なんで見ず知らずのお前に席譲らなきゃいけねぇんだよ

養成所時代は、栃木から神田まで電車で通っていた。金のない俺は、東京駅までの電車賃で済ませ、そこから神保町まで歩くのが通学路だった。NSCまでの歩く皇居を通る道がなんだか好きだった。右左とかは関係なく。東京駅という都会の象徴や昔ながらの文化を残した建物から、大手バンク会社などの煌びやかなオフィスを抜けると皇居が見えてくる。皇居内の池や自然は季節変わりにいろいろな姿を見せてくれる。その中を皇居ランナーの邪魔にならないよう謙虚に歩いていく。ほんとこいつらは毎日走っている。これが仕事なのかと思うくらい。走らなければいけないという神様の伝えを毎日聞いてるのだろうか。
さておき、電車に乗る時間は栃木からなので1時間半はかかる。その分、電車賃はかかるが、乗車する際は席が空いていることが多い。電車賃を多く払っている地方居住者の特権だ。ある日、大宮あたりで乗ってきたおばあさんが俺の前に立った。ここで、一般の方というかモラルのある、偽善者とは言い切れない、善意のある人はすんなりと席を譲ることができる。ある国のレディースファーストの精神のように。しかし、残念だったなおばあさん。22年間生きてきて席を譲る行動を起こしてきてない人間の前に立ったのがしまいだ。いや、正直にいうと席を譲ろうとしたことは一度ある。だって教育学部出身だもの。
その経験が糧になって席を譲らないというポリシーになった。高校生の大学のオープンキャンパスへ行ったときだったと思う。夏のクソ暑い日。バスに揺られて向かっていたとき。今回と同じような状況となった。60〜70くらいのおばあちゃんだろうとちっぽけな脳内で推測した俺は天使ちゃんと悪魔ちゃんの天秤の結果、席を譲るという結論に至った。その偽善は2秒後に崩される。おばあさんは「あ、大丈夫だよー」と50〜60代の笑顔で答えた。ニヤリと「あ、すいません」と答える。おばあさんは間髪入れず、「足腰鍛えないとねぇ」と俺に言ったのか独り言なのかくらいのテンションでつぶやく。もちろん、それに対してのリアクションはしなかった。バスに揺られながら1人反省会をする。その結果、この断られる行為が恥ずかしいことに気づいた。はっづー。この人、見計らって優しさ出したけど、計算間違って、ギリおばあさんじゃない、おばさんに席譲ろうとしてたじゃんって見られたに違いない。この経験をもとにテーマ「電車やバスで目の前に高齢者と見られる方が現れたときの対処法」の1人議会を繰り返した結果、世間一般党の席を譲るという意見よりの意見である

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