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嵐の中心を離れて感じること

 新しい職場に来て8日が経過しました。

 役員に年度当初のレクをするのに、自分の中に課題や知識を落とし込んではいますが、法務は専門的な分野で、僕自身がこの世界のお作法に通じておらず、かといって、現場の臨床経験を積むような立ち位置でもないことから、短時間でこの世界に溶け込むのも難しいと感じています。

 生兵法は怪我のもと、とも言いますので、変に専門家気どりで説明するより、自分が専門家ではないという立ち位置から、相場観のないことについては、あえて外形的に捉えて表面をなぞる程度にしておいた方が、良いように思いました。

 同時に、前のセクションを外から眺めると、相変わらず嵐が吹き荒れているようであり、多少の手助けはしていますが、去る者は日々に疎しで、自分の中にあったパッションも冷めていることを実感しています。

 そして、4月から体制は強化したんですけど、嵐の中で戦うにせよ、有効なツールがあるわけでなく、僕の個人的な営業努力、人的ネットワークで、何かそうしたことができるかのように、組織に錯覚させたような面もあり、残されたメンバーは、加勢したんだからできるでしょう的な、変に期待値だけが上がり、なかなかしんどい思いをしているようです。メンタル的にも不調をきたすような人が出ているとも聞きました。

 嵐の中にいた当時を振り返ると、僕自身も嵐の中の高ぶる感情とか、自分なりに人的ネットワークで物事を回しているダイナミズムに酔い、組織的な強化がなされれば、ブレイクスルーも可能という、一種の万能感を抱いていたわけですが、離れてみると、これは無理だという思いを強くしました。
やはり、外からみると、無責任になれる分、いい意味で認知のバイアスがなくなり、冷静に物事を見ることができます。

 一方で、現在の分野で、自分ができることは限られており、現場は基本的に任せるしかないので、手袋とゴーグルをはめて、あとはこれまで培った推察能力で、物事を理解し、判断していくしかありません。
個々の事案の論点整理の妥当性は、自分のこれまでの経験を踏まえて、素人感覚を大事にして、少し専門集団の池にその感覚を投げ入れてみる、その繰り返しで、感度を高めていくしかないのかなと思います。

 組織にいると、社内初心者になったにせよ、これまでどおりの報酬は頂ける、ここはありがたいのですが、自分の価値を棚卸しして、外部に価値を問うことには、どうしても消極的になってしまいます。

 一時の熱情で、突っ走ってしまうのも危ういんですけど、守りに入るのも中長期的には先細りになりますので、むしろ、ゆとりある今の状況に安住することなく、世界を切りひらくために、一つ一つの手持ちの小道具まで磨いて、外で使ってみる、そこから、自分の使い道のようなものが、見えてくるかもしれない、そこに、ちょっと手間暇をかけてみたいと思います。
 

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