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【宮古島帰省日記】Vol.2 No Negative,No my Life

今日のは日記というより、日々自分と対話する中での気づき。

僕は今絶賛、うつ病診断を受けている。
あんまり公表してないから、よく嘘だと思われるけど、診断書まで出ているのだから本物ではある。

だけど、自覚はない。
自分が潰れている感覚もない。

ただあるのは気分の上げ下げが激しく、朝起きられない、夜眠れない、寝たけど昼間眠すぎる、毎日オールしているみたい、怒りっぽくイライラしやすく、孤独感を感じ、病むという感覚を感じやすい。だけ。これだけ。

別に言い聞かせてることもなく、自分自身と対話すればすぐに落ち着く。だから軽度と言えば軽度なのだろう。
今回が初めてなわけでもなく、3回目のうつ診断。3回目でもう慣れてしまっているのか、よくわからないけど比較的ポジティブ。

その3回目の経験から色々考えることがあった。
まずは僕の人生と鬱の話。その時に感じていたことを覚えている範囲で余すことなく発信する。
そこから立ち直ってはないけど今もまだ鬱と戦ってる自分の備忘録を等身大に発信する。

鬱に苦しむ、毎日無気力で生きている意味がわからない、そんな人や今後自分がまたなるかもしれないから未来の自分のために、今日は言語化してまとめて置こうと思い、ぬくぬく執筆に勤しんでいる、というわけです。


1回目のうつ(中学時代)

1回目のうつは中学時代まで遡る。

家庭環境の影響で、初めて意識を失うという経験をした。
夜夕食後の眠る前に目の前が真っ白になり、体に鈍痛が走った。起きた時には次の日の夕方で、場所は病室のベットだった。

軽く頭がパニクったけど、すぐに状況を理解した。

あぁ、倒れたのか。って。

気持ち的にはすごく安心したものの、家じゃないことにちょっとした驚きを覚えた。ただ、あの家にいなくてもいいんだという安堵もその安心の中にはあった。

それから自分はストレスで倒れたと自覚し始めて急に症状が増えた。
気持ち的なものもあったと思うが、自覚し始めると不思議とそこに体が向かっていく感覚があり、不思議な感覚だった。

それから度々精神科に通うようになり、初めてのうつ診断を受けた。厳密に言えば精神病的な名前だったはずだけど、あまり覚えていない。

その時期は身体的にはしんどかったけど、精神的にはしんどくなかった。
友人たちに隠せば、居場所がなくなることはなかったから。だけど、多面的な自分を見た時に多重人格のような感覚を得てしまい、そこで後々苦しむことになる。

そしてちょうどこの時に初めて自殺を試みた。
酒を呑み、夜の海に飛び込んで、走馬灯を見た。怖くなって目の前真っ暗になって、必死にテトラポットをよじ登って、疲れて寝た。起きたら朝日が出るか出ないかの時間だった。

なんで自殺未遂をしたかはあまり覚えてないけど、感情として残っていたのは「自分が死んだら誰か気にかけてくれる人はいるのか」と言うことを確かめたかった。

生きて生きる意味を見出そうなんて強い意志はその時はなく、ただただ自分が嫌いで自分の家族が嫌いで、この世の摂理そのものが嫌いだった。

2回目のうつ(高校時代)

2回目のうつは高校3年時。この時が一番酷かった。

高校進学時にあまりにも地元から逃げ出したくなり、鹿児島の高校からたまたま声がかかっていたこともあり進学を決めた。

そこでひどいいじめを受けて軽く自閉症になった。
自閉症、腰の怪我、ボロボロの状態で宮古島に帰ってきたのはわずか半年後。
その影響で入学から半年遅れで入学した高校で、酷く孤独感を感じ、その時の自分なりにキャラクターを確立させようと必死に友達作りに励んだ。

自信をなくし、自分が何を考えているかわからなくなった高校1年生を経て、2年生に進学した時、クラスで中心グループにうまく入れた。
とても楽しかった。高校2年生のころの記憶しかないくらい楽しかった。
元々人とわちゃわちゃするのが好きで、人喜ばせたり人を笑わせたりするのが好きな自分に取って居心地のいい居場所になった。

そのクラスから3年に進学した時、クラスで若干の孤立を感じ始めた。
中心に慣れていない自分がもがき始めて何をしても本当の自分を表現できないことにイライラした。居心地が果てしなく悪かった。
部活でもなんかうまくいかない。どこか学校に居場所を感じず、家にも元々居たくなかったのもあって、いつしか保健室に入り浸るようになった。
そこでちらほらあいつはさぼりだなんだのと噂がたった。そりゃそうだと思いながらも"わかってくれよ"という心の叫びも実際あった。

若干不登校気味になり、学校に行くと過呼吸で倒れてしまうことが増えた。
下半身が動かずに車椅子に乗った時もあれば、決まって授業に行く前に倒れてしまい卒業が危ぶまれるくらいまでになった。
それでも、最後までどこにも居場所がないように感じてしまっていた。

限界を感じた時、カウンセリング治療を受けることになり、静岡の長閑な田舎にある脳神経と精神科が併設している国際センターで10日間隔離された。
その時に、自分よりもひどい症状の患者を見て、自分がサボっている気になった。
ほんとにみんなが言うように俺サボってんじゃん、自分よりきつい人がいるのに俺なんかの悩みなんて、、と自己否定に走った。治療しても満たされなかった。

地元に帰り、自殺未遂を繰り返した。
睡眠薬を過剰に摂取し、首を吊ろうとベルトを首に巻いた日もあった。
夜の町に繰り出して注射を打った日もあったし、錯乱して幻覚を見た夜もあった。

その時が2回目のうつ診断。
正直、僕の高校3年間は、総じていい思い出があまりない。

3回目のうつ診断(大学〜社会人1年目)

高校卒業と同時に、京都の大学へ進学した。

2回目の地元と離れる機会に、今回は絶対に帰らないと言う強い意志を持って進学した。

大学1〜2年は体育会サッカー部に所属した。本当にいい仲間と巡り会えた。順風満帆に楽しい大学生活を2年間過ごした。

けど、何か物足りず、モヤモヤが募って、また塞ぎ込んだ。
部活にも授業にも行けない日が続き、その時に心臓病を発病した。高校時代の腰の怪我も尾を引き、中学生の頃よりサッカーも下手だった。それでサッカー部の中では落ちこぼれも落ちこぼれだった。

努力もできない部活を休むサボり野郎と思われているだろうなと引きこもっている時に、今でも親友と呼べる仲間に幾度となく救われた。
彼なりの優しさだろう。毎日部屋に来ては部活の話をしてくれ、遊びに外に連れ出してもらい、夜のバイトも一緒のところを選んだ。
しかし、迷惑をかけてしまっていると言う罪悪感に苛まれて、環境から逃げ出したくなり、休学を選んだ。

一回ストレスフリーになろうと。好きなことを好きなようにやって、後悔のない感覚を作ろうと。

それでもどっか満たされなかった。
難しかった。生きると言うことは思った以上に。

自分の居場所を探して学生団体に所属して、承認される環境に気持ち良さを感じて自分も人に喜んでもらえるような人を目指そうとその時思った。
だけど波が激しく、自分のコントロールもままならないまま、時に自殺未遂を繰り返した。

それでも離れないなと信じられる仲間たちと出会えて、自分の居場所を右往左往しながら作れたのは我ながら誇らしい。そういった人の居場所を人生通して作っていきたいと思うようになったのはこの頃からだ。

大学を中退して社会人1年目を個人事業主としてスタートさせた。
金はなかったけど、仕事と遊びに全力だった1年目の前半は正直楽しすぎた。

何をしても自分の責任。それをまだ実感できなかったのもあるけれど、とにかく自由だった。

1年目の後半には、仕事のスイッチが入った。
いろんな背負うものを自覚して、馬車馬のように働いた。それでも夢中で働けて楽しかった。

けれど、前職で給料が十分もらえず夢が見れなくなった頃、また塞ぎ込む時間が増えた。この時はコミュニケーションを取らなきゃと、外に目を向けて積極的に外に出ようと努力した。

だけど、金がなかった。
金がなくて外に出るのも億劫になり、人と会いたくなくなった。

そして前職で自分の状況を理解されようと説明責任を放棄し、信頼がなくなって会社との溝が深まった。

居場所が無くなったと感じる瞬間だった。

それで3回目のうつ診断。に加え、自律神経失調症。いわゆる冒頭に書いた症状が顕著に出てしまい、とてもじゃないけど万全の状態で仕事に取り組めなくなった。

しかし、自分を比較的俯瞰して見れるようになっていたのは自分の成長を感じたところでもある。
それで、前向きに今の症状と向き合うことができた。

その他に1番大きいのは周りの支え。
特にパートナーの存在にはかなり助けられたし、今でもかなり助けられている。本当に感謝しているし、生涯かけて守りたいとか臭いセリフを本気で叫びたいほど尊い存在。

そういった成長や支えがあって、前に進むためにアクションを起こせた。

前職の会社を辞め、自分の今の状況を理解してくれながら「お前はファミリーだ」と心から伝えてくれるご縁にも恵まれた。本当に運の良い男だと我ながら思う。


鬱で悩む全ての人に叫びたい

鬱診断されている自分が言うのもなんだけど、物事の解釈を「無理やり」変えられるかどうかで、良い方向に向かえるか向かえないかが決まる。本当に。

ほんと、朝起きるの億劫ですよね。でも良いじゃないですか。眠いなら寝てくださいよ。だけど騙されたと思って、カーテン開けて、太陽に文句言ってください。お前眩しすぎるし暑いんだよアホォ。って。ちょっとは楽になりますよ。その後水飲んでまた寝ましょう。ベットがあなたをまっています。

ほんと、人と会うのしんどいですよね。わかってもらえないですもん。でも良いじゃないですか。あなたもその人のことそんなにわかってないんだからお互い様ですよ。

ほんと、自分が嫌いになりますよね。こんな鬱になっている自分が情けなくなるし。でも良いじゃないですか。それだけ自分のこと大切にしてるから防衛反応が出ちゃってるだけですよ。自分のこと大好きな証拠ですよ。多分。知らんけど。

断言します。

鬱は幻想です。
自分次第でどうにでも生きれるし、向き合えます。

きっと鬱の人は鬱の状態を理想としてないけど、楽だからそこに逃げていると鬱の自分が言っています。まじで誰が言ってねんなんですけど。笑

虚勢でも良いから、元気ぶりましょう?
ネガティブは人に伝染してまた自分もネガティブになっちゃいます。
これは本当に。

もっと自分を大切にしていることを自覚しましょう?
あなた誰よりも自分のことが可愛いから鬱になっちゃってるんじゃないですか。大丈夫ですよ、あなたのことを見ていたり、支えたい人はこの世に無限にいます。
そして僕がそうなんですから。じゃないとこんなわけのわからない長文書いていないですよ。


はい、全部自分に言いたいことでした。

って言うオチです。

今でもぶっちゃけ超しんどいんですよ。

朝起きたらまずは"もう1回寝よう"から始まる1日しか送れてない自分にうんざりするところからスタート。

道路を走る高級車を見て"あのベンツに撥ねられたらめっちゃ楽やろな"とか考えちゃうんですよ。

わかってくれよ世の中、俺を見てくれよ、苦しい俺を
って思います。正直ね。

それでもやっぱりそんな生き方望んでない

タイトルにもある通り、鬱だからなんやねんと強く生きたい。

自分がなんに対して後ろ向きになっているかどうかを言語化をできているだけで、自分に対してOKを出せる自分に今のところなれてきています。

ただ1回間違えるとまた崩れるだろうなと言う危機感もまだある。

だから無理やり自分にかける言葉をコントロールして、1日1回はジムに出かけるように努力している。寝る時間を3時間から8時間に変えて、仕事量もコントロールして交渉している。

自分の中で自分と向き合えているから、言動と行動が変わってきている。良いじゃん自分。それで良いじゃん。


うつほど厄介な症状はない。

自覚すると深刻化する、負のループにハマる。
楽な方しか選べなくなって、世の中の「普通」についていけなくなって反発して、孤立する。

それで"わかってくれよ"と言い出してしまう。

わかるわけないよ、普通の人ですらわかんねぇんだから。

って最近思いました。
だから自分に対して"鬱だからなんやねん"と言いながら生きています。

それだけ自分の症状に向き合える半生だったし、立場的に弱くなっている人たちの頭をしばけるのも当事者である自分の役割だなとも思っているわけです。

一緒に社会で活躍しましょうよ。
鬱がどんなもんじゃい。かかってこい。

って奮い立たせて生きていきましょう。

もう俺は負けねーからな。

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