見出し画像

脳内整理と書きたいこといくつか

 何を書けばいいのか分からない。
 別に早くもネタが切れた訳ではない。もしかしたらそのうちネタか燃料のどちらかが切れることになるのだろうが、今のところは平気そうだ。
 そうではなくて、自分の中に言葉が溢れすぎてて何を語ればいいのかが分からない。
 一人の自分は共感について語りたがるし、一人の自分は自分の好きなものについて語りたがる。他にも本を読んで得た知見とか、思考実験とか、物語についてとか、身だしなみについてとか、料理や食事についてとか、それはもう数多く。仕事中もこんな調子だったから、休み時間に一旦考えを置いておこうと書き出しておいたのにぐちゃぐちゃだ。どうしてこんなことになったのか。
 おそらくは昨日、自分の考えよりも創作を優先したからだと思われる。
 同じ文章を考え、構造を組み立てて出力する行為だが、小説のように場面を想像しながら創造するのと、自分の思いを創造するのでは少し勝手が違う。どちらも思い浮かんだ混沌の中から正解と思われるものを選び取って書き連ねることには変わりないのだが、何かが違う。恐らくは前者は目の細かいフィルターを通す必要があるのに対し、後者は最低限濾すことが出来ればそれでいいというスタンスだからだと思われる。エスプレッソかフレンチプレスかみたいな話。
 正直なところ何がどう違うのかというところまで言語化出来ておらず、そんな状態で文章にしている時点で大分恥ずかしいのだが、読んでくれている方にも違いがあるというところは何となく理解して頂けるだろう。
 自分の内面を綴るNoteを書いている間、実のところ創作意欲が止まらなくて困っていた。四六時中自分が考えたキャラクターが喋りつづけるし、ふとした瞬間に「こういうシーンあったらいいな」などとトリップしてしまう。
 それが一日別のことを書いただけで、今度はあれを語りたいこれを語りたい、現実で起きたことを通して「ずっと考えてたこれってこういうことなんじゃないか?」とどこかに飛んでいく。結局トリップしてばかりいる。
 恐らく文章を書くという刺激はそのままあるのに対し、脳の使用位置が違うことで起きる現象なのだろうが、果たして解消出来るのだろうか。一日に両方の文章を作成してみるしかないのだろうか?
 仮にそういうことをしてみたとして、どちらの活動もより活発になり手が付けられないくらいになったらどうしようか。
 今ですら騒がしい言葉達がこれ以上騒がしくなったらと思うと……正直な話、楽しみで仕方がない。時間的制約をクリアして、本当にやってみてしまおうか。

蛇足


 今頭にあるネタを少しだけ吐き出して達成感を得て大人しくさせようと思う。もし詳しく読みたい項目があればこっそりお教え願う。

  • 「女性の悩みには共感しておこう」という風説の流布について

  • 書店で唯一(?)受け入れないものについて

  • 人の外見について

  • 初恋について

  • 異類婚姻譚について

  • 最近読んだ本について

  • 学校の時間割+αって意外と理に適っているのではないかという考察

  • ある程度記憶が保たれていることについての仮説

  • 読書について

  • 得意なことについて

  • 何故対立構造が生まれるのか

  • 自分軸で生きてみたい話


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?