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小説ではない文字のつらなり#1

「煩いんだよね」

と、先生は言った。私のことを言われたのだと思い、はっと口を手で覆った。先生が私のために貸してくれている背もたれのないパイプ椅子は、足の長さがいびつでカタカタと揺れる。そんな音も出さないように必死に足に力を込めた。

『サリサリ、トン』と、万年筆の音が響く。先生の骨ばった手に馴染んだ丸みがあって太い万年筆には、洒落た名前の青いインクが入っている。前に瓶をみたとき、はっきりと名前を記憶することが出来なったけれど、確か宇宙のような名前だった。原稿用紙に二穴パンチで穴をあけて、閉じ紐でくくった世界にひとつだけのノートに、青色の先生の世界が綴られていくのを、私はここでうっとりと眺める権利を手放したくない。

「頭の中が。大抵は、それを文字にして残しているだけで、つまり僕は、普段、小説を書いてるわけではないんだ。編集者が原稿をとりにくるから、飯の種になりそうなものは、それとは別にパソコンで作っている」

煩いのが、私じゃないと分かり、胸をなでおろす。椅子のバランスが崩れて、前につんのめりながら立ち上がった。『ガタン』と音をたてて崩れたパイプ椅子は、そこらの草履の上に落ち、空の傘立ての脇に立てかけてあった雨晴兼用の傘も倒した。

「うるさいよ」

今度は、はっきりと私に言われたが、言い方がまだ柔らかく感じる。私は黙って椅子を元通りに置いて、傘を拾ってボタンのとれていたネームバンドもまきなおした。一人暮らしなのに、妙に多い靴と草履を、一通りそろえてやる。

ここは先生の家の土間。アポイントもなく訪ねると、先生はここでよく筆を滑らせている。そのための小さな書き机がおいてあり、執筆中の先生の横顔の向こうには廊下がまっすぐ延びている。南向きの玄関は日がさして温かいが、廊下は電気をつけていないと薄暗い。そして大抵は電気がついていない。

私はこの一軒家の大屋の娘なので、およそ間取りは理解している。向かって左手に、縁側のある大きな和室。右側の手前に囲炉裏のある茶室。茶箪笥のある和室。朝日で目覚められるので、寝室に良い。廊下の突き当りにはリノベーションしたバストイレと、小さめのキッチンがあるはずだ。古いお台所が、土間と茶室とつながった場所にあり、私はここによく食べ物を届けにくる。

家の中央を貫く暗い廊下の左右には先生の収集した本等が山とつまれていて、見ればみるほど怪しい雰囲気になっている。本以外にも、何かの標本箱やはく製が置いてあるからだ。元の廊下の幅を三尺ほどとして、床板が出ているのは一尺ほど。こうした資料を倒さずに入るのは難しそうなふすまの向こうの部屋たちを、先生が住まうようになってからは一度も見たことがない。玄関先の客人であるところの私は、どうやらこの家にもパソコンがあることを、はじめて知った。

「先生、私、『どうして玄関先で物書きをするのか?』を、聞いたんだけど。もしかしなくても、お部屋が散らかっていからでしょう? 私、お掃除してあげましょうか?」

「いや結構。ごちそうさま」

届けた菜の花の和え物のお礼とともに、筆を握ったままの手で追い出すような仕草。私は仕方なく、重たく滑りの悪い玄関の戸をひいた。防音の良い家ではないのだけれど、近くの林から『ピョーピョー』と鳥の声がひときわ大きく聞こえる。

「先生、私も書いてみようかな。小説じゃない文章」

扉を閉めながら、そう声をかけてみた。今度は、声でも仕草でも返事はなかった。ただ紙をこすり、木を叩く、文字を生み出す音が、引き戸の音ですりつぶされて消えた。

春の高いところにある太陽を、私が子供の頃からある庭の木ごしに見上げ、帰りは本屋に寄ろうと決意した。可愛いノートと、千円くらいの万年筆、それにブルーのインクを、あそこの本屋なら売っているだろうから。

***

無粋に思えたら消すかもしれない注釈:

#小説ではない文字のつらなり

というタグを作って、「極限までハードルが低い文字による創作」を書き置く場所にしたいと思います。

小説というほど話の筋をしっかり考えたいわけではないけど、頭の中に浮かぶ風景とかセリフとかを、形にとどめておきたい…とか、そもそもそういう雑なアウトプット欲のためにブログを再開したんじゃなかったか? とか、そんな思いがあったからです。

頭の中に浮かんで、普段ならそのまま消えていく世界を、たまには外に出していこうという試みです。

フィクションでいいし、そのテイを借りた日記でもいいし、続きをかくことに責任をもたなくていいし、キャラクターを作ったり流用したり、名前をつけたりつけなかったり、具体的だったり抽象的だったり、とにかく雑にやってみようと思っています。

言葉でスケッチをするような感覚。風景でもいいし、心象でもいいけど、何かを切り取って1ページ分くらい残しておいてもいいじゃないって思うので。

というわけで、このタグ、もし見かけて使ってくれる人がいたら嬉しいです。

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