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読みたい本が多すぎる

 今日の文章は本当に表題通りというか、表題以上の意味は無い。本に憑りつかれた人間が「どうすれば本を読破出来るのか」と答えのない(或いはごく限られた答えしか無い)問いをああでもないこうでもないと頭を悩ませている様が確認できるだけである。よって、ここで帰って頂いて構わない。

 初めて読んだ本は何かは覚えていない。初めて一人で本を読み始めた歳も覚えていない。
 記憶に残っている児童書や絵本はいくつかある。「ふらいばんじいさん」「なぞなぞライオン」「いぬうえくんとくまざわくん」シリーズ、「しずくのぼうけん」「だるまちゃんとてんぐちゃん」シリーズ辺りだ。この中のどれかから私の読書人生がスタートしたと思う。
 それからもう二十年以上である。月日が経つのは早い。私はこれまでに何冊も本を読んできた。小学生時代なんか毎日本を借りては返し借りては返しと繰り返していた。よくもまあそんな速度で読めていたものである。あの時の読書スピードを分けて欲しいものだ。
 それから読書したりしなかったり、インターネット上で読める小説を読んだりと、本と物語のどちらにも触れなかった日の方が少ないくらいの勢いで文章に触れていた。
 それでもまだ、この世には読んでいない本も、読みたいまま読めていない本も無数に存在する。既に自分の部屋にある積読は、そんじょそこらの人には負けないくらいの冊数を有している。そんなもの誇るなという話だが。
 私がちんたら本を読んでいる間にも、絶えず本は出版され続けているのだから当たり前の話なのだが、なんとなく悔しい。
 そして最近、私は新たな問題を抱えている。

 私は基本的に原作を読むのが好きだ。映像作品を見て気に入ったら漫画や小説を読んでみることが多い。そして大体、原作からカットされてしまっている部分があって、そのカットされている部分に好きな台詞やシーンがあるので、原作を読んで良かったなあという気持ちになることが多い。
 俗っぽい言い方をすれば「原作厨」というやつである。
 さて、本というのは当然、日本語話者の本だけではない。世界中で本は作られている。そうした本を日本語に訳してくれる方が居るからこそ、海外の本も読むことが出来るのである。有難い話だ。
 しかし、それだけでは物足りなくなってしまった。
 翻訳者は自分ではないので、自分ではそうは訳さないという部分が存在するはずである。原典でなければ味わえない雰囲気というのもまた、存在するはずである。そして、日本語に翻訳されていない名著も、絶対に存在するはずである。
 言葉遊びや韻文なんかがいい例だろう。勿論日本語訳も素晴らしいのだが、原文はどうだったんだろうと気になってしまう。特に韻文は、日本語の韻文よりも多種多様なはずである。是非原典で味わってみたい。
 そんな想いが嵩じて、もう翻訳された本では満足出来なくなってしまった。英語力はからきしであるが、原著を読んでみたいという欲だけが膨らんでいく。
 そして困ったことに、世界の言語は英語と日本語だけではない。少数言語も含めれば七千種以上の言語があるらしい。その言語全てで本が書かれている訳ではないにしろ、途轍もない数である。それらすべてを原著で読もうとすれば、一生かかっても読み切れない。
 話によると、日本だけで一年に7万冊以上の本が出版されているらしい。世界の書籍の総数は1億3000万にも上るらしい。しかも後者のデータは2010年時点の話である。今現在だと更に増えているだろう。とんでもない話だ。
 一年の間に出版された日本語の本だけでも一生かかっても読み切れないというのに、母語以外で書かれた本にまで手を出そうという強欲ぶりは、神にも仏にも見放されそうである。

 以前の私は、一生かかっても達成不可能なものごとを考えては虚無感に襲われていた。絶望にも近い。どれだけ足掻いても努力しても物理的にどうにもならないのだ。諦めた方が得策と言えよう。しかし好きなことを諦めるというのは、それはそれで絶望にも似た近い感情が発生する。手の届く範囲で満足することを覚えられないと、人間こういうことになる。皆さんは気を付けて欲しい。
 では今も絶望に似た何かを抱えているのかと言えば、そうではない。考えることを止めたわけでも、諦めの境地に至った訳でも無い。
 ただ、発想を変えた。

 私は物事の終わりに立ち会うことが苦手だ。先日も、3DSのインターネット環境が終了したことを受け、大好きなトリプルバトルのオンライン対戦が終了したときも、これでもかというくらい寂しかった。なんなら今も寂しくて仕方ない。自分はプレイヤーではないのにも関わらず、である。物語もそうで、最終回が近づくと逃げ出したくなる。好きな本を読み終えてしまいそうなときは、苦しくて仕方ない。
 好きなものには出来るだけ終わってほしくないのだ。
 私は本が好きだ。本を読むことが好きだ。そして今、現時点で読み切れない程の本が存在し、これから先もどんどんその数は増え続けるだろう。

――自分が死ぬまで、自分が触れられぬ程大好きなもので溢れている世界って、とっても素晴らしいことじゃないか?

 その他様々な物事に関して、全てを知ることは出来ないとか、全てを目にすることは出来ないなどと悲観的な考えに浸っていたのだが、実はそれってとてつもなく幸せなことなんじゃないか? と気付いてからは、人生が少し楽しい。
 これからもきっと、私の興味を惹く本が生まれ続けるはずである。古典だって、まだまだ手を付けられていない本がたくさんある。これからの人生でどれだけの本を読破出来るのか、楽しみで仕方ない。だからといって、積読を増やしていい訳ではないのだが。
 これからこの世に生まれる「面白そうな本」の内一冊――、否、何十冊と、私の本を加えることが出来たのであれば、私の人生言うことなしである。

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