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10秒後の自分を想起し自制する

 昨日の子どもの喧嘩は、家に帰りどんなものかと思いましたが、本人は至ってケロッとしていました。相手方もいったんはさやを収めたようですし、耳の中の腫れの程度次第ですが、まずは事態を見守り、粛々と対応したいと思います。

 思えば自分も小学生の頃に、友達にコブラツイストをかけられてねん挫し、相手の友達がお茶屋のプラモデルを持ってきたことがありました。確かに、当時はお城のプラモデルにはまっていたのは事実ですが、なぜお茶屋だったのかは今もって謎です。
 
 さて、昨日の朝はバスと電車で乗り継いで職場に行ったわけですが、バスの運転士が非常に丁寧な方で、降車する乗客の一人一人に対して「おはようございます」と頭を下げていました。

 また、電車も僕の場合、終点で降りるのですが、そこで駅員さんと思われる人が、ホームに立ち、列車から降りてくる乗客に同じように「おはようございます」と一人一人あいさつをしていました。

 どちらも、とても気持ちの良いあいさつで、こちらも丁寧に返礼したいという思いにさせるものでした。

 朝というものは、誰もが時間と気持ちに余裕がなく、例えば、バスの降車時に残高不足で支払いに手間取っている人がいたり、電車がトラブルで遅れたりすると、自分の都合でイライラしがちなものです。その日に気の重いイベントが職場で待っていると思えば、なおさらでしょう。

 ただ、これは、バスの運転士さんや駅員さんも同じであり、朝早くから勤務して、もしかしたら家で何かトラブルがあったり、悩み事を抱えていたり、体調が少し良くないといったことがあるかもしれません。そうした「私」を出さず、気持ちよく送り出そうとする心意気には、自分の身に置き換えてみて、それをなせることへの敬意の心を持つことが、大事ではないかと思います。

 バスや鉄道が遅れると、運転士さんや駅員さんを、大衆の面前で罵倒している人を時々見かけますが、気持ちはわからなくはないものの、その人たちを責めても詮無いことであり、荒れた海で必死の操縦をしている船員さんたちに、この船の揺れを何とかせよと、せっつくようなものです。

 こうした時にも、自分を俯瞰するメタ認知は大事ですね。対応に追われている駅員さんを罵倒する自分は、どう考えても、傍目から見て格好悪い、アクションに起こす前に、一度引いて、目を閉じて10秒後の自分の姿を想起すると、そうした振る舞いに対し、自制がはたらくと思います。

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