見出し画像

リーマンショックとコロナ禍のダブルパンチを食らった地方住みロスジェネ世代の現状を聞いてくれ

私はリーマンショックを経験した元就活生である。あのとき都心についてはあまりわからないが、とかく田舎には仕事がなかった。そもそも田舎にある仕事というのは今も昔も力仕事や単純労働、もしくはパートなどが大半を占めているものである。不況になればまずこの人的資源から切り詰めていくのだから、求人なんてそもそもないのであるわけがない。

2010年からおよそ2018年の間にこうした雇用情勢も少しは改善したとかしないとか言われているが、内情をのぞけば非正規雇用数の増加というものである。これで本当に労働環境が改善したのかといわれれば、聞くまでもない話だと思う。

https://nalevi.mynavi.jp/legal-data/data/6246/

実際に厚生労働省が開示しているデータをもとに作られたグラフも現実を如実に語っており、全体の求人倍率は増えているかもしれない。だが、その大半はパートタイムの求人率の増加でかさましがされている上、このパートは高齢者の割合が多いというのも事実なのである(まあこのあたりは団塊の世代が一気に抜けている上、少子化も考えれば容易に想像できる部分である)。

https://nalevi.mynavi.jp/legal-data/data/6246/

さらに求人倍率を職業別にデータ化したものを見てみたい。明らかに介護サービスと接客での求人が伸びており。それ以外には自動車運転の伸びも高くなっている。これを田舎の求人に照らし合わせると、増えたのは介護職や宅配ドライバーなど、やはりきつい仕事ばかりなのである。とかく「誰もが大学を出ておくべきだ!!」という割には大学で得た知識を使えるような仕事は少ない上、もし大学で身に着けたような仕事や事務職についたとしても平均して15万円程度(保険のぞかず)の仕事しか転がっていない。

これが田舎の現状なのである。

これが田舎の現状なのである。

これが田舎の現状なんだって(大事なので3回言った)

では、こうした現状なのに大学に行く必要ってあったのだろうか。私は最近のことばかり考えている気がする。日本で大学の知識や経歴を生かすような仕事が少ないのであれば、無理して奨学金という借金をしてまで進学する必要ってあるのかという話なのである。

別に大学が無駄という話をしたいわけではない。もちろん将来をしっかり見せている人ならば、きちんと勉学を積んだ上で社会人として羽ばたいていくのだろうと思う。ただ、こと田舎だと事情が違ってくるわけである。

田舎だとそもそもアカデミックな仕事がないし、求められることはない。もっといえば、肉体労働であれば身体さえ健康でそれなりに頭の回転が早ければ問題ないわけである。むしろ下手に賢くて色々と事業に口を出し、体を動かさない人間なんて嫌われるのだろう。もっというと、黙って仕事さえしてくれれば事足りるんだと思う。

かくいう私もクソ田舎に生まれ、とりあえず大学へ行くことを余儀なくされ、その学歴を持て余してしまった人間だと思っている。大学での経験すべてが無駄かといわれるとそうは思わないが、「大学さえ行けば将来も安心」という妄言にとらわれてしまった人間ではあると思っている。

結局高い費用を出してもらったものの、私は大学卒業時に正社員となることはできなかった。非常勤の塾講師をしながらライターとして開業できる準備をし、そして実現したものの結局は事業が失敗した人間である。

ライターの仕事辞退は都心に行くお金もなかったため、地元でテレワークという形で仕事を行い、たまに打ち合わせのため関係会社に赴くというスタイルだった。地元でも細々ながら営業を行いインタビューの仕事はもらったことがある。中には脚本も仕事もしたし、ここだけ聞くと成功したとも感じられるような環境だと思う。

たしかに2年間の経験は私の中では貴重なものであった。しかし、いかんせん収入面では危ういところがあるのもたしかで、最近はライターをしつつとある行政法人機関にて契約社員という形で働いていた経緯がある。

幸いにも職場環境はいいし、登用試験の話ももらっていたのだがコロナ禍によりいとも簡単にぽしゃん。私も諸事情により仕事を探す必要があったので転職活動をしていたのだ。では、まがりなりにもライターとして社会人の1人として活動し、その中で培われた経験が社会的に評価されることがあるかといえば

ノーである。

会社だって利益を出さなければいけないのだから、自分の会社に合うような人間しか望まない。そして、大事なのが「社会人としての経歴」なのだ。

たとえば、もし今この文章を読んでいただいているあなた自身が会社の人事や社長だったとしよう。求人を出した際に背景はわからないけれどニートである人間と10年近く社会人経験のある人から応募があったとしよう。どちらと面接をしようと思うかといえば、やはり社会人経験のある人間なのではないだろうか。

どのような理由かわからないがニートになってしまった人には何等かの問題があり、社会的復帰がまず難しいのではないかと考えてしまう。それは自営業でも同じで、会社に溶け込めずいきなり自営なんてやっていた私は、社会かれすれば「落伍者」なのである。

その一方、社会人を経験していればある程度は会社に貢献し、その会社を通じて社会情勢に揉まれてきたという下積みのようなものがある。たぶんだけど、このあたりまでは容易に想像するのではないかと思う。

会社だって慈善事業で会社を経営しているわけではない。社会の中で生き残りをかけて必死に働いているのである。そこまでは理解できる。だが、だからといってたった一度レールから外れてしまった人を永遠にはじき出すような社会のままでいいのか。私はそこに疑問を感じざるを得ない。

現在の日本はえぐいぐらいに地方と都市部の乖離が進んでいる。たしか東京の人口は令和2年の時点でおよそ1300万人で、日本人口のおよそ1割がひとつの都市に住んでいる計算になる。あと46道府県で残りの人口を割ったとしてもおよそ1つの地域にあたり190万人程度という計算で、中には100万人を切っているらしいので、この流れは止まらないのだろうなと思わされる。

では地方が無くなって何か問題があるのかといえば、単純に国力の低下である。有効に活用できる土地があるのに野放しにするほど無駄なことはない。そして、一番の問題が選択肢の減少と機会の消失にあると思っている。

人間が一か所に集まれば、そこで自分のやりたいことや実現したいことに賛同してくれる人間を集めやすくなったり、人を募りやすいというメリットが出てくる。そのため自然と多くの選択肢が出現し、それに挑戦できる環境も整いやすくなる。

しかし、はじめから人のいない土地であればそういったチャンスは当然として生まれづらい。現代でこそネットの普及により人間とコンタクトこそ取りやすくなっているものの、日本ではまだまだ次につながっていない(コロナ禍なのにテレワークさえすすんで…あっ!?)

そして人がいれば少なからず経済活動も循環しやすいが、人がいないことには市場を維持することさえ難しいところがある。だから日本もインバウンドという政策に舵を切っていたのであろうが、結局は内需での生産が増えなければ「焼け石に水」でしかない。私は地方都市でインバウンド対策としてシェアハウスを経営していた方にインタビューをしていたことがあるが、やはり地方都市でやるには難しい事業であるとおっしゃっていた。

こうした様々な部分で、地方と都市部では大きな乖離が日本では起きている。経済だけじゃない、あらゆる「機会」が地方からは奪われつつあり、これから生まれてくる子供たちはまるで生まれてくる前から人生を賭けたギャンブルを打って出るようなものなのである。

ここまで色々と書いてきたが、私はとりあえずまだ生まれた土地で何とか頑張ろうと思っている。しかし、コロナ禍でやりたかった仕事を奪われたので転職もしているのだが、求人は同じようなものばかりな上に求人票にさえ嘘ばかり書かれていて困っている状況なのである。

もしかすれば「働く場所を変えればいい」とか「その土地を離れればいい」と考える人もいるだろう。しかし、それができない人間だっているし、同じように私が東京などの都心に出て働くことが正解なのだろうか(このあたりは映画「悪人」とか見ていただけるとうれしい)。

私は少なくともそうは思っていない。田舎に縛られるつもりはないが、東京に流れ出たところで将来まで見据えたとき、本当にそれでいいのだろうか。それは結局のところ、目先の問題を先送りにしているようにしか思えない。

特に力の無い私が偉そうに考えることはないかもしれない。だが、こうした大きな問題がいまだに野放しにされ、どんどんと機会の消失が続いていくことは日本という国全体の存続の選択肢を減らしていることにもつながると思っている。

そして最後に、今好きなことを仕事にしようとしたり仕事がないからと諦めている地方住みの人にいいたい。社会は決してあなたがやってきたことでは評価してくれません。努力したことなんてゴミでも見るような目で見て、自分の会社に利になるかどうかの物差ししか持っていません。というか、会社自体にも余裕のない場所が8割だと思っておいてください。余裕がないのはあなただけじゃありません、会社も余裕がないです(キッパリ

だからこそ、本当にやりたいことがあるのであれば、社会とかかわりのある資格や経歴を絶対に持っておいてください。それが1つでもあれば社会の見る目も変わります。地方にチャンスなんてありません。もしあったとしても、それは新しい星を見つけるレベルの奇跡だと思ってください。

偉そうなことをここまで書いてきましたが、私が言いたいのは最終的にここでした。でも地方にはチャンスがない、絶望的なほどにない。この現状について、少しでも都心住まいの人に届けばいいなという思いで最後を締めたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?