリノでイナバウアーが話題になったり、冥王星が惑星から準惑星に降格させられたり。
その頃みなさん何してました?
わたしはただひたすら仕事を楽しく、そしてハードに過ごしてました。
私はその頃、青いRの100%子会社に在籍してまして、今とは比較にならないくらい働きまくってました。
徹夜なんて当たり前、「ワークライフバランス」なんて聞いたこともない、「働き方改革」なんて影も形も無い時代。たかが13年前ですが笑
入社した月の残業時間は100時間を超えていましたw
どんな仕事をしていたか?
住宅雑誌の事業部に所属していまして、そこで戸建て住宅やリフォーム、住設の雑誌の制作に関わっていました。入社当時は、制作デスクとして、外部の協力パートナーへの仕事の発注と品質管理などを主に担当していました。住宅にはぜんぜん興味はありませんでしたが、仕事は楽しかったです。
プロ雑用は何を失敗したのか
入社してから3年が過ぎ、忙しくも充実していた日々でした。そりゃもうやってもやっても新しい仕事が次々と飛び込んでくる、という毎日。
徹夜なんて毎週、繁忙期に入れば二徹もありました。徹夜しなくても、終電で帰るのは当たり前。たまーに終電より前に帰ると「今日は早いね」と家族から声をかけられる…
残業時間は、さすがに200時間はいったことないですが…
最高170時間、平均は100時間くらい。
それは、ある日突然、ではなく、徐々に始まりました。
会社は完全フレックス制だったので、出社時間の義務はありません。終電間際か終電過ぎてから帰宅するので、当然夜寝るのも遅かったのですが、それでも、だいたい10時頃には出社できていたのですが、
28の誕生日を迎えたあたりから、徐々に出社時間が遅くなりはじめました。
睡眠時間が長くなってたんです。正確に言うと、寝れなくなりました。
寝てるんだけど、全然寝てる感じがしなくて、すぐ起きてしまう。
加えて、だんだん感情の起伏が激しくなってました。
テンションの高低差が異常だったんですね。
完全にテンションをコントロールできなくなっていました。
そしてずっと続く倦怠感。何をしても全く疲労感が取れない。
いま考えれば、これらは全部肉体からの危険信号だったんですが、私はこれを気づかないふりをしていた…というか無視してたんですよね。
そんなことより眼の前の仕事の山に登らなくては!!!
と思って会社に行こうとするのですが、日に日に動けなくなってくる。
会社で仕事をしているときでも、何かうまく物事が進められない。
「あいつは最近一体どうしたんだ?ちょっとおかしくないか?」
という声も出始めていたようです。
いたようです、というのは、自分は全く気づけなかったからです。
なんというか、完全に自分のことしか見えなくなっていました。
そうこうしてるうちに小さなミスやトラブルが頻発しだし、
いよいよ、こいつはやべーぞ…!
ということになったようで、チームリーダーから呼び出し、すぐにその後、リーダーと共に産業医面談に行きました。
診断結果はうつ病。
診断もらった直後はショックでしたよね。
というわけでここから約1年、孤独な戦いが始まりました。
うつ病の詳しい症状とか、復活の過程は、失敗の話とは関係ないので端折ります。詳しい話は、興味ある人が多ければ別の機会にでも。
で、なぜにうつ病になったのか?
この原因が、うつになるまでにやっていたことが、今回の失敗です。
それは何かといいますと、
「 完 璧 主 義 」
仕事は完璧でなければならぬ、100%の完成でなければならない。
そういう強い思い込みで仕事をしていました。
「自分の仕事が原因で他人に迷惑をかけてはならない」
「他の人よりも劣るのだから任された仕事くらいは完璧であらねばならぬ」
「適当な仕事は恥だ」
という、よく言えば「責任感」に、もっと端的に言えば「強迫観念」で自分を追い詰めていたんですね。今から思えば。
また、この行動の根底には「正解を探す」という考えがあります。
仕事に「正解はない」ということに、当時の私は、まだはっきりと気づけていませんでした。
部門では、月刊誌、隔月刊誌などの定期刊行誌、くわえて一定期間ごとにそれらのムック、あわせて年間だいたい60冊くらい発行。それらの一部の制作デスクを担当していました。
入社直後に作ったパートナー向けのマニュアルが評価されたこともあって、いろいろなマニュアルや、企画の制作ルールを作る機会が多かったのですが、このマニュアルとルールがね、完璧主義を、さらに悪化させてたんですよね。
良く出来てるとか、わかりやすいという声も、たびたび頂いてたので(今かんがえれば、だいぶリップサービスw)、余計に「次はより完璧に」となっていたのだと思います。
それまでの人生で、褒められることの少なかったこともあって、
「今まで自分がやってきたことがめっちゃ評価されてる」
と思うと、承認欲求をより満たしたい、というふうに行動してたのですね。
完璧主義と承認欲求の2つが根底にはあったのだと思います。
今にしてみれば。
失敗したときのお気持ち
わからん。
なんもわからん。
というのが当時のお気持ち。
うつになると、何か冷静に考えられる状態じゃないですよ。
混乱状態でもないんですが、冷静でもない状態。
それまでの世界がガラガラと音を立てて崩れてく…
というような感じではなく、
気づいたら世界と自分が切り離されていた、という感じが近い。
世の中から、あらゆる色が失われた、というんですかね。
うつ病から立ち直るまでの1年はね、ほとんど記憶にない。
つらかったでしょう、と言われるんですが、
正直わからん、という感じ。それくらい、覚えてない。
何して過ごしてたんだろうと。
一番記憶に残ってるのは、
とにかく人と関わりたくないし、何もしたくないっていうことだけ。
あとは、お金が無い、ってことですね笑
とにかく仕事はセーブしなくていけない、ということで、ドクターストップがかかっていました。産業医からは「休職」と言われたのですが、確認したところ休業中は、給与保証はないということだったので、残業禁止ということに。
当時の給与形態は、いま考えると、めちゃくちゃひでぇなって感じなんですけど、残業代が無いとまともな額にはなりませんでした。基本給は18万くらいで、残業代が10万くらい。多いときは基本給に匹敵するぐらい。
つまり残業できないと、手取りが13万くらいなんですよ。死ぬwww
単純にお金がないのは辛かった。
周りの人にもめっちゃ心配されましたけど、
心配されても、逆にイライラするくらい人と関わりたくない。
同情するなら金をくれ!と言いたいくらいでした。
どんな教訓、学びを得たのか
正直、うつ中は学びもクソもなかったですね。
単純に苦しんでたので。
だから、うつヌケ後、しばらくたってから
もっと肩の力を抜いて生きていこう
と考えられるようになりました。
しかし、すぐ肩の力を抜けるようになった、わけではなく。
完璧を目指すのはもうやめよう、と思ったのですが、
それでもなお、私の仕事は完璧を求めがちだったんですよねー。
振り返ってみると、完璧を目指していた理由は、自己肯定力の低さがあると考えられます。自分への評価がすごい低かったんですよね。
当時はそんなこと思ってなかったけど。
いい感じで、肩の力を抜けるようになってきたのは、実はごく最近です。
最近って動画とかnoteとか作ってても、完成度を求めがち。
だからこそ、マーク・ザッカーバーグの言葉は沁みます。
この失敗があってから、あらためて自分の能力や、本当にやりたいこと、できることは何なのか、を考えるようになりました。
つまり、初めてWillCanMustを意識するようになったんです。
(実を言うとWillCanMustという言葉自体は知らなかったんですが)
あとは、体力は無限に続かない、ってこと。
そして年齢を重ねるごとに伴う体力低下は、直線的ではなく、指数関数的だっていうこと。
これ、冗談でもなんでもないですからねほんとにw
いつまでも若い頃のようにはいかないのです、いろいろと。
そうであれば、そうであることを受け入れて、
受け入れた上で、どうするか、を真剣に考えていかなくてならない、
ということを、この失敗から学びました。
というわけで、失敗シリーズ第三弾、
完璧を目指しすぎた話、でした。
それじゃ、また。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?