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辛かった親との記憶と乗り越えようとしている今

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毒親で苦しんだ過去や、虐待のこと、その記憶と向き合っている今のことを書いています。
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記事一覧

「電話をしたい」の裏に共依存がありました【毒親】

私が今1番困っていることは、「毎日母に電話をしたくなってしまうこと」だ。1度連絡先を消したこともあったが、1週間も続かなかった。これは良い親子関係を築いている方なら、「それはいいじゃないか!」と思うかもしれない。だが、私の場合は毒を吐く母が相手であり、しかも主治医などの支援者に止められているにも関わらず、毎日電話をしてしまうのだ。 なぜだろう。私はこの謎を探るため、今日は1日トラウマに関する勉強をした。そこで分かったのが、この自分から望んでいるかのような「電話をしたい」とい

「親を許せば楽になる」とかいう人へ【毒親】

今日は、「親を許す」ということについて、今現在の考えを綴っていこうと思う。 まず、私の親は「毒親」である。父や妹と会話をすると「お前は悪影響だから」と怒られた。祖父の存在を無視して生活しなければ、殴られた。39度の熱があっても学校に行かされた。小学校で作った「母の日の手紙」を目の前で破られた。閉鎖病棟に入院するまで追い詰められた私に、母は怒ってこう言った。 「あんたが死んだら、誰が私の老後の世話をするのよ。」 そして父は、そんな母と私の関係を知っていて、手を差し伸べることは

「誰かのため」に生きる人生を手放す【毒親】

自分は誰のために生きているのか。そう考えたことは、あるだろうか。 私は先日ふとそのことを考えて、道を見失ってしまった。自分が「人のため」に生きている自覚はあった。最近は「自分のため」の行動も増えたが、それでも友人の相談役になったり、顔の見えないSNSでも人の相談を受けることしかしてこなかった。私には、相手の求める言葉が分かったし、最近は適度な距離の取り方もわかってきた。私に依存してしまう友人が出てからは、「ここまでは私も相談に乗るけれど、ここからは専門家に聞こうね」という線

私の受けてきたことは虐待なのか?【毒親】

※虐待について書いています。フラッシュバック等の可能性がある方は、自衛をお願いいたします。 最近の私は、限界がきた時にnoteを書いている。noteを書いているうちに、少しずつ気持ちが落ち着くからかもしれない。 今日は、ついさっき急に限界がきた。激しくフラッシュバックして、暴れた。椅子が床に広がった布団の上に横になっていた。 また、考えてしまったのだ。 「私の受けてきたことは、虐待なのか?」と。 正直、そんなことを考えたってどうしようもない。もう過去のことだし、、と続

身体的特徴をけなされて【毒親】

私は、小学生の頃クラシックバレエを習っていた。いじわるな子もいたけれど結構好きで、トウシューズを履くまで頑張った。 ある日の発表会後、母が言った。 「あなただけ太ってて醜かった。」 そして、バレエ教室に勝手に辞める旨を連絡した。 「太っている」と言われることには、慣れていた。母も友達もよく私にそう言った。実際、私は平均よりは体重があった。バレエの衣装が私だけ着られず、後ろに布を足すこともあったくらいだ。だが、それが「醜い」ことだとは思っていなかった。当時の私にはその言葉の

「お姫様」というあだ名【毒親】

※虐待について書くので、苦手な方・フラッシュバックの危険がある方等は自衛をお願いします。 私がいつもする失敗がある。それは、「母親を信じてしまう」という失敗。 母からは様々な苦しみを教わった。 真夜中に私の部屋に入って暴言を吐き続けるのは毎日のこと。 布団に叩きつけられた日もある。 大切に書いた手紙を破られた日もある。 詳しくは書かないが、性的な暴力を受けたこともある。 でも、私は母が大好きだった。 だから「ごめんねぇ」と擦り寄って来る母を許し、翌日にはまた暴言を浴びせ