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辟易と焦りと

 母の引越しの見積もりをネットの一括サービスで入力したら、電話番号を入力したので、早速、たくさんの電話がかかってきました。
 正直、まだ引越しに向けた各種段取りが整っていないため、引っ越し日は確定しておらず、あくまで仮置きで入力した状態であり、今は電話に出ても答えられないことが多くあります。とはいえ、遅くともあと10日以内には、段取りも含めて決めないといけないのですが。
 今は、自分自身、壁にぶつかっている状態で、そこを乗り越えられるか、気持ちが萎えそうになっており、母の問題はこれはこれで一区切りつくのは良いことですが、何か自分の根本問題が解決しておらず、それをさて置いて奔走することに焦りを感じます。
 ここ2年ぐらいは、壁の存在に気づきながら、当然登り切れんとあきらめて、壁を離れて下方向への順路を歩もうとしていたところ、この壁をよじ登るという方法があるのだと気づかされ、自分の心を励ますことに時間を投資し、少しずつよじ登る鍛錬をしていたところです。ただ、取っ掛かりはみつかっても、ある程度の確信を持って登れるような道筋を見出していない。途中で途切れたりすれば、壁にしがみつき進退窮まり、そこで力尽きて相当な高度から落ちてしまい、地面に叩きつけられてしまう、そこまでのリスクは犯したくない、そんな気持ちで低いところで上ったり下りたりの繰り返しです。先達もいないですし、数少ない先達は年齢が若いゆえにギリギリ間に合ったか、一時の気の迷いで失敗してしまったか、ドロップアウトを覚悟してある程度のセーフティネットを足下に張ったうえで飛び込んだか、という事例しかなく、順路を順当に歩む人間が突然壁を登りはじめたら、狂気の沙汰と思われることでしょう。
 とはいえ、時代が変わりつつあり、世の不変を信じることは到底できない状況で、順路と書かれた看板も、それって昔の話でしょと思っている自分がいるのに、順路に従って進むだけでは、あまりに芸がないというもの。何のためにマイノリティーとなる決断をしたのか、今一度、過去の自分を呼び覚まし、まあ、目先のことを解決するための努力は、するなとは言いませんが、それに終始していてはならない。やはり、人との出会い、これまでの関係性を超えた出会いの中に、活路を見出すしかないのでしょうね。

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