合意なきアメリカン・ドリーム 映画「ミナリ」

ゴールデングローブ賞で外国語映画賞を受賞し、アカデミー賞にもノミネートされた映画『ミナリ』が日本でも絶賛上映中だ。


 韓国から渡米した夫婦は、1980年代の米国で二人の子どもを設け、ひよこ鑑別士としてなんとか暮らしている。映画は、四人家族が車で移動するシーンから始まる。田舎の村は、のどかでどこを見ても緑に溢れ、優しい風が吹く。この冒頭が唯一、平和なシーンだ。


 一家が辿り着いた場所は、近くに病院はもちろん、ショッピングモールも、心の支えである教会もない大草原だ。目の前にある家を見て妻は驚愕する。そう彼女には知らされていなかったのだ。夫が目指したところが荒野だったことを。一家で暮らす家がトレーラーハウスであることも聞かされていなかったのだ。夫は妻に否定されることを知っていたから、何も言わず、連れてきたのだ。


 農場で一攫千金を夢見る夫ジェイコブにとってここは夢と希望の地だが、妻モニカにとってはハリケーンから子どもを守る手立てがなく、病弱な息子を連れていく病院すらない辺鄙なところに過ぎない。さらに近所には友達になりそうな韓国出身者がいないうえ、友人を作るために行った教会では「キュート」と言われ、自分の居場所がないことを悟る。そこに共働き夫婦を手伝うために、モニカの母親がやってくる。母親は早々に水辺を探し、ミナリ(セリ)植える。


 だが、一家を待ち受けていたのは、絶望だった。農作物がうまく育たず、モニカの母親にも異常がみられる。周りには貧しい人ばかりで、農場を手伝っているポールはたばこを毛嫌いし、日曜日には教会に行く代わりに大きい十字架を背負って、町を練り歩く。貧しさゆえ、神の教えに心酔中だ。夫のアメリカン・ドリームへの執着、ポールや妻モニカの神への執着、そしてモニカの母親のミナリへの愛情。この妙な三角関係は、映画のなかで三位一体となり、よいスパイスを与える。生き残るのは、ミナリという自然であり、祖母の愛である。


 この映画は「米国に移民して頑張った一家の感動的な物語」ではない。夫ジェイコブの合意なきアメリカン・ドリームに巻き込まれた家族のストーリーである。米国でこれほど高い人気を誇っているのは、間違いなくこの作品が、文豪スタインベックの『怒りの葡萄』やテネシー・ウィリアムズの『熱いトタン屋根の猫』や『地獄のオルフェウス』の延長線上にあるからだ。広大な土地、貧しい農民、不条理な世の中を明らかにしてきた文学作品の継承であり、南部の労働者の継承である。最後の劇的な場面も文学的だ。夫と一度は別れようと思った妻が、その次の日、家族と雑魚寝をしている場面は、その前に起った悲劇のせいである。そして、雑魚寝を不安げに見つめるモニカの母親の視線を捉えて映画は幕を閉じる。


 暴力をふるわず、浮気も博打もせず、農業に熱心な男は、それだけでいい夫、いい父親と呼べるのだろうか。妻にはそうは思えなかったはずだ。最後の最後に足止めされた妻の絶望から目を背けることはできない。
 だからこそ、この映画が、合意なきアメリカン・ドリームにチカラを注ぐ夫、父、息子、または義理の息子に献身したハルモニ(おあばちゃん)に代表されるすべての女性へのオマージュであることを願う。

 ワンダフル・ミナリ!ワンダフル・ハルモニ!

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