別れという恋愛における救いについて 映画『花束みたいな恋をした』
さてと、『花束みたいな恋をした』。
別れって案外、清々しい。みんな恋をする、そして誰かは結婚もする。「ずっと幸せに暮らしました」は幻想で、知っての通り、結婚は終わりではなく、日常の始まりである。
サブカル好きな二人が出会った。恋をして同棲をした。
冒頭の押井守で大爆笑できる観客なら、麦や絹に会ったとき、恋に落ちるかもしれない。趣味が似ている、服装が似ている、性格が似ていると、安心して、話せて、時に恋をし、それを打ち明けることもできる。
映画は、押井守含め、わかる人にしかわからない感で溢れているが、そこまでどマニアでもないから、この二人の共通点に、共感したり、自分なりに作品を思い起こしたりする、小さな楽しみも満載である。映画や小説に興味がない一目でも、明大前駅が映った瞬間、ちょっとホッとして、絹や麦を身近に感じるかもしれない。
状況が変わっても真っ直ぐな彼女は変わろうとしない。
彼はどんどん社会の影響を受け、突っ走っていく。
「そうだよね」と一見、同意しているような口ぶりだが、実際にはそうは思っていない彼女は、まっすぐすぎて、ふてぶてしくすら思える。こういう役は有村架純にぴったりだ。「私はまっすぐで、芯が強く流されない」と思っている女子ってときにタチが悪く、処置に困るというか、若い男の手にはきっと負えない。
一方で流されちゃう彼は、いまどきの、の、いまどきを担う、いつの時代もいそうな、男子で、仕事を始めると、どこをみて、何を大切にすべきかわすれてしまう。
この別れに救いがあれば、最低なプロポーズも、未練から来る告白も、彼女がきちんと断っているところ。
彼が泣いてプロポーズしてくれて結婚した、という流れになりやすいが、そうはさせない坂本裕二は、やっぱり天才だ。
女は男をどう見るか、その立派さや個性以外の、女にたいする不誠実さや暴力性まで見ずにはいられない。それが非常にリアルに突き刺さる。
菅田将暉もよいが、有村架純しか見えない彼女のための一作。
好きな人同士って言わなくてもわかる。
それって別れたいと思うタイミングにも該当する。
ただ悲しいというより、恋をした、別れた、でもまた次に進める、大丈夫。きれいさっぱりとはいかないが、人って案外前に進める。
カメラよし、台詞よし、舞台よし、登場人物よし。バランスよく予算配分した作品って素晴らしい。
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