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”評価”とは一体なんなのか(後編その14)

プロ雑用です!
今回からは、これまでの評価についての考察を振り返りながらまとめていきます。

これまでのダイジェスト

後編その1ダイジェスト:導入

まず、後編その1では、評価と報酬が紐づいてるのがそもそも理不尽の始まりだよね、というジャブから始まり、評価制度は結局相対評価だよね、絶対評価で労働を評価するのは無理だよね、という解説をしました。

後編その2〜6ダイジェスト:理不尽すぎる認知バイアス

後編その2からは、人間の認知が評価にどのような影響を与えているのかについてを解説しました。ここで明らかにしたかったのは、人間は自分たちが思ってるほど物事を理知的に判断できず、むしろ動物的な本能に基づいて物事を感情的に判断している、ということを行動経済学の名著から引用して解説しています。

その中から評価に影響のありそうな認知バイアスとそれに関する実験を引用して考察した結果、特に評価に関して重大な影響を与えていると思われることを3つにまとめました。

1.脳は、最初に”好き嫌い”で判断している。

何はともあれ人間のすべての反応は、好き嫌いでしか判断してないということが今ではわかっています。恐ろしい事実ですが、人間は普段それをほぼ意識していません。どんなに冷静で理性的な人でも、最初に反応するのは「好き嫌い」なのです。

2.脳は、連想して”好き嫌い”を強化する。

自動的に、瞬時に判定された好き嫌いの感情は、ついでこれまた自動的に連想が始まります。しかも、脳の論理的回路は、好き嫌いを否定するどころか、より好き嫌いを強化するように働くのです。自動的に結論と矛盾しない情報を探すように働くのです。

3.脳は、好き嫌いを、良し悪しに変える。

そして好き嫌いという感情は、損失回避バイアスや恣意の一貫性によって、最終的に良し悪しへと自動的に変換されます。理性的で、感情に流されないタイプだと言われる人間でも、これらの3つのバイアスに抗うことは困難を極めるのです。

後編その7:afterバブルからbeforeバブルの失敗

そもそも評価制度が力を持ち始めたのは、バブルが弾けた後、多くの企業が成果主義を中途半端に導入したからです。人件費を削るために導入された成果主義は、評価制度を歪めた形で企業に定着させました。
そもそも、年功序列で上がった人々が、何をもって他者を評価するのか?考えれば考えるほど、このときの判断がその後の経済停滞の原因の一つと考えても大げさな話ではないでしょう。

後編その8:評価すれども基準なし。だからこそバイアスが大活躍!

中途半端に定着した評価制度、ジョブディスプリクションなく基準もない評価制度だからこそ、認知バイアスが大活躍します。それが更に評価制度を歪める、それでも評価を必要とするのは、結局人件費を切り詰めたいから。
多くの経営者にとって従業員は「人は管理しないと無限にサボり続ける」のだから、どうせやるなら評価の高い人(という好ましい人)に多く分配したいよね。

後編その9〜11:マズローとハーズバーグも言ってるよ

ハーズバーグの二要因論、およびマズローの五段階欲求説を用いて、評価制度と報酬がそれぞれ、2つの説のどこに含まれていて、どのように影響を与えあっているのかを解説しました。

多くの人が勘違いしていることとして、報酬の額面(いくらもらえているか)が重要という話があります。しかし実態としては相対的な額面こそ(誰と比べて自分がいくらもらっているか)こそが重要ということ。
だからこそ、基準なきバイアスまみれの評価が、報酬と紐づくことで、間にはさまれた人間関係がぶっ壊されてしまう、という恐ろしい事実には戦慄を覚えます。どれだけの人がこの事実を認識して制度設計しているのか?

後編その12:組織図は勝者が作るトーナメント表

一般的に評価は上の人が下の人をジャッジするのに使われます。しかし、そもそもその事自体、勝者だけが常に有利条件を引き出せるというが異常であると解説しました。

後編その13:評価は結局印象論

人は物語で物事を理解します。だから評価される人も「物語を持っている人」「それを演出して語れる人」になります。その中でもちょっとした嘘やごまかしは演出として許されてしまいます。つまり、基準なき評価制度とは印象論の操作に過ぎないのです。しかし、そんな印象論こそが、人々の生活水準を決定しているという理不尽な事実。

公平な評価が、不平等の源

多くの組織では、評価を公平なものにしようと頑張っています。しかし、ここまで語ってきたことから分かる通り、結局印象論であり比較による順位付けである限り、どんなに頑張って制度設計したとしても、公平性を担保することは不可能であることがわかります。

逆に、評価を公平にしようとすればするほど、そこには多くの不平等が生まれるということに多くの人は気づいていません。比較である時点で、公平性とは逆張りになります。比較である限り、平等にはなりません。

そもそも「機能がちがうものは平等に評価できない」のですから。

次回は完結編です。
(ようやくかw)

それじゃ、また👋

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