不完全だが静かな家族の日常 今時の「リアリズム」 映画『夏時間』

 韓国映画『夏時間』は、不完全ながら、ありのまま生きる家族の姿を描いた静かな作品である。父親は露店で靴を売っているが稼ぎはあまりよくない。高校生の姉と小学生の弟は、父親と一緒に、祖父の自宅に居候することになる。そこに離婚した父親の妹がやってきて、新しい5人家族の日常が始まる。
 姉と弟はよくケンカするが、仲が悪いわけではなく、あまり言葉を発しない祖父も体力が落ちているだけで、特に厳しいわけでもない。父も仕事がうまくいかないだけで、お酒を飲んで暴れることもなければ、暴力をふるうこともなく、女性問題を起こすような人でもない。
 そう、この映画には、韓国映画やドラマでよく見る財閥も悪女も怪物もヤクザもエリートも、お酒を飲むシーンや暴力のシーン、裏切ったり裏切られたり、復讐をしたりされたりのシーンは一切出てこない。だからこそ、非常にリアルである。
 父親と子どもたちが祖父宅を訪れた日の夕飯のテーブル。そこにはミルクガラスのコップが置かれており、韓国の夏の定番料理「豆ククス」を目の前に、白いタンクトップ姿の祖父が無表情な顔を見せながら、座っている。すべてが韓国人においてなつかしい場面である。あのミルクガラスのコップはどの家にあるようなものであった。嫁入り道具の螺鈿の箪笥、そして蚊帳もすべてがなつかしく、スマホが鳴る前まで、時代背景を80年代のどこかだと思わされる。スマホが鳴って初めて現代であることが示され、祖父宅が、過去のある時点に完全に取り残されていることを知る。
 韓国映画界は、ここ20年間は、60年代生まれの映画監督が特に注目を浴びていた。国際映画祭の常連ホン・サンス、コロナによりラトビアで死去したキム・ギドク、昨年度アカデミー賞を受賞したポン・チュノ、『シュリ』のカン・ジェギュ、『オールドボイ』のパク・チャヌクらである。60年代に生まれ、90年代にデビュー作を発表し、国内外で大きな反響を得た彼らは、キム・ギドクを除けば、基本エリートであり、大学では哲学や社会学を専攻している。彼らが映画に面白さ以外にもメッセージ性を求める理由を、先日ゴールデングローブ賞を受賞した『ミナリ』で祖母役を熱演した女優ユン・ヨジョンは大学での専攻のせいだと説いた。不倫、殺害、階層転覆などを含め、どこか社会を斜め上から見て描いてきたリアルが彼らの映画だった。
 一方、『夏時間』のユン・ダンビにおける「リアル」は、浮気でもなければ、暴力でもなく、女性搾取や階層転覆でもない。今時の女性監督は、これまでに男性監督が作ってきた「リアル」という名の暴力や嫉妬や復讐、性的なシーンをきれいに取り除き、日常を切り取ったかのような、本物の「リアル」を作り出している。私たちが実生活で出会う人は、財閥でもヤクザでもなければ、『夏時間』の5人であり、それはどこか私たち自身の物語とも類似している。
 本作は大学の卒業制作として作られ、釜山国際映画祭で韓国映画監督組合賞など4冠に輝き、ロッテルダムやニューヨークアジアン映画祭などでも受賞を果たした。ユンが監督になりたいと言うと、彼女の父親は「監督はパク・チャヌクやポン・チュノのような大柄な男性がやる仕事だ」と諭したそうだ。パク・チャヌクやポン・ジュノの世界も素晴らしいが、同じ目線で見た世界を温かい目で伝えてくれるユン・ダンビも貴重な存在だ。

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