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学びをゲーム感覚にする

 下の子どもがオンラインゲームにはまっているようです。四六時中やっているわけではないですが、休みの日は早起きして2時間、3時間やっていたり、夜も怖い母親の目を盗んでプレイしています。

 僕も時々、タブレットを持ち出して、プレイできないようにしているのですが、どうも禁断症状が出てくるらしく、戻したら貪るようにプレイしています。

 僕自身、小学生とか中学生のときは、あまり勉強せずにゲームをプレイしていたように思いますが、それでも勉強に向き合うときは、それなりに当事者意識を持って取り組んでいたように思います。

 今の子どもに共通しているのかもしれませんが、友達の家で遊んだりという時間がないので、そういう放課後の友達との時間の共有が、年齢が上がるとあまりないように思うので、そのへんの時間がプレイに使われているのかもしれません。

 勉強の方は、まだまだ、人にやらされている感が満載です。自分のためにやっているわけではないので、勉強によるクライミングのしんどさを、他人にぶつけているようなところがあります。

 中学受験は結果的に志望のところへ行けずに、地元の公立に行くことになり、それはそれで無理があったのでよかったと考えていますが、今の当事者意識のない状態では、公立中学でもなかなか良い成績は難しいのではという気がします。

 このへん、本人が見えていないかというと、そこはメタ認知を持っていて、自分が感情的になることや、ゲームにはまってしまうことも自覚しており、それゆえに、スマホは中学になっても欲しくないと言っている。

 このへんの、欲望に負ける面と、負ける自分を理解し、そこに距離を置こうとしている面があり、我が子ながら面白い人だと思います。

 僕も勉強はいつの間にか自発的にやるようになりましたが、それには成績が伸びて上位が定着し、僕なりの存在意義を感じて、得意科目の社会→世界史は自分のランドマークになり、満点を目指そうとして、勉強自体がゲームになっていたことが大きいですね。

 一つの圧倒的な得意科目が確立すると、そこは満点を取れるか取れないかのゲームであって、勉強ではなくなるので、その分、認知を他の教科に振り向けることができるようになります。

 この、認知のボーナスは大きく、相乗効果で他の教科も上がっていき、自分の立ち位置を少しずつ引き上げていったように思います。とはいえ、最後にもう一段上るには、英語の追い込みを、自分の当面の最大目標にセットすることが求められましたが。

 いずれにせよ、無理やり勉強させても、本人にとっては砂を食べるようなもので、なかなか食が進まないものです。この消化は、学習内容の理解と同時に、ゲームに向かっている自己達成の欲望を、学びのゲームに振り向ける、そうしたモードチェンジが自分の中でできるまで、サポートしていくしかないように思います。

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